桜 常 編 98 「そんなこと言うもんじゃないよ。君はまだ十六だ。これからじゃないか」 「こんな状況で、これからもくそもあるもんか」 「なにも口に入れてないから、そんな風にしか考えられないんだよ。ね、ちょっとでいいから、食べようよ」 「うるせえな! なに言われたって言うとおりになんかしねえよ! 出てけ!」 おれはありったけの怒りをこめて所員を睨みつけた。 口の中がからからで、少し声がかすれた。 所員はため息を落とし、立ち上がった。 「しょうがないな」 カートを押していた所員が、部屋の外に顔を出して手まねきした。 すると、新たにふたりの大柄な所員が入ってきた。 なんだか嫌な予感がする。 眼鏡をかけた所員は銀のカートの上でなにかをいじっている。 腕っ節の強そうな所員ふたりに近づかれ、なにをするつもりなのかと身構えたが、予想外に手錠を外して自由にしてくれた。 おれはこすれて赤くなった手首をさすりながら、足の錠も外してくれるのかと期待した。 しかし足の拘束は外されず、おれはその場で仰向けに寝かされた。 「ちょ、ちょっと、なにすんだよ」 頭上にまわった所員はおれの肩を押さえ、もうひとりはおれの太ももに乗っかって足の動きを封じた。 こちらを向いた眼鏡の所員が注射器を手にしているのを見て、おれは顔から血の気が引くのを感じた。 「いやだ! やめろっ!」 肩を押さえていた所員は、おれのシャツに手をかけて肩口から一気に左袖を破った。 眼鏡の男に左手首を押さえつけられ、手の指しか動かせなくなる。 注射器の細い針から滴る透明な液体が、とてつもなく恐ろしいものに見えた。 いくら叫ぼうと所員たちの手はびくともしない。 左の肘裏にちくりと痛みが走り、冷たいものが体内に入ってくるのを感じた。 仕事が終わると、所員たちはあっさり離れていった。 おれは熱があるのに無理に動いたせいで、体を起こす気力さえ残っていなかった。 おれは四人に見下ろされながら無様に床に転がっていた。 「言うこと聞かない子にはおしおきだって、昔から言ってるだろ?」 わざとらしい猫なで声がして、所長が入ってきた。 所長は肩で息をするおれを見て、花でも愛でるように軽くほほ笑んだ。 「あんまりやんちゃが過ぎると、こういうことになるからね」 眼鏡の所員ともうひとりは、銀のカートを押して姿を消した。 おれの肩を押さえていた所員は、おれを軽々と抱きあげた。 足についたままの錠が、ちゃりんと軽い音を立てた。 目頭が熱くなり、頬を温かいものが伝った。 「こんなの……あんまりだ……」 おれの呟きは小さすぎて、事務的な話をしている所長たちには聞こえていない。 「助けて……な……」 薬のせいか熱のせいか、おれの意識は吸いこまれるように暗闇に落ちていった。 ◇ *<|># [戻る] |