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独往 -2
 はっとした。見上げれば惟靖が覆い被さるように見下ろしている。完全に前を塞がれた。しかし問題はそこではない。
 居竦んだ。
 先程までとは打って変わった鋭い眼孔に、背筋が顫えたのだ。
 桂丸は爪が食い込む程強く拳を握る。
 子孫繁栄の為、いずれは夫を迎えなければならないのは理解している。しかしその男を「桂丸」の「夫」として参議の場に加え、あまつさえ名代として篁夜連に出入りさせるつもりなど毛頭無い。
 天命を全うするその瞬間まで「桂丸」を名乗るのは自分一人で十分だ。尉濂や名も知れぬ未来の夫にくれてやる程安い物では断じて無いのだ。
「しかし篁夜連筆頭当主の夫となると、そこらの身性では釣り合わんか。……ふむ。良ければ当家の三男をやろう。私に似ず余分な肉など付いとらんから安心致せ」
 わはははは、と惟靖は天を仰いで笑った。対して桂丸は唇を噛む。
 云うに事欠いて己が三男とは。
 妻を娶るのとは分けが違う。篁夜連への出入りが前提での話なのだ。
 筆頭七名が拮抗してこその篁夜連。それを「桂丸」の代わりに「惟靖」の息の掛った者を据えろと云うのか。それも三男。舐めている。
「っ、惟靖殿、些か戯言が過ぎましょう……。それに私はまだ、連れ合いを持つつもりはございません」
 何とか笑顔を作って言ったが、顔は見なかった。顔を見れば、睨みつけずにはいられないだろう。
 惟靖は数拍の間を置いてふん、と笑う。
「まぁ、今は桂丸としてしゃんと立つ事が先決。婿の話は落ち着いてから改めて考えれば良い」
 ずいっと惟靖がその肉付きの良い顔を寄せる。両肩を掴まれて、逃げる事が出来なかった。
「だが私の倅の事は覚えておいてくれ。会えばきっとそなたも気に入るだろう。何せ我等が美貌の大丞と並べても遜色無いと、家臣らの間でも語られる色男だ」
 目の前一杯にあのいやらしい笑い顔が広がる。生臭い息が鼻をついた。
「いえ、私は……」
「なぁ、桂丸」
 掴まれた肩をぐっと握られた。惟靖は更に近付いて、鼻と鼻が触れ合うのも後髪何本か。
「此処に居たか惟靖」
 声が掛ったのはその時だった。見れば廊下の先に桐衛門が立っている。
「おや桂丸も一緒か? 惟靖、お前の所の稲葉が探しておったぞ」
 小さく舌打ちが聞こえた。男の手から解放され、桂丸は後ろに数歩よろめく。
「そうか。わざわざ済まない」
 惟靖が背中を押す。歩けという事らしい。
「では桂丸、また」
 人気の無かった倉庫区画を出ると、惟靖は太い手を上て去って行った。その背に下げた頭を上げたところで、頭上から桐衛門の嘆息が降ってくる。
「こんな所を一人でふらふらと、何をしている」
 気まずさに床に視線を落とした。
「……時間が空きましたので、城内の散策をしておりました」
 洋治郎の言った事と桂丸の推察が正しければ、桂丸の身の危険を桐衛門が回避してくれた事になる。申し訳ございませんと頭を下げた。
「今回来ているのは込山だったな。一柳は留守居か?」
「は…」
 ぽん、と頭に手を置かれた。そのまま撫でられる。
「家臣に心配をかけるような行動は慎め。それでなくとも今日はあのような事が在ったばかり。――痣紋の件、込山には話したか?」
 益々視線を上げられなくなる。侍女頭に見せたのだと勘違いしているようだと答えると、またもや溜め息が返ってきた。
「……惟靖に何か言われていたな。何を言われた?」
 桂丸は唇を引き結んだ。有りのまま全てを話すには悔し過ぎた。
「……先代の事を少し……。腕を落としかけたとか蛇らに苦心したとか…、その程度ですが………あの、桐衛門殿……」
「ああ、済まぬ」
 ようやく頭から手が退けられる。髪は存分に乱れてしまった。

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あきゅろす。
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