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おやすみなさいの前に




 二人分のつもりで用意していて急きょ三人分になったので、少々献立を変える必要があった。買い足しにいく時間などないので、あるものでどうにかする。

 迷惑賃としてきんぴらごぼうを分けてもらったので、一品分は楽できた。

 夕食後、シキはスケッチブックを開き、月都は勉強を始めた。桜子ちゃんに持っていくよう勉強道具も渡されといたのだ。受け取ったとき、月都はわずかに嫌そうな顔をしていた。それでもきちんとやるのだから素直というか何というか。

 順番に風呂に入り、最後に出る。着替えを終え、缶を手にしたまま一旦リビングを通り抜けた。水を一杯飲んで、それからソファの上のシキの隣に腰かける。

 缶を、渡す。

 シキの手が缶の蓋を開ける。指先で一掬いし、一度缶を脇に置く。クリームのついてない方の手を差し出されたので、その上に自分の手を重ねる。ゆっくりと、丁寧にクリームが塗られていく。

 顔を上げず、じっと手の動きを見つめていた。わずかに心拍数が速くなっていく。触れられた手が熱い。動くことができない。

 手が離され、シキが缶に手をのばす。もう一掬いし、手をさしのべられる。先程とは逆の手を重ねた。

 手のひら、指の間、指先、手の甲。手首の近くまで。クリームを薄く塗り広げていく。マッサージするように、両手で揉まれて。終わってからも、しばらくは軽く握られ様子を確認される。

 これ以上ないってくらい丁寧に扱われてるのに、もっと時間をかけてほしいだなんて。

「……どうした?」
「……え?」

 シキの声に顔を上げる。考えていたことが伝わってしまったのかと思ったけれど、シキは月都の方を見て眉をひそめていた。月都に言ったのか。

 問われた方の月都と言えば、なぜかこちらを凝視して固まっていた。

「月都?」

 シキが重ねて問う。月都がビクリと反応して、視線を泳がせる。

「え?いや……えっと、その、な、何してんだ?」
「あ?」

 シキと顔を見合わせる。少し考えてから、あぁと意味がわかった。

「ハンドクリーム、塗ってもらってた」

 シキはそういうことかと納得を見せたが、月都は腑に落ちないよう。物言いたげな目を見せるので、首をかしげる。

「……何?」
「……じ、自分でやれよ」

 もっともな意見だ。

「苦手で」
「ぬ、塗るだけじゃねぇか」
「そうなんだけどねぇ」
「……ほっとくとやらねぇからな。こいつ」

 仕方ねぇだろと、シキが言う。それでも月都は納得できないようで、しきりにそわそわしていた。まぁ、確かに、変なことかもしれないけど。でもシキが塗ってくれるって言うし、オレとしてはその厚意に甘えておきたい。

「……でも……つか、いつまで、手」
「ん?」

 左手を、シキに預けたままになっていた。一度、シキと顔を見合わせ、どちらともなく引っ込める。

 離れた体温が名残惜しく、そっと、手を握りしめた。

「……そろそろ寝るか?」
「ん。そだね」

 何となくシキの方を見れなくて、視界に姿が入らないようにしながら頷く。これ以上、月都に質問されても困るし、そうそうに寝てしまった方がよいだろう。

「ベッドはお前らで使えよ。オレはここで寝る」
「え?」

 聞こえてきた言葉に、思わずシキを見上げる。

「いや、オレがここで寝るよ。元々そうしてたし。シキと月都でベッド使ってよ」
「……え?椿いつもソファで寝てるのか?」
「…………」

 不思議そうにしている月都を見てから、シキに視線を戻す。シキも、一度月都を見てからこちらに視線を戻した。

「……お前らで使え」
「……シキと月都で使いなよ」
「え?無視っ?」

 いやだって。違うともそうとも言いにくい。

 シキが普通にしてるから、そんな変なことでもないんだろうけど。でもそれこそ、居座り続けるつもりなら布団用意しとけって話になりそうだし。そうなったら、もうシキとは一緒に寝れなくなる。それは、少し、寂しい。

 だからと言って、違うと嘘をついてしまったら、それこそ隠さなきゃいけないことのようになってしまう。やましいことなどあるわけないのに。

 シキも同じような考えなのか、月都に答えるそぶりはない。

「小さいの二人で使った方が狭くねぇだろ」
「……小さい」
「小せぇだろ。オレよりは」
「まぁ、確かにそうだけど」

 それでも、一緒に寝る相手がオレから月都に変われば、シキにしてみれば普段より広く寝られるだろうに。ソファよりはましなはずだ。

 月都は、じゃあ自分がソファでなんて言い出したら、シキとオレが一緒に寝るはめになると思ってただ成り行きを見守ってる。実は、それはいつものことだけど、月都は知らないし。何か、月都がいるのにシキとってなるのは気まずい。何より、月都は一番小さいから、ソファで寝かせるわけにいかない。床に転がしていいと言われていても。

 だからと言って、家主であるシキをベッドから追い出すのもいかがなものか。本来ならオレが一番イレギュラーな存在なのだから、オレがソファで寝るのが筋なのに。

 どうしようか考えあぐねていると、シキが口を開いた。

「……そんなにソファで寝たいのか?」
「……うん」

 シキが、フッと笑みを浮かべる。なんだか嫌な予感のする笑い方だった。

「んなに寝心地いいなら、一度試しとかねぇとな?」

 あ、何がなんでも譲らない気だ。この人。

 悪戯に成功したかのような表情を、恨みを込めて見つめる。別に、ソファの寝心地がいいからそう言っているわけじゃないってわかってるくせに。いや、ソファで寝るのも好きだけど。

 ソファの寝心地が譲りたくないぐらいいいなら、それこそ家主、というか持ち主に使わせろ。そんな言い方をされてしまったら、なにも言えなくなる。てか、今日は好きにしろと言ってくれないんだ。

 仕方がないと息を吐く。これ以上何を言っても無駄だ。

「……わかった」
「くくっ」

 あぁもう。本当に。楽しそうに笑われたら、文句の一つも言えなくなる。

「月都。じゃあ一緒に寝ようか」
「……あ、わかった。……よろしく」

 本当にいいのだろうかと戸惑いを見せる月都に、笑いかける。

 絶対に帰らないと息巻いてたけど、寝る場所までは考えていなかったのだろう。いや、普通にオレがどこかに布団ひいて寝てると思ってて、ソファを使うつもりだったのかも。だとしたら、悪いことをした。

 それにしても、月都と寝るのか。大丈夫かな。シキとの時は平気だったし、大丈夫だとは、思うけど。

 不安がつきまとって仕方ない。

 先程までシキが触れていた手を、そっと首筋にあてがう。小さく、息を溢した。





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