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前夜




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 帰ったら、ちょうどソファの上で椿が起き上がるところだった。寝てたのかと問えば横になっていただけだと言う。

 少しゆったりめのテンポからすれば、寝てはいないまでもウトウトぐらいはしていただろうに。だというのに起き上がり、嬉しそうにこちらを見つめてくる。睡眠よりも、共に過ごす時を優先させるのかと思えば、どうしたって喜びがこみ上げてきてしまう。

 他愛のない会話をして暫し。椿は唐突に夕飯の支度をすると台所に行ってしまった。明日の朝は早い。だから自然と夕飯も早くなる。仕方がない。わかっては、いる。

 それでも、連休中は顔を見ることができないのだから、今の内にと思っていたのに。ままならない。深く、息を吐き出す。

 少しだけ時間をおいて、後を追った。

 入り口の横に寄りかかる。視線こそ向けられなかったものの、椿の意識がこちらに向いたのがわかった。構わず、スケッチブックを開く。

 料理中はこちらに背を向けてることが多い。だから、自然と描けるのも後ろ姿ばかりになる。近づけば他の角度も描けるが、邪魔するわけにはいかない。対面式のカウンターキッチンだったらなと、思ったことは何度かある。

 とにかく、ひたすら手を動かしていたが、こちらの気が済む前に一区切りついてしまったようだ。椿が確認するように見回し、一つ頷き息をつく。そうしてこちらに振り向く。少しだけ驚いた様子を見せ、近寄ってきた。

「……終わったのか?」
「んー…とりあえず、手は空いた。後はまぁ、ご飯炊ければ」
「そうか」

 声をかけたからか、椿はそのまま隣に並んだ。紙をめくり、椿のいない風景を描いていく。

「……今日は、早く寝るのか?」
「ん?……うん。そのつもり」
「なら、洗い物はやっちまうから、その間に荷造り済ましちまえよ」
「え?」

 椿がこちらを向いたのがわかった。けれど視線を前にしたまま、手を動かしていく。

「どうせたいして時間かからねぇだろうが、少しは違うだろ」
「そう……だね。ありがとう」

 フッと自嘲する。単純に、荷造りする姿を見たくないだけだ。

「……シキは」
「……ん?」

 どこか、躊躇いがちに椿が口を開いた。

「今日も遅いの?」

 遅い。

 流れからしたら、寝る時間のことだろう。いつからか、椿が寝入ってからベッドに入るようにしている。だから椿は、オレが夜更かししていると思っているのか。あながち、間違いでもないが。けれど、椿の寝る時間が以前より早くなってもいる。

「……今日は、疲れたし早く寝る」
「そう」

 何となくで答えれば、帰ってきたのは短い言葉。けれど、喜んでいるのが雰囲気で伝わってきた。

 風呂に向かう時。寝室に向かう時。椿の後ろ姿は名残惜しそうに見えることがある。それを、もっと一緒にいたいからかと思うのは、都合のいい解釈だろうか。

 引き留めてしまいそうになることはある。けれどいつも、どうにか抑えている。

 提案したとおり、夕食後、椿が荷造りしている間に食器を洗う。最初に拾った時の荷物の量を思えば、五分とかからないだろうと踏んでいた。けれど、

「……椿?」
「ん?……ちょっと、探し物?」

 洗い物を終えリビングに戻ると、椿は何やらうろうろしていた。

「……何が見つからないんだ?」
「大した物では……でも、もうちょっとかかりそうだから、何だったら先にお風呂はいって」
「いや、それだと遅くなるだろ」
「平気。それにシキも早く寝るんでしょ?」

 だから、ね?と笑みを向けられてしまう。強く断る理由はない。ならばとそのまま湯船につかることにした。

 ぼんやりと、浴室の壁を眺める。軽い気持ちで手伝おうとしたが、はぐらかされた気がする。何を探しているのか知られたくないのか、それとも本当に大した物ではないのか。気にしても仕方がないのだが。

 一つ、息を吐く。

 明日のこの時間、椿はいない。ヤエと二人きりで旅行。もう一つ、息を吐いた。

 風呂から上がると、椿はソファでくつろいでいた。見つかったのかと問えば返ってきたのは曖昧なもの。隣に腰かけ一休みしようとしたが、椿はすぐに風呂に向かってしまった。

 どうせすぐに出てくるとわかっているが、なかなか思うようにいかなくて面白くない。いつもより時間をかけてハンドクリームを塗っても、罰は当たらないだろう。

 風呂上がりの、石鹸香る椿の手にゆっくりじっくり丹念にクリームを塗る。一心に手を見つめて。できるだけ時間をかけて塗れば、ある程度気は晴れる。

 旅行中、どうするのか気になったが訊ねはしなかった。自分で塗ると言われてしまったら、こうして手に触れる口実がなくなってしまう。だからといって、代わりにヤエになど考えたくもない。

 手を軽く握り、じっと見つめる。

 早く寝るならば、何時までもこうしているわけにはいかない。わかってはいるが離し難い。いっそこのまま手を引いて寝室までだなんて、いったい何を考えているのか。

「…………夕飯」

 そろそろ手を離さなくては。そう思った頃、椿がぽつりと言葉をこぼした。反射的に顔を上げるが、椿は手元を見つめている。

「作ってくれるって、話の事、なんだけど」
「ああ。決まったのか?」

 躊躇いがちにこちらを見た椿は、けれどすぐに視線を戻してしまう。

「…………思い、つかなくて。でも、何かさっぱりして温かい……火の通ってるもの?お願いして良い?」
「わかった」

 答えれば、椿は何故か安心したようだ。そっと息を吐き、ひっそりと笑んだ。その事に、安堵する。

「……じゃあ、そろそろ寝るか?」
「ん」

 明日の朝は早く、きっと連休は長く感じられる。





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あきゅろす。
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