蒼穹綺譚
3
硝煙と血の匂いが漂い、砂埃と瓦礫で汚れ、悲鳴と怒声が響く。そんな街だった。
地獄のように変わり果てた街で、エステルがいるからと、一般市民がいるからと、クルースニク化を拒んだアベル。
結果的に、血塗れになりながらも、身体がギリギリな状態でも、エステルを庇い続けた彼は、悪くない。
チクリ…と何かが疼く。軽い眩暈と一緒に。
《リーシャ…エステルさんを怖がらせたくないんです…。》
《もう…誰も失いたくないんです。》
《申し訳ありません…他の人を巻き込みたくないんです。》
《私は吸血鬼の血を吸う…吸血鬼ですから…。》
《リーシャなら、大丈夫でしょう?信じてますから。》
強がりな私は決して言えない。
私を信頼してくれた彼に、過去を話してくれた彼に、「私だけを見て」なんて、「寂しい」なんて言えるはずもなかった。
《私のせいだ…》
彼を庇って怪我した時に、泣いて謝った彼。
ドクドクと…血が止まらないのは分かっていた。持病がそうさせていたから。
持病を知らない彼は、私の止まらない血を見て半狂乱に陥った。
失うのを恐れる彼の傍を、離れる決心をしたのはその時だった。
朦朧とする意識の中、ガチャリ…とノックもされずに、扉が…開いたのを認識した。
「…リーシャ…やっと見つけました。」
現れたのは、銀髪の神父。愛しい彼が、疲れきった様子で入って来た。憔悴しきっているようだった。
「なんで…?アベル。誰に…聞いたの?」
「アストさんです。帝国から出て来て教えてくださいました。」
アスト…?あぁ…多分…こうなるように仕向けたのはディートリッヒだろう。
ラドゥに、私の所在と状態をイオンに教えさせ、祖母であるミルカから、カインとアベルの妹であり女帝のセスに伝わるように仕向け、セスがアストに伝言を頼んだ。
多分、そんな経路だと思う。
「アストさんが教えに来てくださらなかったら、お見舞いに来るのに、もう少し時間かかってましたよ?居場所を言い忘れるなんて、リーシャらしくないですね。」
いつものように、ほわっと笑う。逢ってないのは2か月だというのに…妙に懐かしい。
「しばらく逢わない内に、顔色が少々悪くなってしまってますが、大丈夫ですか?いつ、帰れます?」
私の側にある機械類は目に入らないらしく、私を抱き締めたまま訊いてくる。
「…ごめんね…アベル。もう貴方の元には帰らないわ。今日、ここで、さよならなの。私は、アベルにもう逢わないって、決めたの。」
キッパリと断言し、彼の腕を解き、胸を押し返す。機械類に気付かないのではなく、必然的にわかってしまう状態の悪さを、彼は認めたくないのだろう。
一瞬、アベルは目を見開いて驚いていた。そして、悲しそうな顔をする。
「じょ…冗談は止して下さいよ。まだ、怒っているんですか?ごめんなさい…。許してなんて…言えませんが…。ね?一緒に帰りましょう?」
もう一度、抱き付いて来た彼を、私は拒まなかった。
いや、拒めなかった。
「…ア…ベル、離し……ごほっ…けほっ…げほっ…ごほっ!」
今までで一番、吐血したかもしれない。
私の白いパジャマと、私に触れていた彼の銀髪の一部が血に染まる。今の咳き込んだ衝撃で、傷口が開いたようだ。
痛みはないが、ぼたぼたと出ている血は尋常な量じゃない。
壊死の進んだ身体は、全身が痣よりも紫掛かった…黒い肌になり、鮮血の緋色が、歪な程に…鮮やかに映えていた。
「リーシャ?!ちょっ!!医者をっ!」
医師を呼びに行こうとした彼を止める。
ここまでいったら、もう治療なんて無駄だろう…。
魔術師の、優しい嘘も、もはや意味を成さない程に、首から下は全て、包帯で巻かれていたから…。
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