*** 唇に噛みつかれた。 抱きしめてもくれた。 でも、まだ足りない。 去年の夏休み、中学ん時の友達と夏祭りに行った。久しぶりに会った彼らはちょっとしたいたずらを仕掛けていた。ささやかないたずらのつもりだったらしいけど、ちょっと、内容が、衝撃的すぎて。 逃走して泣いてしまう事態に陥った。 祭りの会場を離れ、茂みの中でぐずぐずと泣いていた。大部、落ち着いてはきたけれど涙は止まらなくて。ぼんやりと一人、流れるままにまかせて木々を見上げていた。 ふいにガサガサと音がして。茂みの奥から見知らぬ少年が姿を表す。 暗がりで顔はよく見えない。頭には狐のお面をつけていて。手には水風船二つと、焼きイカを持っていた。お祭りを、楽しんでるんだなと思ったら、なぜかますます涙が流れた。 少年が、大きく首をかしげる。 「何、泣いてんですか?」 「……何でも、ない」 泣き疲れて、頭がうまく動いていなかった。だから、普通は見ないふりして去ってくれるんじゃないかと思いつつも、言葉にまではならなかった。 立ち去るどころか、少年は近づいて来る。目の前にたった少年を、見上げる。 「ははっ、なっさけない顔」 何なんだろう。この失礼な少年は。 反論する気力も、追い返す元気もなくいると、少年は隣に腰を下ろした。そして食べかけの焼きイカで、前方の茂みを示す。 「オレら今、そこで肝試ししてんですよ」 「ん?うん」 「だから、泣くならもっと大きな声で泣いて下さい」 「うん?」 頭がうまく動いていないせいか、意味がよくわからない。 「どこからともなく、誰とも知れない泣き声が聞こえてきたら怖いじゃないですか」 「ヤダ、よ」 「はははっ」 何で他人の娯楽のために泣かなくてはならないのか。嗚咽を堪えながら断ると、少年は楽しそうに笑った。 「水風船ぶつけたら泣きます?」 「や、ヤダよ……止めて、よぉ……うぅー」 「はははっ!」 何がそんなに楽しいのだろうか。ほっといてほしいのに。 「は、やく、友達のとこ、戻りな、よ」 「えー?あ、花火始まりましたよ」 花火を打ち上げる音と、花開く轟音が聞こえ、辺りが一瞬明るくなる。けれどここからは木立が邪魔をして全く見えない。 久しぶりに会う友達と祭りを楽しんで、花火見てばか騒ぎするはずだったのに。どうしてこんなところで泣いているのだろうと思うと、ますます悲しくなってきた。 「う……うぅー」 「ほら、ここからじゃ見えないんで向こう行きましょう」 「う?」 再び涙が込み上げてきたオレの手をとり、少年が立ち上がらせる。 花火がまた花開き、少年の姿が浮かび上がる。 結局、その少年と花火を見ることはなかった。すぐ後に携帯に友達から連絡があり、合流することになったから。 喧嘩したわけではないけど仲直りできて嬉しくて、心配かけてしまって申し訳なくて、すぐに変な少年のことは忘れてしまった。 どうして、急に思い出したのだろう。 洗顔を終え、鏡の中の自分をぼんやりと眺める。目元は真っ赤に腫れ上がって、唇にはかさぶたができて、とても人に会える状態じゃない。よかった。今日がお休みで。 かさぶたに、そっと触れる。 昨日、庚の姿が思い浮かんだ瞬間、横から腕を引かれた。何が起きたのかわからなくて、気づいたときには庚の背後にかくまわれていた。 庚だ。庚が来てくれた。 そう理解したら、涙が溢れた。 庚は、落ち着くまでずっと抱きしめてくれていた。あげく、部屋まで送ってくれたのに、オレは、まだ傍にいてほしいだなんて思ってしまった。 抱きしめられた感触は、すでに庚のにすりかわってる。でもまだ首筋や尻に触れられた感覚が残っていて。それも、上書きしてくれたらって。もし、あれが庚だったらだなんて、そんなことを。 とりあえず、次に会った時にちゃんとお礼を言わないと。そう、考えていたのに。 「あ、こ、庚。おはよ」 「おはようございます」 あ、れ? 目が合ったのは一瞬で、すぐにそらされた。すっと通り抜けられて。急いでいたのかなって。でも、何だか嫌な感じがして。 その後も、声をかければ返事をしてくれるし、用があれば話しかけてもくる。けれど、言葉はそっけなく、視線も極力合わせようとしない。 避けられて、いる。 「………かのと、最近秋吉と何かあったのか?」 「……え?……あ、何にも。何にもない、よ」 「そうか?」 あぁ、しずちゃんに心配かけてしまった。笑いかけてみても、しずちゃんの憂いは晴れない。 当たり前だ。だって、自分でも今の言葉に信憑性がないってわかる。庚には完璧に避けられている。少し前まではあんなに楽しそうに笑いかけてくれてたのに。 オレも、うまく笑うことができなくなっていた。 球技大会が終わったら、話をしようと決めていた。それなのに。どうして、こんなことになってしまったのだろう。 オレが、もっと毅然と断ることができてたら。きちんと抵抗することができてたら、避けられることなかったのかな。 前みたいに話したい。笑いかけてほしい。声をかけたいのに、怖くて言葉が出ない。このままじゃよくないってわかってるのに、足がすくんで動けずにいる。 抱きしめてくれたくせに。 キスしたくせに。 それとも、あれは泣く子をあやすためのものだったのだろうか。泣いてれば、誰にでもするのだろうか。 気づけば庚のことばかり考えていて、姿を追う回数も、以前より増えていた。 「………かのと、本当に大丈夫か?」 「大丈夫だよー。本当に何でもないから」 口ではなんとでも言える。 きつくて辛くて、心が悲鳴をあげている。食欲も落ちて、夜は眠れない。このままじゃ、身体がもたない。もう、限界は近かった。 だから、ちゃんと庚と話さなくちゃ。面と向かって、嫌悪を伝えられるのは辛いけど、今の、生殺しの状態が続くよりは。 それに、いつまでもしずちゃんに心配かけてるわけにはいかない。オレのせいで、しずちゃんの顔から笑顔が消えるのは嫌だ。 大丈夫。 庚に嫌われてもオレは一人じゃない。立ち直れるはずだから。 なのに怖くて一歩も前に進めない。 <> [戻る] |