お出迎え
「桜子、すぐ来るだと」
その報告を聞き、月都は膝を抱えたままブスくれた。
シキが帰れと言っても月都は嫌がった。オレは他人のこと言えた立場じゃないので黙って眺めるだけ。押し問答を繰り返し、シキが携帯を手に廊下に移動した。
どうやら、桜子ちゃんに連絡したみたいだ。
「絶対帰らない」
シキは呆れたように息を吐き出して、ソファに腰かけた。
「……オレは、悪くない」
頑なに前だけを睨み付けて。テコでも動かないと意思表示している。あまり、口を挟むのは好きでないけれど、これ以上居座られるのはちょっと。
「……じゃあ、桜子ちゃんが悪いの?」
「……っ」
月都の瞳に動揺が走る。一瞬だけちらりとこちらを見て、何度か小さく唇を開閉した。
「……桜子が、悪いわけでも、ない。……でもっ、納得できねぇよ!だって、何で、バァちゃんは……っ!」
一気にそこまで吐き出すと、膝の上で組んだ腕に顔を埋めて押し黙ってしまった。よくわからないけれど、シキはそれだけで状況を理解したようだった。
ソファの背に体重を預けたまま、ゆっくりと息を吐き出す。
「……父方のか」
顔を上げないまま、月都が頷いた。
「お祖母さん?」
どういうことなのかと首をかしげる。シキがちらりとこちらに視線を向け、軽く肩を竦めた。
「あいつ、父方のバァさんと折り合いわりぃんだよ。本人は気にしてねぇが」
「……夢子さんは?」
「……良好だな」
確かに、桜子ちゃんははっきりとした性格をしているから、相性の悪い人もいる。けれど孫というのはかわいいもののはずだ。姉弟揃ってではなく桜子ちゃんだけで、しかも月都の様子では少々深刻な折り合いの悪さ。
そして、嫁姑関係のこじれのとばっちりでないならば、何やら複雑な事情があるのかもしれない。
ただ、桜子ちゃんが気にしてないなら、月都が気を揉む必要などない。本人が受け入れているなら、他人がどうこうすることじゃないのだから。けれど、
「……いくら桜子が気にしてなくても、見てるこっちが気分悪くなる。気にするなっつわれても、できるわけねぇよ。何にも、わかっちゃねぇ」
そのセリフは、ちょっと、耳に痛いな。
ピンポーン。
「あ、来たみたい」
月都がピクリと身体を振るわせる。
立ち上がりかけたシキを制して、オレが玄関へと向かった。ドアを開けると、変わらず自信に満ちた表情の桜子ちゃんがいた。
「やぁ」
「うん」
「ウチのが迷惑をかけたな。奧か?」
「リビングにいるよ」
「そうか。邪魔をする」
クツを脱いだ桜子ちゃんがリビングに向かう。その後ろについていった。
「月都。帰るぞ」
「……帰らない」
「駄々をこねるな。周りの迷惑を考えろ」
「……っ」
「……まったく。些末なことをいつまでもウジウジと。女々しい奴だな」
「なっ……!」
月都がようやく顔を上げる。
「気にするだけ無駄だと言っているだろ?何度言えば理解するんだ。そもそも、これは私の問題であって、月都には関係ないというのに、横でごちゃごちゃと」
「〜〜っから!」
月都が勢いよく立ち上がって、桜子ちゃんを睨み付ける。何だか雲行きが怪しくなってきた。
「関係なくないだろ!それに、見てるこっちが気分悪くなんだよ!大体、悔しくねぇのかよ!」
「私は私に恥じることは何一つないからな。他人にどう思われようと気にならん。そうやって周りの言動に気をとられてるから、お前は背だけでなく器が小さいというのだ」
「ちっ……他人のこと言えねぇだろ!お前だって背ぇ低いくせに!オレはこれから大きくなるんだ!」
「無駄な期待は持たない方がいいぞ?後でのショックが大きくなる。大体、背の低さを気にしている時点で小さい」
「んなっ!?」
……何か、論点がずれてきている。これ、いつまで続くんだろう。そろそろ、本当に、夕飯の準備を始めたいのだけれど。ほおっておいて、台所に行ってしまおうかな。
小さく息をついて、廊下の壁に肩を預ける。
「……おい。ケンカすんなら外でしろ」
「っ」
「あぁ……悪い」
シキが口を挟み、口論が一旦静まる。
「ほら、帰るぞ」
「か……帰らないつってんだろ。オレ、もうシキんとこの子になる!」
あぁ……また言った。
「……ほぅ?」
桜子ちゃんの声から温度が消える。月都がビクリと怯えた。シキは、うんざりとした表情で背もたれに片腕をかけ傍観している。
「月都」
「な、何だよ」
「反抗期、大いに結構。精神の健全な成長の証だからな。家出も……まぁ好ましくはないが認めよう。何事も経験だ。だが、ウチの子をやめることだけは私が許さん」
「か、関係、ねぇだろ」
「関係あるだろ。お前は九頭竜夢子の息子であり、この私の弟だ。その事実を否定することは許さない。……一晩だ」
スッと、桜子ちゃんが人差し指を突きつける。
「一晩やる。頭を冷やして帰ってこい」
「……おい」
「悪いがシキ、こういうわけだ。今夜は月都を頼む」
「いや、連れてけよ」
「無理だな。月都はこれで頑固だから。そういうところは、私に似ているな」
どこか楽しそうな桜子ちゃんの言葉に、月都はわずかに怯んだ。
「……月都」
シキの呼び掛けに、月都はいやいやと首を横に振る。シキが長く息を吐いた。どうやら折れてしまったようだ。
「何。邪魔になるようなら床に転がしておけばいい。夕飯も、一晩ぐらい抜いても問題ないだろ」
「……用意するよ」
「そうか。悪いな、椿」
ゆっくりと頭を振る。
月都が申し訳なさそうな表情でこちらを見ていた。
「……食器、ないから貸して。後、着替えもあった方がいいよね。オレがとってくるんでいい?」
月都がコクコクと頷く。それから小さな声でごめんと言った。それは、オレでなく桜子ちゃんに言ってほしいのだけれど、まぁ、仕方ない。気にしなくていいと手を振る。
「……じゃあ、ちょっと行ってくるね」
「悪いな」
「ううん」
シキが悪いわけじゃないし。
小さく笑いかけて、それから桜子ちゃんと一緒に外に出た。
「すまないな、椿。迷惑をかける」
「いや、オレはあまり人のこと言えないから」
「ははっ」
エレベーターの前で立ち止まり、ボタンを押す。
「……原因については、聞いたか?」
「少し。お祖母さんと折り合いが悪いって」
「ああ。私が一方的に嫌われている。私は向こうに好感を抱いているが」
「……そうなんだ」
エレベーターの扉が開く。中に入り込み、階数のボタンを押す。
「以前は気にしていなかったのだが、最近になって思うところができたようだ。知らないままでいいことも、あるんだがな」
「そうだね」
ポツリと答えると、桜子ちゃんがチラリとこちらを見た。その唇が、僅かに弧を描く。
どうしてだか、つられるようにして小さく笑ってしまった。
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