寝起きどっきり
寝付けなかったわけでもないのに、やけに早く目が覚めた。すぐ傍に温もりがまだある。シキはまだ寝ている。ならば自分もと、二度寝をしようとしたけれど、なぜだか落ち着かなかった。変にしっかり目が覚めてしまっている。
何となく、寝返りをうって、息を飲む。
シキがこちらを向いて眠っていた。すぐ近くにある寝顔に、思考が一瞬止まる。思わずまじまじと観察してしまい、それからゆっくりと身を起こした。
どうにか息を吐くものの、かなり動揺してる。心臓がばくばくしてる。どうしよう。
ちらりと、シキの寝姿に視線を落とす。気持ち良さそうに寝ている。いつだったか、シキがしたようにその髪に触れてみたいと思った。
ゆっくりと深呼吸し、それからそっとベッドを抜け出す。布団から出てしまえば寒さで身が震えるが、今はその冷たさが心地よい。わずかな熱を冷ましてくれる。
リビングに出て、ほぅと息を吐く。
心臓に悪い。驚いた。いつも、シキが先に起きてるから。だからこっちを向いて寝てることがあるなんて知らなかった。あんなに、近くに。
どうせなら、もう少しじっくり見とけば良かったかもしれない。そんな機会、そうそうないだろうし。まぁ、今から戻る気にはなれないけど。
ベランダのカーテンを開けると、空は明らみ始めていた。夜明け。ずいぶんと早い時間に目が覚めてしまった。
先に起きたと知ったら、シキは驚くかな。
その様を想像すると少し楽しくて。くすりと小さく笑ってから洗面所に向かった。
洗顔を終えて軟らかいタオルで顔を拭いていると、なぜかガチャリと玄関の開く音がした。人の入ってくる気配がする。何が起きてるのかわからず、身体が硬直する。
シキは、寝室で寝ている。だから、外から入ってくるわけがない。起きたにしても、廊下を通って一度出ていった気配はなかった。
じゃあ、一体なんなんだろう。ぐるぐる考える内に、気配は廊下を進んでくる。一歩、また一歩と近づいてくる。
そっと、タオルから顔をあげ、鏡を見つめる。やがて姿を表したのは、大柄な女性だった。
「あら?」
思わずビクリと肩が揺れる。恐る恐る振り返ると、その人は不思議そうに首をかしげた。
「あなた、史規のお友だち?」
そうとも違うとも答えられずにいると、その人は困ったように笑いながら手をふった。
「あぁ…ごめんなさい。大丈夫。怪しいものじゃないから。私は史規の母親」
「…………シキの、お母さん?」
「そう。あの子はまだ寝てる?まだ寝てるのでしょうね」
ふふふと笑いながら、立ち去ってしまった。笑ってるけど、笑ってない。目が据わっていた。
とりあえず、タオルを置く。
廊下をもう一度振り返って、それからタオルに視線を下ろす。落ち着こう。
シキの、母親だと言っていた。それなら、合鍵を持っていてもおかしくはない。こんな朝早くに何の用なのだろう。シキは、来るのを知っていたのだろうか。
知らないんだろうな。きっと。だって、寝てるし。
どうしよう。起こしに行った方がいいのだろうか。でももうシキのお母さんが起こしに行ったし。用があるなら、邪魔しない方がいい。
だからといって、ここに突っ立っていても仕方がない。リビングに、とは思うもののうまく足が動かなかった。
「…………椿?」
不意にかけられた声に振り向けば、シキが立っていた。
「ここにいたんだな」
「あ……うん」
「史規。下に車回しておくから。早く支度なさい」
廊下からかけられた声に、シキはわずかに嫌そうな顔をする。ガチャンと出ていく気配がしてから、重たげなため息が聞こえた。
そうして、支度をするどころか入り口のところに寄りかかってしまう。
「悪いな。朝から騒がしくて」
ふるふると首を横に振る。少し考えてから、口を開いた。
「…………おはよう」
「ああ。おはよう」
ふっと笑みを浮かべられ、つられて頬が少し緩んだ。何となく、ほっと息を吐く。
「少し、出かける」
「ん」
「なるべく早く帰る」
「うん」
「夕飯、大根食いたい」
まだ朝早く。朝食すらとる前にされた夕食のリクエスト。それもやっぱり料理名ではなく材料でなので、笑ってしまう。
シキも、笑みを深めて。どことなく優しい眼差しに、いかないでほしいななんて思ってしまった。
「わかった」
シキのお母さんは早くと言っていた。だから、のんびりしてるわけにはいかない。けど、もう少しだけ、こうしてたいなんて。
「…………シキ」
「ん?」
気づいたら名前を呼んでいた。
先を促されても、何か言いたいことがある訳じゃないから困る。どうしようかと視線を泳がせ、短く嘆息した。
「…………待たせてて、いいの?」
「あぁ……いや」
ふいと視線をそらしたシキが、疲れたような息を吐く。その姿に苦笑してしまう。
ふっと、視線をこちらに戻したシキが、それに気づき方眉を上げる。それから仕方ないとばかりに口角をわずかに持ち上げた。
「何か話、したか?」
「ううん。シキのお母さんとだけ」
「あぁ……まぁ、そうだな」
シキがまっすぐ見つめてくる。首をかしげると、何でもないと言うように頭を振った。
「…………?あ、挨拶し忘れた」
「気にすんな」
「でも…シキには世話になってるのに」
くつりと笑われた。
「世話してんの、お前だろうが」
「そんなことないよ」
「そんなこと、ある」
納得できずにいると、シキがクツクツと笑い出す。何だか楽しそう。
ようやくシキが壁から背中を離し、洗面台に向かう。それと入れ違いに洗面所を出て、リビングに戻った。
ソファに座りしばらくぼんやりしてると、身支度を終えたシキが姿を表した。
「じゃあ、行ってくる」
「ん。いってらっしゃい」
ソファから立ち上がりはせず、見送りの言葉を口にする。背を向けたシキに、何となく一言付け足した。
「…………気を付けて」
振り返ったシキが、わずかに笑みを浮かべ、ひらりと手を振る。それに軽くふりかえし、ソファに体重を預ける。
あぁ、行っちゃった。
そんなことを思いながら、少しの間そのまま廊下の方を眺めていた。
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