text 猫に従順な犬 夜、十時過ぎ。 高速道路をびゅんびゅんと駆け抜ける。大型トラックも追い越して、スピードを感じる。 「つかさちゃんっ、速いね!」 「まぁなー。ぐんぐん飛ばしてるから」 くっくっと喉で笑ってみせて、助手席に座る茜を一瞬だけ見る。かなり興奮してるようだった。 また一台車を抜かしてぐんぐんスピードを上げる。 突然どうしても走りたい気分になって、そっと家を抜け出すつもりだったけど、隣で眠っていた茜が起きてしまって。 茜も連れていって、と、寝てろという私の話をきかないから。 7歳の女の子はなかなかわがままだ。 仕方なく連れてきたつもりだったけれど、存外私も楽しんでいたりする。 「あ、あそこ、なに? すっごくきらきらしてるあの建物!」 「あれはねー。大人だけが泊まれる秘密の宿」 「ひみつきちっ?」 「そんなもんかな。まあ、いつか茜もわかるよ」 すごくきらきらしてるそれは、俗に言うラブホテルというやつで。 事細かに説明なんてしたら、辰美さんになんて言われるか。 辰美さんとは、茜の実の母親で今の私の恋人だ。バツイチで、そろそろ三十路を迎える。良い具合の熟女になりつつある辰美さんの宝物は、娘である茜。 娘に余計な知識を、と、しばらく口をきいてくれなくなるだろう。 こんな夜に連れ出しただけでもどうなるやら。メモは一応置いてきたけどなあ。 彼女はおっかない人だ。 溜め息を吐きそうになったのをぐっとこらえて走り続ける。 相変わらず茜は窓の外に夢中だ。 「最近学校はどう?」 「すっごく楽しいよ!」 にこにこと眩しい笑顔。 つられて笑えてしまうのだから、子供の笑顔って世界で一番素敵なものかもしれない。 …まぁ、辰美さんに似てる、ていうのもあるのかもしれないけど。 「そいつはいいね。好きな人とかは居ないの?」 「んー…真理ちゃんと、有希ちゃんと、孝弘くんと、…あとお母さんと司ちゃん! たくさん居るよー」 「ははっ、それはいいなー。モテて困っちゃうよおねーさんは」 男の影を探ってみたけど、まだ大丈夫、のようだ。小学校低学年だもんな、それでも不思議じゃない。私なんか高校でも大して興味なかった、恋愛なんて。 「司ちゃんは? 好きな人居る?」 「んー? 居るよ? 茜のお母さんに、…茜!」 わしゃわしゃと頭を撫でてやりたいけど、今は運転中なので控える。代わりに、車の中には2人分の笑い声が響いた。 適当な所で高速を降りて、適当に走って着いたコンビニに車を止めた。 「さ、お母さんのご機嫌を取るためにも、なんか甘い物買って帰ろう。茜も好きなもん選んでいいからなー」 「やった!」 繋いでいた手を解いて茜はお菓子コーナーに駆け込んだ。その様子を私は笑いながら見て、自分はお酒のコーナーへ。適当に選んで、まあ、これは自分用だけど。 あとは甘い物をなにか…。 ていうかなあ、高速まで乗っていって、ただコンビニっていうのも…。 「つかさちゃん!」 「なに?」 声が聞こえたお菓子コーナーに足を運ぶと、たけのこが描いてある箱と、きのこが描いてある箱をそれぞれの手に持った茜が居た。 「どっちにしよう!」 「あー…うん、つかささん的にはきのこだけど、今日は2つとも買っちゃおう」 「いいの?」 「お母さんには内緒な」 口に指を当てて内緒のポーズを。 まあ、言ったところで、こんなのじゃ怒られたりなんかしないけど。 こういうのって楽しいでしょ? 茜よりも私の方がガキっぽい顔をしている自信がある。 「さーて、帰ろうか」 右手に袋を持って左手で茜の手を引く。 後に続く嬉しそうな足音に笑みを零して、車の中に戻った。 行きと同じように高速道路をびゅんびゅんと駆け抜ける。 助手席に座る茜は目を瞑って、ぐっすりと眠っている。 起きていても寝ていても可愛いな。 辰美さんは、寝てるときの方が可愛いな。起きてるときは、たまに恐いし。 はあ、と小さく溜め息を吐いて、きらきらした建物を横目に見送った。 どうか辰美さんが寝てますように。 「ただいまー」 本当に小さな、掠れ気味の声でそう告げる。 眠ったままの茜を抱いたまま寝室に行くと、辰美さんは居なかった。冷や汗を垂らしつつ、とりあえず茜を布団に寝かせて、リビングに向かう。 案の定、寝間着の辰美さんが、椅子に座ってこちらを見ていた。無表情やばいです姉さん。 「座りなさい」 「…はい」 辰美さんの向かいにある椅子に腰掛けて、買ってきた物を机の上に乗せた。思わず俯きそうになるのを必死にこらえながら、前を向く。 「どこに行ってたの?」 無造作に近くにあった新聞を手にとって、辰美さんはそれをぱらりと捲り目をやる。 メモは読んだ?なんて、机の上に置いてあるそれを見つけた途端、頭から台詞が消えた。 一挙一動目を離せない私は相当やばい。トイレに籠もりたい。 「こ、高速適当に乗って、コンビニ行ってました」 「こんな夜中に?」 「…は」 茜にしたら夜中も同然だろう。 「茜を連れて?」 「……うん」 はぁー、とわざとらしい溜め息を吐かれて、私は一層固まる。嫌われたかも、本当に愛想尽かされたかもしれない、ああどうしよう、私馬鹿だ。 ぽたりと、俯いた途端に、頬を伝わって涙が手の甲に落ちた。前方からはぎいと椅子を引く音が聞こえて、辰美さんが私の横を通り過ぎたのが見えて、涙が次々と溢れ出す。 「…ごめ…なさい」 漏れた謝罪の言葉は、果たして彼女に届いただろうか。 俯き続ける私にはわからない。 「………こんなことで泣いちゃうなんて、…司は見かけによらず、可愛いところがあるよね」 突然肩に腕を回されて、頭の上にはたぶん顎を乗せられた。 え? と1人で困惑していると、辰美さんは笑いながら勝手に話を続ける。 「ごめんね、そこまで怒ってないよ。からかいたくなっただけ」 ウルフカットにした、生まれつき赤みを帯びた茶髪に、生まれつきの目つきの悪さ。私の見た目は、断じてからかいたくなる、なんて言われないものだ。 こちらも断じて、からかわせないような雰囲気を持った辰美さんから、頭の先からキスの嵐。髪に耳に首に、…そこで一旦止まって、その首に腕がかけられる。 「え、ちょ、辰美さ、」 「でもやーっぱり、ちょっと許せないな」 「え、あ゛あ゛ーっ!! ちょ、ぎぶぎぶ、っ!!」 「あんまり大きな声出さないで」 茜が起きちゃう。 首への力は緩められた代わりに、そう呟いた直後耳を噛まれた。 「いっ、」 「ふふっ、まあ、今日はこれで許してあげる。お土産もあるみたいだしね」 辰美さんは目の前にある袋に指を引っ掛かけた。 …なにがふふっ、だ。辰美さんじゃなかったら即行拳を飛ばしている。 「…このサディスト」 「そんなこと言っちゃう? ああショックだなあ。このお酒飲んじゃおうかな」 「勘弁して下さい」 お酒を飲んだ辰美さんと、このあと同じ所で寝るなんて…辰美さんは、悪酔いする人だ。同じ布団に入られたら最後、心と体を一夜にしてめちゃくちゃにされてしまう。 そのくせ、本人は翌日にはけろりとしているのだ。 これで泣かされた記憶がいくつもある。 「ま、飲むんだけどね」 飲むんですかぁ…。 びくびくしながらもグラスの用意をする私に涙が出そうだ。 お酒買うんじゃなかったな。 「おはよう司ちゃん」 「うん、おはよー…」 朝、私よりも茜の方がしゃきっとしてる。 あー、あちこち痛い。いま私の体には、色んな傷がある。 あの人は猫だ。妙な色気を持ちつつ、しっかりした爪も持ってる。 やっぱり寝てるときが一番可愛い。なかなか寝顔は拝めないけど。私よりも早起きだから。 「て、お母さんは?」 「ちょっとお買い物〜、て、出てったよ」 「そっかー…」 …一応、信頼とかはされてるんだよなあ…。うん、少しでも、この素敵な家族を支えたい。 「よしっ、じゃあ、今日は司さんとたくさん遊ぼう!」 「ごめん司ちゃんっ、今日は真理ちゃん家に遊びに行くの!」 あー…そうですか…。 そう叫ぶと、用意されていた朝ご飯をささっと食べて、準備をしっかりした後に茜は家を飛び出した。 窓から雲ひとつない青空が見える。 さあ、こんな素敵な天気! 今日は留守番をしっかりしよう。 [前*][次#] [戻る] |