ミイラと干物と ■■■■■ 関係ない。 突きつけられた言葉が、思いのほか堪えた。 関係ないなんて、そんなことは言われなくてもわかっている。改めて忠告されるまでもない。 椿が誰に執着しているかなど、関係ない。ただ、描ければそれだけでいいのだから。 だというのにサキはわざわざ関係ないなどと、それも椿づてに。椿本人は詳しく聞いてはいないようだが、もし知っていてあの台詞を吐いたのだとしたら。 そこまで考えて緩く頭を振る。 知っていようと知っていまいと、何も変わらない。事実はまま、事実なのだから。 椿が誰に執着しているか、詮索する必要などない。椿を描ければそれで良い。そこさえ変わらなければ問題ない。 そのはずなのに。 目の前の小柄な背中を抱き寄せる。 「どうかした?」 不思議そうな、それでいて楽し気な問いには返答せず、腕の中の人物の首筋にすりよる。背丈は同じかやや低い。けれど肉付きの違いで、こっちの方が抱き心地がよいのだろう。向こうを抱き締めたことなどないから、比べようもないが。 いや。一度だけある。 最初に拾った時。意識を失っているのを、抱き抱えるようにして部屋に運んだ。その時の感触など、もう覚えていない。触れた髪の質感だけは染み付いているというのに。 「シキ君?」 吸い込んだ匂いは僅かに甘みがかっていて。それでも、喉の奥に残っているのはあの夜に香った湯と石鹸の匂いで。 「見ないのー?」 「……見てる」 アゴをセンパイの肩に乗せ、前に視線を向ける。テレビの中ではいつだかに放送されたという世界一美しいミイラの特集が流れていた。 「興味ない?」 「いや……まぁ、教会より神社や寺の方が好きだな」 「あぁ…うん。そうだろうね」 「興味なくはないが、もっと片田舎のこじんまりしたヤツの方が良いな」 あー…、と納得の声をあげたセンパイが、体重をこちらへと預けてくる。 「シキ君さ、もしかしてミイラと言えばエジプトのピラミッドじゃなくて河童?」 「いや。人魚」 「そっちかっ!」 大声を出したセンパイに、クツクツと笑いがこぼれる。 「確かに興味深いフォルムをしてるけど…どっちかってと干物みたいじゃない?」 「いや、食えねぇだろ」 「え?そういう区別なの?」 身体を捻ったセンパイが見上げてくる。それに、眉をひそめて答えた。 「違うのか?」 「だって、人魚も食べられるじゃん」 「それ言ったら人間もだろ?」 「両方保存物だし」 「保存用と保存食で食ってついてんじゃねぇか」 「えー?」 まだ納得できないのか、大きく首をかしげる。 「大体、保存で区切んなら冷凍保存もあんだろうが」 「あー、アイスマンとか雪女?」 「雪女?」 アイスマンはともかく、もう一方は冷凍保存との結び付きがわからない。 「確か人間の男を氷漬けにしてたはずだよ」 「正体ばれて帰る話じゃなかったか?」 「それ混ざってる。雪女は見逃す代わりに自分のこと誰にも話すなって約束させたんだよ。で、それ破ったから出てく話。正体ばれるのは鶴の恩返し。まぁこっちも見るなっていう約束破ったからだけど」 約束。 ならば、詮索するだけならいなくはならないのだろうか。一瞬、静かに隣に座っている姿が脳裏に浮かんで消えた。 誰に執着しているのか。 ―――………何を、言われたの? それは、オレには関係のないことだけれども。それでも。 「………訊くだけなら」 「ん?」 「いなくならない…のか?」 甘い期待に胸が疼く。 答えを望めるわけではない。それでも訊ねることを、興味を持つことを許されるなら。 いなくならないなら。 高揚感を抑えるために、腕の力を強める。目の前の肩に額を押し付けた。 「いなくなったりしないよ」 「………そうか」 いて欲しいなら何も訊ねなければ良い。それはわかっている。けれどもう、それだけでは満足できない。表面をなぞるように描くだけでは足りない。 もっと深いところまで。でなければ望むところに届かない。触れることは戸惑われるから、せめてその内面を。そうすればあの空気を表現できるような気がして。 「何か訊きたいことでもあるの?てかいなくなるってどこから来た発想?」 「………」 センパイの、明るい声にふと我に帰る。夢から覚めたばかりのように頭がうまく動かない。けれど今、一体何を考えていた。 冷凍保存の、元はミイラの話をしていたはずなのに。意識は全く別のところに飛んでいた。 描きたいと、そう思うことはままあるが、今はそんな状況ではない。だというのに。 「シキ君?」 「あー…、‘ユキ’女だから?」 「その‘ユキ’じゃないけどね」 「まぁな」 何てことなく会話が続き、内心ほっと息を吐く。 「で?何が訊きたいの?体重以外なら答えるよ」 「いや、それ知ってる」 「はっ!?何でっ!?」 ガバッと身を離したセンパイが、驚愕の表情で振り返る。離れた体温を追いかけることはせずに、両手を脇についた。 「持ち上げれば大体わかんだろ」 「何その無駄に最悪な特技!?普通わかんないよこんちくしょう!」 心底悔しそうな態度に気分がよくなる。どうでもいいが、床に拳を叩きつけるのは階下の住人の迷惑になるんじゃないか? 「………つか、体重ダメでスリーサイズはいいのかよ」 「………だって、それこそ百聞は一見にしかずじゃない」 まぁ、そりゃそうだろうがどっちも同じじゃないのか。ぼんやりとそんなことを考えていたら時計が目に入った。 もう、こんな時間か。 「センパイ、そろそろ帰るな」 「え?あー…、うん」 何か言いたげに見上げてくるセンパイに眉をひそめる。 「どうした?」 「シキ君さ……やっぱいいわ。これ、あげるね」 あげると手渡されたのは十二月頭まで開催されている展示会のチラシ。 「それ、ちょっと興味あって。シキ君も好きかなって」 「だな。サンキュ」 「んーん。じゃ、気を付けて」 「ああ」 玄関を出ると途端に肌寒くなる。日はすでに沈み、辺りは薄暗い。まだ遅い時間帯ではないというのに。 醤油やバターの香り。魚の焼ける匂い。そんなものを嗅ぎながら、今日の夕飯は何かと思いを馳せる。 早く、帰ろう。腹が減っているわけではないけれど。それでも。黙々と料理している姿が浮かぶ。口元に小さく笑みが浮かんでいたなんて、気づいていなかった。 関係ないなんて、そんなこと。 <> [戻る] |