***
緊張のあまり呼吸がうまくできない。
心臓がばくばくいって壊れそう。
でも幸せ!
彼がすぐ隣にイスを引っ張ってきて座っている。穏やかな笑みを浮かべてカップを傾けている。その視線の先にいるのは、お、オレなわけで。
ゆ、夢でも見ているのだろうか。
カップを持つ手が小刻みに震えている。せっかく彼が用意してくれたのに、うまく口に運ぶことができない。
そ、そもそも隣にいるわけなのだから、なにか会話を。話題を。でも頭が動かなくて何を話しかければいいのかわからない。
「会長?」
「っ!?な、何だ?」
「たまに図書室にいますよね?読書好きなんですか?」
こくこくと頷く。
と言うか、何と言うか。も、元々読書はするけど、図書室に通うようになったのは彼がいたからで。い、行けば姿を見れるかなって。
か、彼の目に入っていたとは。せ、生徒会長などをやっているから、多少目立っている自覚はあったが。この立場に感謝せねば。
「き、ききき、きた」
「ん?」
北村も、たまに図書室いるよな?
そう、言いたいのだけれど。彼の名前をうまく紡げない。な、名前を呼ぶのがこんなにも緊張するなんて!
「………お、オレも。た、たまに見かけてた」
「………オレのこと?」
ぎゅうと瞼を閉じて首を縦に振る。
「オレの顔、知ってたんですね」
「っ!?」
「驚きました」
ぶわぁっと顔に熱が集中するのがわかった。
「が、が外部、生だし」
「外部生全員覚えてるんですか?」
「い、一年の時、魚住と、同じクラス、だったろ?」
「あぁ…親衛隊の隊長さん?」
「それで、その……」
話を聞いたことがあると言えば嘘にならない。けど、事実でもない。ど、どうすれば良いんだ。まさか、ずっと知ってたなんて言えるわけない。
「クラス、訪ねた時に、外部生なのに、馴染むの、早くて、すごいなって」
どうにか言葉を紡ぎ、一呼吸入れる。
「それで、印象に、残ってたんだ」
「あぁ…そういえば何度か来てましたね」
おぼっ、覚えてて……っ。
「隊長さんと仲いいですよね」
「……あ、ああ」
調子に乗りやすかったり、適当なところはあるけど、頼りになる友人だ。
「………少し、妬けるな」
「え?………っ!?」
な、何っ!?
小さく呟かれた言葉がうまく聞き取れなくて。顔をあげたら、彼の手が頬を包んだ。間近にある彼の顔。
何この状況っ!?
マジで息できない。金縛りにあったみたいに動けない。せめて瞼を閉じて視線から逃れたいのに、それすらできない。
「あ……ぅ」
彼の親指がゆっくりと頬を撫でる。途端に、ぞくりとしたものが全身を走った。身体全体が心臓になったかのように脈打つ。
「………北村、これコピーだと」
彼の手が、すっと離れた。それでもまだ動けないまま。
「あれ?もう休憩おしまい?」
「ああ。………ほどほどにしとけよ」
「ん?何のこと?」
数枚の書類を彼に渡し、木梨が疲れきったようなため息をついた…気がするのだけと、全てが意識の外で。
「会長さん、大丈夫か?」
鼓動が、うるさいぐらいに響いている。い、ま、何が、起きてたんだ?気の、せいでなければ、彼の顔がやけに近づいていた気がするのだけれど。
「会長さん?」
「………え?」
熱くなったままの顔をももてあまして、どうにか呼吸を整える。ようやく、脳にまで届いた声に視線を向けると、木梨が眉をひそめた。
「……会長。もう休憩終わりらしいので戻りますね」
「………え?……あ、ああ」
振り向くと、彼はすでに立ち上がっていて。そうだ。今は休憩中だったんだ。
もう、戻ってしまうのか。
「……………………」
「っっっ!?」
じっと見上げていたら、おもむろに彼が動いた。
か、彼が近いってか、み、密着してっ、る?ぬ、温もりがっ。熱いっ。ぎゅうって。に、匂いがっ。すぐ横に彼の顔がっ。頬に、髪が、触れっ。な、にが。ど、どうしてっ!?
何が起きたのか正しく理解する前に、意識が遠退いた。
全力疾走してぐっすりと眠った後のような。そんな感覚の中、目を覚ますと、そこは仮眠室だった。
あれ?何で?
ああ。そうだ。彼に抱き締められて、気を失ったんだ。思い出した途端、身体か熱くなる。
恥ずかしいやらいたたまれないやらで、シーツを頭までかぶり丸くなる。つ、次はどんな顔をして会えばいいというのだ。いきなり気を失うとか意味不明すぎて驚かせただろうに。
でも、まだ彼の体温が残ってる。抱き締められた、その感触が。
カチャリと、ドアの開く音。
「………会長?目、覚めました?」
「っ!?」
大げさなくらい、肩が揺れた。おそるおそる目だけをシーツから出すと、彼がベッド脇のイスに腰かける。
このまま隠れていたいとも思ったけど、そんなわけにもいかないので慌てて起き上がる。くらりと、一瞬めまいがした。
「会長。無理しないでください」
「いや。その…悪い。いきなり倒れたりして……」
直視することができなくて、胸元辺りを見つめながら告げる。
「いえ。それより大丈夫ですか?」
「ああ。ほ、他の奴らは?」
「隣で仕事してます。皆、心配してましたよ」
「そ、そうか」
悪いことをしたな。
「あまり無理しないでくださいね」
「……ああ」
や、優しいな。何か色々誤解を受けてしまってる気がしてならないけど。でも、何であ、あんな、だ、抱き締めるとか、してきたのだろう。
き、聞きたいけど聞けないっ。ヤバい。思い出しただけでまた心臓ばくばくしてきた。
「あ、でも土井先輩の件は助かりました。ありがとうございます」
「いや……ん?あれは勘違いだったんじゃ…?」
礼を言われるようなことじゃない上に、取り越し苦労だったはず。そう思い視線を上げたら、彼がにっこりと笑った。
「ああ。やっぱり。会長だったんですね。連絡してくれたの」
「え?……あ」
「確かに違いましたけど、でもありがとうございます」
「ちがっ」
な、何で、わかったんだ?
「違うんですか?」
「お、れは、連絡しただけで……教えてくれたのは、別の奴、だから」
「なら、その人にお礼伝えてもらっていいですか?」
こくこくと頷く。
「でもやっぱり会長にもお礼したいので、何か希望とかあります?」
「いや…」
「何でもいいですよ?」
「な……何でも?」
「はい」
何でも。
オレ自身は礼を言われるようなことは何一つしていない。けれど甘い誘惑に心揺れる。ズルって、わかってるけど。でも、せっかくのチャンスだし逃したくない。
さ迷う視線を彼に戻せないまま、ごくりと唾を飲み込む。
「じゃ…じゃあ、一つ、頼んでもいいか?」
「どうぞ」
シーツを強く握りしめる。
「け、敬語じゃなくて、タメ口で、話して、欲しい」
「……………………」
「……だ、ダメならいいんだっ」
返事がないのが怖くなって、シーツの下の膝を抱えて額を押し付ける。い、嫌だって言われたらどうしよう。言わない方がよかっただろうか。涙でそう。
「……あー、いや。予想外で驚いただけだから。そんなんでいいのなら」
彼の言葉に、身体から力が抜ける。良かった。恥ずかしくって顔上げられないけど、本当に良かった。
「けど、理由を聞いても?」
理由。理由て。
「その…他、人行儀な感じがして」
「うん」
「で、できればで、いいんだ。迷惑じゃなかったら、その…」
口の中が乾燥する。心臓の音がうるさい。
「と、とも…友達に、なりたいなって」
「………いいよ」
「………へ?」
「まずは友達から、ね」
「は?」
聞こえてきた言葉がうまく理解できなくて。思わず顔を上げたら、彼はいつもと同じ穏やかな笑みを浮かべていた。
「連絡先教えてもらってもいい?」
「え?…え?…い、いいのか?」
「ん?うん。オレ、友達少ないから嬉しいし」
オレは今夢を見ているのだろうか。夢ならば覚めなければいい。だって、今日初めて会話したばかりなのに。信じきれなくて、じっと彼を見つめる。
「静癸?」
「っ!?な、名前っ!?」
「嫌?五十羅くんが友達なら名前呼びって言ってたけど?」
「い、そら?」
誰それと思ったのが伝わったようだ。
「五十羅真行くん。転校生の」
「あ。み、皆名前で呼んでたから…」
最初に会った時にフルネームを聞いたはずだけど、正直、彼のことで頭が一杯だったから残っていなかった。申し訳ない。
あれ?でも彼は下の名前で呼んでないのだろうか。
「とりあえず、これからよろしく」
「……あ、ああ」
ふと浮かんだ疑問を口にする前に、彼から手を差し出されつい握り返す。ぎゅっと掴まれたその感触は、離した後もずっと残っていた。
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