月へ唄う運命の唄
月へ歌うアイの唄4
こんな事があっていいのだろうか。
否。
いいわけがない。許される筈がない。今目の前でふんぞり返るこの男はなんと言った?
「聞こえなかったのか?ならばもう一度言おう。私はクノンとゼド君の二人を婚約させようと思っている」
「………っ」
絶句。
任務を終え、せっかく罪も放免となり仕官の許可が出たにも関わらずそれを蹴り、一先ずはリーネへ戻るというスタンを見送って、僕は屋敷へと戻って自室で読書に耽っていた。
いつの間にやら見送りの場に居た筈のクノンの姿が見えなくなっていたが、恐らくは城へディムロスを運んでいったのだろう。そこへ使用人の者がやって来て、ヒューゴ様がお呼びですと知らされたので書斎へと来てみればこれだ。
晴天の霹靂、とでも言うのだろうか。
あまりにも唐突過ぎる展開に頭がそれを理解しようとせず、ガラガラと崩れていくようなけたたましい音を立てて認識のシャッターが下りた。
「彼は今週末にでも彼女を食事に誘うと言っていたが…どうするかね?」
目の前の男はなんとも愉快そうに目を細めてほくそ笑んでいる。はっきりとそれとわかる嘲笑だった。
どこまで見透かされている?
「グレバムが最初に神の眼を神殿から盗み出した頃か。緊急船の手配の時、お前も話を聞いていただろう?」
あの時の話か!まさか本気であいつとの仲を取り持つつもりなのか!?
「ちょうど重要な任務も終わり、幸いにも今はお前とともに長期休暇中だ。この間に形だけでも話をまとめてしまおうと思ってね」
「彼女は、承諾しているのですか」
そんな事、あいつは一言も言っていなかった。そんな素振りすらなかった筈だ。
「いや、ゼド君はまだ気持ちを伝えてはいないと…そう言っていたな」
そうだ、奴はそう言っていた。つまり、食事の時にでも打ち明けるつもりなのか。
「さてもう一度訊ねようか。お前はどうするかね?…好いているのだろう?一人の女として」
「………っ!!」
やはり。…だがしかし何を考えている?わざわざこんな事を呼びつけてまで告げる理由はなんだ!?
「なに、フェアじゃないと思っただけよ。このまま何も知らずに大事なものを奪われるなど屈辱だろう?苦痛だろう?お前とて大事な息子だからな、機会を与えてやろうという親心だよ」
いま、さら…っ!どの口がっ!!!!
憎しみで人を殺せるなら今すぐにでもこいつを殺してやりたい。
「それとも、やはりマリアンの方がいいのかね?」
「お戯れを…っ。彼女は、使用人です。身分が…違う…っ」
どこまで…どこまで!どこまで人をコケにすれば気が済むのだ!!
無論マリアンとて大事な人だ。
つい数年前までは彼女こそが僕の全てだとすら感じる程に愛していた人だ。
クノンへのものとはまた違う別種の愛だと理解した今でもそれは変わらないが、よりによって引き合いに出すなど許せるものじゃない。比較なぞしていいものじゃないのだ。身分を盾に否定はしたものの、全てわかっている上でおちょくっているのだから尚タチが悪い。
「ほんの冗談だ…くくっ。とにかく、情報は与えてやった。活かすも殺すもお前次第だ。…下がれ」
「…しつ、れい、します…っ!」
わなわなと震える拳を抑え、出来るだけ丁寧に退室を心がける。そうしなければ、すぐにでもヒューゴ様に斬りかかり書斎を破壊してしまいそうだった。
『坊っちゃん…』
気遣わしげな声が今は煩わしい。無言を返すのが精一杯だ。そしてまたそんな自分が腹立たしくて仕方がない。
…と、ずかずかと常に気を使っている振る舞いも忘れ乱暴に自室までの廊下を歩いていると、目の前に一人の女性が姿を現した。籠いっぱいに白い布地がこんもりと積まれている…シーツの交換でもしていたのか。
「リオン様、いかがなされましたか?」
「マリアン…」
そう、マリアンだ。僕の心の拠り所の"一つ"。もう一つの姿は、残念ながら見当たらない…か。
だが今はそれで良かったのかも知れない。今彼女に会えば、何を口走ってしまうのかがわからないからだ。
「…なんでも、」
「あります、よね。どうぞこちらへ」
ない、と言おうとした所に割り込まれる。彼女はそのまま籠を廊下の隅に降ろすと、言葉ごとつんのめりそうになった僕の手を引き自室まで連れて行く。
そうして半ば無理矢理に僕を椅子に座らせると、目を白黒させている僕の正面に彼女も腰掛ける。こんなに強引な彼女も珍しい。
「エミリオ、何をそんなに怒っているの?…いえ、違うわね。…怖がっているの?というのが正解かしら」
!!
……本当に、マリアンには敵わない。僕のこの様子を"怖がっている"と感じたその直感には恐れ入るばかりだ。
真剣そのものの眼差しに観念した僕は、原因であるあの話をすることにした。
「…クノンが、ゼドに嫁ぐかも知れない」
「え……?」
彼女もこの話は初耳なのだろう、少し目を大きく開いて驚きの表情を露にした。
「ヒューゴ…様が直々に仲を取り持つそうなんだ」
それを聞いたマリアンは顎に手をやり少し考えると、やがて納得したように一つ頷く。そして次いで、何故か少し嬉しそうにクスリと微笑った。
「どうして笑うんだい?」
「くすっ…ごめんなさい。そうなの…"そう"なのね、エミリオ。あなたは、あの子が好きなのね」
「なっ!?」
今度は僕が目を見開く番だった。たったこれだけで、彼女は僕の気持ちを看破したというのか。
「成る程、それで怒って…怖がっていたのね。このままではあの子が取られてしまう、と」
「ち、違「わないわよね?」………っ」
やはりどうあっても誤魔化せない。黒曜石の瞳に真正面から見詰められては、抗う気力も吸い取られていくようで。
「ふふっ…じゃあ今、どんな状況なのか教えて貰えるかしら?私はエミリオの味方よ」
そのまま僕は今置かれている状況を洗いざらい話す羽目になってしまったのだった。
「――そう、ね…その紫桜姫さんにも発破をかけられてたのね」
「ああ、だけどあの時は大事な任務中だったんだ。私事に時間を割くことなど、出来る筈もないだろう?」
「ええ、そうね。でもやっぱり、彼女の言うように気持ちははっきり伝えなきゃね」
「それは、そうなんだが…一体どうしたらいいのか初めての事だからわからないんだ」
「ではここで一つ。あの子のお誕生日、いつだったか覚えてるかしら?」
「?…確か今週末だったと…………っ!」
まさか。あいつ…ゼドは、この事を知っていてクノンを誘うというのか!?
いや有り得る。それなりに長い付き合いだ、互いに誕生日を知っていても不思議ではないかも知れない…僕はあいつの誕生日なぞ興味はないが。
「正解。じゃあ後はわかるわよね?プレゼントと一緒に、気持ちを伝えるの。ゼド君よりも先に」
「マリアン…」
それで、いいのだろうか。…いや、今はもう迷ってなどいられない。何より、時間も余裕もないのだ。
このまま手をこまねいていては大事な者を掠め奪られてしまう。そんな事は許されないのだ。あいつを幸せにするのは、僕の役目だ。
「決めたよ」
「…プレゼント、アドバイスの必要は?」
「大丈夫。任せてくれ」
「ふふふ。頑張って、エミリオ」
にこやかに微笑む彼女に一つ礼をし、彼女の部屋を後にする。まずは贈り物を用意せねば。
僕は自分の部屋へと急ぎ戻ると、軽く身支度をして夜の街へと屋敷を飛び出したのだった。
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