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闇の先には
闇の先には J


物凄い剣幕で瑠璃に責められ、桃香が隠していた事実を知った後、ネジの中で任務も何もかもが遥か思考の彼方に消えてしまった。
火影からの命で翡翠を屋敷でもてなす筈が、その存在すらも眼中に無かった。
会う度の事とは言え、駄々をこねて明け透けに甘え媚びを売る翡翠が、今日はどうにも疎ましく、些か邪険にし過ぎたかも知れない。
だがそんな事よりも桃香の事が気になり、他の事はどうでもよかったのだ。
挙げ句、そんなネジの態度に機嫌を損ねてさっさと退出してしまった翡翠を構いもせず、早々自室へ引き返す算段をつける事ばかり思い巡らせる始末。


『今は落ち着いてお休みになられています』

宴の途中そう耳打ちしてきた瑠璃に先に風呂を済ませてはと勧められ、逸る気持ちを抑えて渋々それに従った。
それでも湯船にゆっくりと浸かることもせず、さっさと身繕いを済ませて桃香の元へ引き返してみれば、薄暗い明かりのともされた室内で桃香は目覚めていた。
子を身籠ったと改めて聞かされ、ネジ自身、己の全身に愛情や責任感がない交ぜになった大きな力がみなぎってゆくのを感じたのだった。


そして今、穏やかで規則正しいリズムを奏でる桃香の呼吸に、ネジはじっと耳を傾けていた。
肩にかかる心地よい重みとぴったりと寄り添う温かく柔らかな身体が、この上なく保護本能を掻き立てる。
灯り取りから漏れ射す月明かりの元、ぐっすりと眠る桃香の寝顔を見るにつけ、心の底から愛しいと思わずにいられなかった。

ずっと己の運命を呪い、日向と言う家名とその頂点に有る存在に憎しみを抱いて生きてきた。
冷酷と言われようと何だろうと決して他人に心開くことなく、ただ忍びとしての資質を磨き淡々と無慈悲に人の命を断つ。
そんな存在であれば良いと思い込んで過ごしてきた日々の中、ネジの内面に一度目の変化をもたらしたのは『うずまきナルト』
真っ正直でがむしゃらで、どんな窮地に立たされても己の忍道を貫き通す。
そんなナルトの温かな『心』に触れ、ネジの中の何かが変わった。
時を同じくして、漸く本家の長『ひあし』との蟠りも解け、心中あれほど吹き荒れていた憎しみも凪ぎ、一先ず心の平穏を取り戻したかに見えたあの頃。
だが日がたつにつれ、鏡に映る己の額に施された呪印を見るたび、やはり…と思わずにいられなかった。
どうやっても自分は本家の、『日向ひなた』の為の影なる存在。
何時なんどきでもこの命、差し出さなければならないのだ。
いや、命をかけるその事に恐れ等はない。
しかしながら自分の意志ではなく、産まれたときから決められ、運命付けられていると言う所にやるせなさが募る。
その為だけに自分はこの世に生を受けたのか……?
父の様に、本家の人間の為にこの命を犠牲にしなければならないのか…と。
この空虚な思いを埋めることなど到底無理なのだ…と、最早ネジは諦めていた。

だが…



「ん……」

夢を見ているのか、何事か呟く傍らの無垢なる横顔を見詰め、ネジはその滑らかな頬をそっと撫でた。

そう、この桃香こそが、ネジの心の中の空虚さを埋めてくれたのだ。
出会いこそは運命に仕組まれたものだったかもしれない。
だが、こうして共に暮らすに連れネジの中に新たな感情を芽生えさせた。

護りたい。
ずっと側に寄り添い愛したい。

それはネジ自身驚きを禁じ得ないぐらいに目覚ましく、激しい変化だった。

人から強制されるのではない、自ら望んで命を掛けたいと思える大切な存在。
それが桃香だった。


そして今日、大切な物がもう1つ増えた。
桃香の中に息づく新たな命。
血肉を分け、己の遺伝子を受け継ぐかけがえのない存在。

幼き頃、まだ存命だった父が自分に向けてくれた笑顔、優しさ……

これからは自分が、父が与えてくれたのと同じぐらいの愛情を、我が子に与えて行くのだ。


俺にとって本当の生きる意味を与えてくれた。

ネジは改めて傍らの桃香の横顔を見詰めて頬に口付け、腹部へそっと掌を滑らせた。

「無事で良かった…」

何度思ったか解らない言葉を呟き、安堵の溜め息をつく。
感情に任せて桃香に無体を働いたがために、この中に宿るいたいけな命まで危険に晒していたとは…
もう二度とあの様な事にはならない…と誓いも新にし、ネジは静かに幸せを噛み締めた。
と、その時だった。


「あ…っ…くぅ…」

突如上がった苦し気な声が、穏やかな時間を奪い去った。
見れば腕の中の桃香がいきなり全身を強ばらせ、呼吸を荒げていた。

「……どうした」

つい今しがたまで穏やかに寝息をたてていたと言うのに。
悪い夢を見ているなら早く目覚めさせてやらねばと、ネジはそっと肩を揺すぶった。

「桃香、桃香」

優しく名を呼び覚醒を促すがしかし全く瞼は持ち上がらず、そればかりか呼吸はどんどん苦しげになり、見る間に頬が土気色変わっていった。

「桃香、どうした」

明らかに尋常ではない様子に顔色を変えたネジは、上掛けをはね除けて身体を起こし苦しむ桃香を膝に抱えあげた。

「桃香、しっかりしろ、目を開けろ、桃香!」


必死に揺さぶり名を呼ぶネジの声が、やっと訪れた平穏な夜の静寂を無惨にも引き裂いた……




++++


気が付くと暗い闇の中に一人佇んでいた。
纏わりつく冷たく澱んだ空気に身を震わせ、両手で自身を抱き締める。

「寒い……」

桃香は白い息を吐き出しながら呟いた。
辺りはこんなにも寒いと言うのに、ふと見おろせば自分は夜着のままでいることに気づく。
素足の爪先がジン…と痺れ、目に見えない泥濘にズルリと足を取られてしまいそうだ。

ここは……

桃香はぼんやりと霞んだように鈍る頭を必死に働かせた。

そしてやっと気付く。

これはあの夢と同じ…

脳裏に蘇るのは、ネジを迎える前の午睡に見た不気味な夢。
暗闇から現れた妖艶な女が、身がすくむような邪な目でねめ回しながら、いきなり意地悪い言葉を投げ付けてきた…
同時に浮かび上がる、その女(ひと)と瓜二つの顔を持つ人物の、意地悪く笑んだ美しいし顔。


「翡翠…様…」


囁くようにその名を口にした途端、桃香はブルりと身震いした。
足元から這い上る冷気が、不吉な何かを感じさせた。

これは夢?

だとしたら早く目覚めてしまいたい。
夢の中でそんなことをしたからと言ってどうなるとも解らないのだが、桃香は自分の両の頬を挟むように平手で打った。

パチンと言う乾いた音が闇の中に響き渡る…

「痛…っ…」

桃香は目を見張った。

何故?夢ではないの?

夢なら痛みなど感じる筈がない。桃香は混乱した。

ここは何処?

必死に記憶を手繰り寄せる。


「私……ネジ様のお側で眠っていた筈なのに…」

そう、どう考えてもネジの側にいた筈なのだ。
ネジの優しさに触れ、その腕に抱かれて幸せな気持ちのまま眠りについた筈だったのだ。
なのに何故…と、頭の中は何故で一杯になる。

「ネジ様…」

愛する夫に庇護を求めて名を呼び、やはり何処にもその姿が無いことに一気に不安感が押し寄せ、身体が小刻みに震えだした。


気が付くと無意識に下腹に掌をあてていた。

「…大丈夫よ…あなたは私が護って見せますから…」

どうあってもこの命は護らねばならない。
何とかしてこの場所から抜け出さなければいけないのだ。

早く、早くネジ様の元へ戻らなければ…

とは言え焦る頭で考えてみても、ここが何処なのか何故自分はこんな所にいるのか全く見当もつかず、桃香は途方にくれて辺りを見回した。
どこを見ても闇ばかり、歩こうにも寒さに身がすくんで上手く足を運べず、疲労ばかりが蓄積されて行く。
一体出口は何処なのだろう。
そもそも此方に進んで良いものなのか、それとも反対側へ進むべきなのか…
目印も判断材料も何もない闇の中を、闇雲に歩き続けた。

どれぐらいそうしていただろうか…

「あっ……」

突然下腹に鈍い痛みが走り、桃香は慌てて腹を庇うようにして立ち止まった。
額に冷や汗が滲む。
荒い息をつき、暫し目を瞑って痛みが去るのをじっと待った。
ドクドクと鼓膜に響く鼓動を聞きながら、ともすればパニックに陥りそうな自身を努めて抑え、少しずつ荒い呼吸を整える。


やがて痛みが和らぎはじめ、屈めた上体をゆっくりと起こし、はぁ…と安堵の吐息を漏らした。

「…もう…大丈夫…ごめんなさい、苦しかったわね…」

ほっとして胎内の小さな我が子に囁き、ゆっくりと瞼をあげた。

「あぁ……」

変わらず眼前に広がる闇に落胆しつつ、沸き上がる不安感を押し込め深呼吸する。


「さぁ…もう一度出口を探さなければ…」


しっかりと前を向き、冷たくなった指先をぎゅっと握りしめて再びゆっくりと歩き出そうとしたその時だった。




「ふふふ……」

何処からともなく低く不気味な女の忍び笑いが漏れ聞こえ、桃香はびくりと肩を震わせ、何も見えない辺りの闇に目を走らせた。


「誰?…どなたかいらっしゃるのですか」
誰何の声が恐怖で勝手に震え出す。

「誰かいらっしゃるなら出ていらして…」

見えない誰かに話しかけるが返答はなく、忍び笑いはやがて哄笑へと変わっていった。

「ふふふ…オホホホ……アッハハハ…」


その声はまるで気が触れた女の高笑いのようで、見境無く何かされるのではと一層恐怖心が煽られる。

「誰…何がおかしいのですか、意地悪しないで姿をお見せください、お願いします…」

余りにも続く哄笑に困惑し、姿を見せてと哀願した。
すると次の瞬間、いきなり背後から着物の襟首を掴まれ勢いよく張っぱられた。

「きゃあっ!」

よろけた桃香は恐怖にひきつりながら、襟首を掴む手から逃れようと必死に身を捩った。

「いやっ…お止めください!」

滅茶苦茶に身をよじり、何とかして襟首を引っ張る手を掴んで背後に首を巡らせた。
そして…

「あっ……」

そこに知った顔を見つけて驚愕した。



「翡翠様!?」

冷たく澄んだ目がこちらを見ていた。
翡翠を取り巻くほの暗いオーラが桃香を絡めとり、足をすくませ背筋を凍りつかせる。

「翡翠様…おっ、お止めください。手を…」

離して下さいと頼もうとした桃香の言葉は、しかし翡翠によって遮られる…

「五月蝿い、この身の程知らずの雌猫め。お前など、お前など…」

凡そ良家の姫とは思えないぞんざいな言葉に、桃香は驚いて目を見開き、唖然として翡翠の顔を見つめた。
その様子が更に翡翠を激情させ、襟首を掴む手にグイと力が込められる。

「お前など!腹の子共々死んでしまえば良いのじゃ!」

鬼の形相でそう叫び、震える桃香の首へ両手を掛けた。


「死ね!死ね!ネジを奪うものは皆死んでしまえーっ!」

その容貌からは想像も出来ない強い力で、容赦無く桃香の首を締め上げる翡翠は、最早鬼女そのものだった。
「くっ…う…あ…」

桃香は自分の首を絞める翡翠の手を必死に掴み、渾身の力で引き剥がそうとするが、全く歯がたたなかった。

「死ね!死ね!死ね!」

「う……あ……翡翠……様………」


意識は朦朧とし始め、もうやめて…と、祈りを込めた目で翡翠の目を見つめた。

しかし、その思いが通じるわけもなかった。


「早よう!早よう死んでしまえ!」

グイグイと締め上げる手に成す術もなく、酸素を求めて喘ぎながら桃香はすまなさで一杯になった。

何も…何も出来ないまま…私は死んでしまうの…

恐怖が絶望に変わり、悲しみが押し寄せる。
桃香は心の中で詫びた。
まだ見ぬ我が子へ、そして愛する夫へと…


御免なさい、折角あなたを宿したと言うのに…
ネジ様…もう一目お会いしとうございました…

目の前の翡翠の顔が暗転する視界から消え去った。




『桃香!』




ネジ…様…?…………



遠ざかる意識の中、自分の名を呼ぶネジの声が聞こえた様な気がして、桃香は声にならない声で愛する人の名を呼んだ。
そして…


「ふふ…お前の声など届かぬわ」


非情に言い放つ翡翠の声を聞きながら、ついに意識を手放した。





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