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温もり




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 抱きしめたいと、言ってしまいそうになった。

 戸惑いながらも、嬉しそうにしていた。楽しいと、そう言ってくれた。その気持ちのまま、一日の終わりを迎えさせたかった。

 相手を認識した瞬間、気分が急下降した。台無しだと思った。煩わしくて、早く立ち去りたくて。そんな思いが態度に出てたのだろう。椿に気を使わせてしまった。

 それでもって自己嫌悪に陥って、さらに心配させたのだから世話がない。けれど。

 何時だったか、抱きしめるようにして光太を落ち着かせていた。サエの我慢が切れた時には駆けつけていた。ならば、もし、

 ……もし、オレが落ち込んだ時には、抱きしめてくれるだろうか。抱きしめさせて、くれるだろうか。そう、考えてしまったことがある。

 きっと、だからだ。椿がオレを喜ばせたいと、力になりたいと必死な様子で告げてきたとき、抱きしめたいと思わず言ってしまいそうになったのは。今なら、許されるんじゃないかと。

 どうにか、別の言葉に変えた。変えた言葉も、大差ない物だったが。

 返事を聞きたくなくて。反応を見たくなくて。訊ねておきながら、答えの前に行動に移した。驚き、強ばった身体。けれど、拒絶されることはなかった。そのことに安堵した。

 肩に置いた手を、背中に回してしまいたかった。強く拳を握り、どうにか耐える。

 少しずつ、椿の身体から力が抜けていく。そうして、遠慮がちに、けれど労るようにそっと頬をすり寄せてきた。

 その時の温もりが、まだ残っている。

 紙をめくる。鉛筆を動かす。目の前の葉を描き写していく。

 先日の出来事が頭から離れない。無心になりたくて手を動かしているのに、どうしたって思い出してしまう。

 必死な表情。触れた温もり。戸惑いに揺れる瞳。

「………………描きてぇ」
「えっ?」
「あ?」

 こぼれた言葉に、驚きの声があがった。見れば何故かすぐ横に黒沼が。思わず顔をしかめる。

「今何時だかわかってる?」

 呆れ顔で言われて、時計を確認する。

「…………帰るか」
「こんだけ描き続けときながら、まだ足りないとか」

 無視して、スケッチブックと鉛筆をしまう。

 昼過ぎに、椿から今日は少し帰るのが遅くなると連絡があった。だから時間つぶしの意味合いも少しあったわけだが。流石にこの時間なら、家につく頃には椿ももう帰っているだろう。

 歩き始める。ついてこられた。

「…………」
「用があるんだって」

 こっちはない。

「四季崎が返事くれないから、打ち合わせの日時すら決まらない」
「あー……任せ」
「任せるはなしー」

 やれやれと首を振られた。

「それが許されるなら、オレだって全投げしてるってー」
「……何時だっけか」
「メールを見てすらいないとは」
「覚えてねぇだけで、見はした」

 返事を聞くより自分で確認した方が早いと、歩きながら携帯を取り出す。

「……平気だ」
「んー。わかった」
「…………んだよ」

 何か言いたそうな目をじっと向けられた。顔をしかめれば、諦めるようなため息をついてくる。

「それ、いったい何日前に送ったと」
「…………」
「充電、あまり切らさないようにはなったみたいだけど、結局いつまでたっても返信しないなら意味ないよね」

 ふいっと、顔を背ける。

 すぐに返信することだってある。ただ、その相手が限られているだけだ。

「オレさぁ、周りの人に面倒見てもらうのが好きなんだよ」
「あ?」

 突然、何を言い出すのか。

 見れば、眉間にしわ寄せて真っ直ぐ前を向いていた。どことなく、面白くなさそうな表情をしている。

「なのにここでは、オレが四季崎の面倒見るみたいに周りに思われてるみたいで、なーんか、納得いかない」
「誰が……」
「下の子が生まれたら、上の子はしっかりするって言うじゃん」
「………………」

 先ほどとは一転して、楽しげな表情になる。何か、良いことでも思いついたように。声もわずかながら弾んでいるが、言っていることは訳が分からない。

「こんな感じなのかな?」
「誰と誰が兄弟だ」
「オレと四季崎。お兄ちゃんって呼んでも良いよ?」
「誰が呼ぶか」

 くだらないと息を吐き捨てる。

「じゃあ、打ち合わせ忘れないでねー……って本当ならこれもオレが言われる側なのになー」

 適当に手を振り返し、バス停で別れる。

 まだ納得できないといった様子だが、今まで言われる側だったなら、これで言う側の気持ちが分かるというものだろう。大体、ああ言っていたが、面倒見られた覚えはない。

 カバンを背負い直し、一つ息を吐く。

 夕飯は、何だろうか。

 弁当を、用意してもらうようになった。弁当箱があるからか、前に見かけたのと違って手を加えた中身だった。手間を増やしてしまったかと少し不安になったが、何故か少し楽しそうにしていたので、問題ないようだ。

 台所に立つ姿。おかえりと迎える表情。ゆっくりと箸を動かす仕草。風呂上がりの一時。手の感触。

 そうして、やっぱり先日の夜のことを思い出してしまう。

 ほぼ抱きしめるような体勢。至近距離の温もり。擦り寄せられた頬。けれど、

 空いている手が、背に回されることはなかった。強く掴んだ手が、握り返されることさえ。

 ぎゅうと手を握りしめる。

 仕方がないとわかっている。どうしてと思う方がおかしいのだとも。拒絶されなかったのだから、十分じゃないか。望む方がどうかしている。それでも、

 触れるだけじゃ足りない。

 椿からも、触れて欲しい。手をのばして欲しいだなんて、そんな、

 そんな、バカなことを思う。

 風が吹く。ゆっくりと、息を吐く。こんな思いが頭を占めたまま顔を合わせるわけにはいかない。家につくまでに頭を冷やさなくては。

 温もりが、まだ残っている。

 …………早く帰って描きたい。





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