めぐりめぐって
怯懦のその先に
……訳が分からなかった。
右手を背に捻りあげられ、私はフローリングに顔を押し付けていた。
首には何か冷たいものが。目を無理矢理向けてみれば、黒光りする刃物みたいだった。
頭が状況に追い付かない。
「貴様は何者だ」
耳触りの良い、低い問いかけが聞こえる。
わーい内田さんボイスだー、かっこいーなー。なんて、間抜けな事を考える。
混乱して馬鹿なことしか考え付かなかった。
「何者かと聞いている」
黙っている私に痺れを切らしたのか、さっきよりさらに低い声。
それでも私の口は動くことなく、貝みたいに固く閉じられたままだった。
ううん、動いてくれなかった。答えようにも、何と答えれば良いか分からなかった。
本当に私は馬鹿だな、なんて自嘲する。
余裕もないのにそんなことをしたのがいけなかった。
「最後だ、答えなければ殺す」
ぐい、と宛がわれた刃物──おそらくクナイだろう──を、強く首に押し付けてきた。
「貴様は、何者だ」
「……ッ!?」
彼の問いかけとも命令とも取れる言葉と共に、何かが肌を強く刺激した。
何だろうこれは。ビリビリとしていて、気持ち悪い。
もしかしたらこれが殺気というものなのかもしれない。吐き気が急に湧いてきて治らない。
同時に首に鋭い痛みが走った。クナイで切られたのかもしれないが、そんなことはどうでもよかった。
身近になった『死』に、凄まじい恐怖が襲ってきた。
「ひっ……!?」
ああ、なんて情けない声だろう。
まあ生まれて初めて殺される恐怖を味わったんだから、仕方がない。
漸く口が動き出した。だけど、自分でも何を言っているのかは分からないくらい、パニクってしまった。
「なん、で、嫌……やだ、私は何も、してな、いのに……」
涙が溢れてきた。
嗚咽が堪えきれなくなるし、しゃくりあげてしまって上手く話せない。
しかしうちはオビトは、ただ黙っているだけだった。
このままじゃ、駄目だ。私は本当に殺されるかもしれない。
そんなの嫌だ。こんな理不尽に殺されてたまるものか。
一度だけ大きく深呼吸をする。
酸素が入ったからか、考えた言葉が口からするすると出てきてくれた。
「私は、ただの一般人です。あなたが突然空から落ちてきて、熱が凄かったので休ませようと家に入れました」
嗚咽が零れかけること数回、何とか全部伝えられた。
だが、うちはオビトは何も言わない。私を捩じ伏せたままだった。
それはそうだろう。自分が空から落ちてきたなんて話、簡単に信じる方がバカだ。
けど今は、これに賭けるしかなかった。私の言葉を信じてくれることを、祈るしかなかった。
……フローリングの冷たさが、私の熱で完全に消えるくらいになった時。
漸く彼は私の右手を離し、私の上から退いてくれた。
信じてくれた、と取っていいのかな。
恐る恐る起き上がって、見下ろしてくるうちはオビトを見上げた。
その面の穴ぼこから、赤い何かが見えた気がした。
夢見心地になっていく。ぼんやりとして、頭が回らない。
そして何故か、私の口は自然と語りだした。
「あなたが……突然空から落ちてきて……私が助けました……!?」
なんだこれは!?
一瞬何が起こったのか分からなくて混乱したけど、すぐにはっとする。
写輪眼だ。
60巻でも、うちはサスケが白ゼツ相手に幻術を掛け、話させていた。
うちはオビトも私に同じことをしたんだ。
「まさか、そんな与太話が本当だとはな……」
「……ッ!」
クソが。こいつ、人に幻術なんて掛けるとは。
怯えよりも怒りが湧いてくる。そのせいで、うちはオビトを睨み付けてしまった。
それに応えるように彼は写輪眼のまま睨んできた。
それはとても鋭くて、震え上がってしまいそうなくらい冷たかった。
すぐに怒りは鎮火し、再び恐怖が沸き上がる。
格上相手に堂々としていられるわけがない。出来るのは相当の強者か、キチガイくらいだろう。
合った視線を先に逸らしたのは私だった。
また幻術を掛けられでもしたら堪らない。目を合わせるだけで、寿命が縮んでいきそうだ。
うちはオビトは気怠げに周りを見回した。それだけで恐怖が再発するから、こいつの一挙一動全てを観察してしまう。もちろんのことだが、目付近は見ていない。
「……まあいい、次の質問だ。ここは何処の隠れ里だ」
……どう答えようか。恐怖で答えられないというわけではなかったが、迷いがないわけでもなかった。
ここは、私はNARUTOを知らないという設定でいくべきか?
だって知ってたら、オレの正体知ってるのかじゃあ死ねとか言われそうだし。
そんな口封じっぽく殺されんのは嫌すぎる。
まあ、流石に異世界で自分のことを知ってる人間なんて、こいつの計画の妨げにもならないだろうし問題無いかもしれないが。
とりあえず、ここでの正しい回答は……
「里? えっと、ここは日本の田舎ですが……」
「ニホン? ふざけているのか」
「いや、嘘とかではないのですが……」
演技臭くならないよう心がけながら、私は答えた。
オドオドしてしまうのは半分演技で半分本気だ。うちはオビトがとてつもなく恐ろしかった。
目を合わせないよう、私は彼の腹辺りに目を向けた。
彼が私をどう見ているのかは知らないが、別段不自然ということもないだろう。
「……里ではないのなら、ここは何という国だ?」
「へ? 国名が日本です……隠れ里というのは聞いた覚えがありませんが……」
目を合わせなくても分かるくらい、彼は怒ったような雰囲気をしていた。
いやでも、そんな風にされても困るんだけど……信じてないよなこいつ……
……そうだ、地図を見せれば良いんだ! そうすれば信じざるを得ないだろう!
「ちょ、ちょっと待っててください……今地図を見せますからっ」
彼に背を向け、勉強机の上に置いてある本立てから、社会の地図帳を引っ張り出す。
ページを捲って彼に見せた。
「見てください。これが日本地図になります」
表紙に戻り、見開きのページに移る。
「えっと、一応これが世界地図、です。見覚えはありますよね?」
沈黙したままのうちはオビト。それが否定だと私はわかっていた。
……仕方がない。頭を悩ませた私は、早速切り込んでしまうことにした。
あまりすぐにこれを言ってしまうと怪しまれるかもとは思ったが、話を進めるためにも言うことに決めた。
「その、凄い馬鹿げてるとは自分でも思うのですが。
貴方が記憶喪失だとかそういった風には見えないし、嘘を仰ってる様子でも無いのはわかります。
もしかすると、貴方はこの世界の人間じゃないとか、あり得ないでしょうか」
「……」
「私も隠れ里なんて初めて聞いたし、そもそも貴方みたいな他人に無理矢理喋らせる超能力は使えないですし」
驚愕、といった様子で呆けているうちはオビト。
しかしすぐに気をとり直したようで、冷淡な口調で私に問う。
「これが、本物という証拠はあるのか?
別世界という話より、まだ貴様の作った空想の地図という方が現実味があるが」
「う……た、確かにそうですけど、でも。殺されかけて……じゃない、こんなときに嘘なんてつきません!」
つい口が滑ってしまったが、どうやらプラスの方向へと進んだらしい。うちはオビトは腕を組み、悩む素振りを見せた。
彼だって私が嘘をつけるわけがないと理解しているはずだ。さっきだって、写輪眼の幻術をかけられたときに抵抗できなかったのだから。
もし嘘をついていたと思ったのなら、また幻術をかければよいのだから。
だから頼む、これ以上疑うのは止めてくれないか。私だってこんな重圧の中にいるのは辛いことなんだ。
「まだ信じられないなら、他にも色々この国のものを見せますから! お願いします、信じてくれませんか?」
深々と頭を下げる。
ぶっちゃけると、そこまで有効な手段とは思えない手しかない。例えばテレビを映してニュースを見せるとか、多少なりとも効果はあると思いたい物が。
何にせよ、今は信じてもらうのが最優先だ。
「……この状況で、嘘をつく馬鹿もいないか」
彼は長い沈黙の果てに、「わかった、ではまずこの世界について話せ」と存外普通に頼んできた。
そう思うのは、こいつに恐怖を植え付けられたせいで感覚が麻痺しているだからだろう。普通、「話せ」なんていうものか。
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