shake
「あ、おかえりなさい」
「………ただいま」
荷物をおいて台所に向かったら、ちょうど椿が出てきた。手にはカップを一つ持っている。
「コーヒーあるけど飲む?」
「ああ。………椿」
「ん?」
踵を返しかけた椿を呼び止める。
何?と見上げてくるその目をじっと見つめた。特に、何か用があるわけではない。
椿が首を傾ける。さらりと髪が揺れる。ぎゅっと、一度握りしめた手を、少し悩んで差し出した。握手を求めるように。
「………ん?」
不思議そうに、手と顔を何度も見比べている。何も説明せず、ただ見つめて待つ。やがて、おずおずと手を重ねた。強く、握り返す。そうして、軽く上下に揺らした。
「………え?何?」
疑問の眼差しを向けられるが、軽く笑って流す。
ただの握手にしか過ぎない。深い意味などない。ただ、軽くとはいえ椿が手を握ってくれているから、わずかながらの満足感を得られたというだけだ。
「そういや、テレビあれば見るか?」
「そりゃ、あれば見るだろうけど。なくて不便はないよ」
「だよな」
訳が分からないといった椿に説明せず、確認することがあったのだと口を開く。ちらちらと握手したままの手を気にしながらされた返答は、予想通りのものだった。
「テレビがどうかした?」
「今日、叔母から連絡があって」
「うん」
「テレビ買い換えるから、古いのを譲ると」
「そうなんだ」
いるかどうかの確認ではなく、最初から決定事項として連絡があった。どうせまだ買ってないでしょと。確かに、必要性を感じず買っていなかったが。
「で、次の休みに持ってくる」
「あっ」
取りに行くと伝えはしたが、マスターにも用があるらしく、そのついでだと言われてしまえば断りきれない。これが連休中のことなら、椿が出かけていてちょうど良かったんだが。
「その日、オレも用がある」
「ん?」
「前に言ってた忍と会うかもってやつ。今日連絡あって、その日になった」
「………今日、遅くなったのは会ってたからじゃないのか」
「うん」
椿から連絡があった時、以前に呼び出されるかもと言っていたのを思い出した。それで何となく、そうなんじゃないかと勝手に。放課後の一時ですめば良いという思いも、あったわけだが。
「なら、言わなきゃ良かったな」
「ん?」
「帰ってきてあったら、驚くだろ?」
「それは、まぁ」
その反応を見たかったと言えば、椿は呆れを見せた。
「………まぁ、そういうわけだから」
「ん。わかった」
会話がとぎれる。椿の視線が手元に落とされる。
「………向こうの家」
「ん?」
「にいた時は、テレビ見てたのか?」
もう少しこの状態でいたくて、他愛ない話題を探す。
「見てたってか、ついてれば眺めてたけど」
「どんなのだ?」
「どんな………」
思い出すように、椿の視線が動く。
「ニュースは、見てた。後は………歴史とか旅関連の?映画もたまには。あぁ、後、子供向け番組とか」
「へぇ」
「………シキは?」
こちらに視線が戻る。
「あー………悟んとこいた時、たまについてたが………ほとんど聞き流してたな」
「絵、描いてたから?」
「悪いか?」
「シキらしい」
ふふっと、椿が楽しそうに笑うから、ついつられてしまった。
「あぁ、けど、たまに気になる景色や建物が映ってたら、見てたか」
「内容関係なく?」
「ああ」
どんな番組がついてたか。ニュースやドキュメントものが多かった気がする。後は、歴史や時代物もついてた気がするが、どうだったか。
もっと昔の、実家にいた頃のは遠い記憶なのでほとんど覚えていない。
「オレも、積極的につけたりしないから、あってもあまり………あっ」
思わずといった感じで椿が手をひっぱる。すぐにしまったという表情で手とこちらを見る。気にせず笑って先を促せば、ホッとして見せた。
「そう言えば、ちょっと見たい番組があったんだった」
「へぇ?」
「光太に、録画頼もうかと思ってたんだけど」
「なら、タイミング良かったわけか」
「ん」
こくりと、椿が頷く。
「どんなんだ?」
「深夜ドラマ。夜の街を舞台にした、都市伝説モノらしいんだけど………シキはヤエから聞いてない?」
「ん?あぁ、もしかして出るのか?」
「一回きりのチョイ役だって」
番組の内容が気になるわけではなく、知り合い、友人になるのか、が出るから見ておきたいってだけか。
「なら、見逃さないよう気をつけねぇとな」
「うん。基本、一話完結らしいから、その回だけ見ても話分かるっていってたし」
「けど、深夜なんだろ?翌朝平気か?」
「………ん。曜日まだ確認してなくて。土曜ならいいんだけど」
椿が真剣な表情で悩んでいる。その様子に、ふっと笑みがこぼれる。
描きたい。
不意にそう思った。そしたら自然に、握っている手に力がこもった。椿の肩がわずかに跳ねる。視線が揺れ、そらされた。
「………シキ」
「ん?」
「えっと、コーヒー」
「あ?あー………悪い。冷めるよな」
「じゃなくて、飲むんじゃ」
「………だったな」
そういや、そんなことを言ったんだった。逡巡の後、名残惜しいが手を離す。
椿の右手は、少し彷徨ってからカップを支えた。
………冷めるってだけじゃなく、片手でずっとカップ持ってりゃ、そりゃ腕が疲れるよな。
「じゃあ、すぐ用意して持ってくから」
「………わかった」
視線はそらされたまま、椿が台所に引っ込む。
ソファに座り込み、背もたれに体重を預ける。ゆっくりと、息を吐き出した。
何を、やっているのか。
思い返してみるまでもなく、先ほどの自分の行動は、端から見れば奇行にしか過ぎなかったろうに。椿にはどう思われただろうか。
軽く反省しながらも、意識はどうしたって手に集中してしまう。まだ、握り返された感触が残っている。
もう一つ、息を吐いた。
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