僕は何度でも、貴方と幸福な恋をする
僕は何度でも、貴方と幸福な恋をする13


 それから二ヶ月後――皇慈は眠るように息を引き取った。

「慈しみ深い神である父よ。今、ひとつの魂を貴方の御手へと委ねます――」

 尊き魂を導く神聖な祈り。
 清く澄んだ空気はピンと張り詰め、鋭いナイフのように肌を突き刺す。
 葬儀は粛々と開かれ。最後の別れを告げに多くの人々が教会を訪れた。
 けれど哀しみの涙がどんなに流れても奇跡は起こらない。
 白い瞼は閉じられたまま、ピクリとも動かず。規則正しい呼吸も、恋の旋律を奏でる心臓も。永遠の眠りについた。
 今は狭い柩の中に閉じ込められて、季節外れのホワイトローズに埋もれている。
 まるでお伽の国の眠り姫。けれど唇を何度重ねても、王子様は目覚めない。
 どんなに望んでも、もう二度と微笑まない。
 それでも世界の流れは微塵も変化せず。弔いの儀式は円滑に進む。
 残酷でしかない時間を、燕はボンヤリ過ごしていた。

(嗚呼、酷い夢だ……早く覚めてほしい)

 大粒の花弁雪がステンドグラスに暗い影を落す。
 冬も終わりに近付いた2月末日。冷たい雪は、今日も深々と降り続いている。

『春になったら、ピクニックに行こうか』

 ふと、燕は鮮やかな記憶の欠片を呼び戻す。
 近場で悪いけれど。皇慈は申し訳なさそうに言って、丘の一角を指差した。
 其処は春になると、自然の花畑が広がるそうで。楽しそうに、嬉しそうに、天国のような光景を燕に教えてくれた。

『そして夏には花火を観よう。家のバルコニーは中々の穴場だぞ』

 未来の計画も沢山立てた。
 長旅に慣れた燕には狭くも感じる移動範囲――ふらりと出向く散歩のような距離だったけれど。その度に二人は心躍らせて、長時間語り合った。
 目立った喧嘩もない。本当に楽しい新婚生活。燕と皇慈は何時も寄り添い合っていた。
 法律上では決して認められない禁断の関係。それでも二人は構わなかった。
 周囲の人間にも包み隠さず、人生のパートナーとして振る舞った。困惑する者もいたけれど、嫌悪の感情をぶつけられる事はなかった。
 ただ唯一、娘との縁談を薦めていた皇慈の親戚だけは露骨に嫌な顔をしたけれど。それも苦笑いの種に成るだけで、取り立てた問題に発展しなかった。
 しかし出逢って半年足らず。燕の人生を変えた運命の恋は、突如として幕を閉じた。
 フッと、蝋燭の炎が簡単に吹き消されてしまうように。あっさりと、前兆も無く。
 唯、彼の短い寿命が尽きた。それだけの単純な絶望だった。

「他の誰が幸福だと云っても、貴方はやっぱり不幸な恋をしたのよ」

 暗く淀む世界に、可愛らしい女性の声が響く。それは燕の身を誰よりも案じる母親のものだ。
 意識が、辛い現実へと引き戻される。

「……」

 軽い挨拶を返すのも億劫で、燕は視線だけを向けた。
 双方無言の親子が横に並び立つ。
 急な訃報。息子の決断にいい顔をしなかった母親も駆け付けてくれたのだ。

「さぁ、もう満足したでしょう? 貴方の本当の家へ還って来なさい」
「……いや……だ」

 カサカサに掠れた音が喉の奥を痛める。
 叫んで。嘆いて。果てしなく広がる蒼穹(そら)へ慟哭した声は疾うに嗄れた。
 食欲も湧かず。一睡もしていない。傍から見た燕は、さぞやボロボロの精神状態だろう。

「聞き分けのない駄々っ子は卒業しなさい。意味の無いママゴトは終わらせるの。じゃなきゃ、燕が辛くなるのよ」

 何を言っているんだろう。
 深い水中へ潜った時のように、母親の声がぼやけて聞こえる。
 例え世界中の何処へ行っても、それは燕の抜け殻でしかない。心の居場所は皇慈の隣にしかないのだから。

「ッ……ぼくは……もう、……巣立った大人だよ」

 言葉が上手く伝わっているのかも、燕は判断できない。
 人生の光りを失ったルビー。燕の瞳がクリアに映しているものは、愛しいひとが眠る柩だけだ。

(許されるなら縋って、張り付いていたい)

 けれど皇慈との別れを惜しむ者は多く、柩の周りは涙の匂いで溢れている。彼らの邪魔は出来ない。例えそれが、永遠の愛を誓った者でもだ。

「いいえ。燕は何時までも、母さんの子供よ」




 灼熱の炎が煌々と燃え上がる。
 最後に残った重い抜け殻を軽い灰へと換える為に――。

 それが本当に最後の記憶。
 もう、皇慈との時間は一秒も紡がれない。

 葬儀は順調すぎる程円滑に終わった。
 予期せぬアクシデントが一つでも有れば、別れを数秒でも遅らせられたのに。
 神様は余っ程速く、美しい魂との邂逅を望まれているらしい。

「――くん……燕くん」

 不意に肩が叩かれて、燕はゆっくり振り返った。
 背後に佇んでいたのは天志。彼は喪服ではなく、神父の正装に身を包んでいる。
 鼻腔を掠める匂いは御香だろうか。葬儀会場となった教会でも、同じ匂いが薫(くゆ)っていた。
 神聖で荘厳な、遥かなる天空の宮を思わせる。独特で不思議な香りだ。

「あっ……ご、……くろ……さま、で……す」

 感謝を伝えようと、口を開いた燕。しかし重力の塊がドシリと伸し掛かったように重く、身体の何処にも力が上手く入らない。
 元気に飛び回る燕の姿は、皇慈の肉体と共に燃え尽きた。誰の目にもそう映っているだろう。

「外に長時間居るのは寒いでしょう。温かいミルクでも飲みに行きませんか?」

 しかし天志は普段通りの態度を崩さない。
 大切な友人を亡くして辛いのは彼も同じだ。けれど天志は、独り残された燕への気遣いも忘れない。本当に強いひとだ。
 神父の役目は尊き魂を天へと導く事。
 清く澄んだ天志の祈りは皇慈の魂を迷子にする事なく神の御手へと案内しただろう。

(羨ましい)

 結局、皇慈の役に立ったのは友人である天志か。
 滑稽にも感じる立場の違いが、胸の奥で燻る。
 それは燕の覚悟が足りなかったせいか、それとも皇慈への愛情が育ち過ぎたせいなのか。絶望の海に沈む燕には、天志の存在が眩しい。

「何より“クマ”が酷いですよ。しっかり眠れていないのでしょう。教会で休んでいきなさい」

 ふわり。温かい天志の両掌が燕の頬を優しく包み込む。
 しかしどんなに慈悲深い温情も、もう無意味。冷たく凍った燕の頬は癒されない。

「平気です」

 燕が俯く。
 すると天志の掌が滑り、温もりが遠のいた。

「それに僕が離れると、皇慈さんが淋しがるでしょう?」

 あんなにも外へ出たがらなかった声がスルスルと流れる。
 燕の視線の先に有るものは、愛しい皇慈の墓標。その形状は一般的に見慣れた和型のものではなく、重厚に聳える十字架だ。
 天空から降り注ぐ雪の結晶が薄化粧を施し、灰色の石碑を飾っている。まるで生前の美貌を神が称えているように。

「燕くん?」

 天志が怪訝そうに眉を顰める。
 けれど燕は自分の変化に気付かず、ウットリと続けた。

「嗚呼、皇慈――僕の美しく愛しい人生の伴侶。“隠れんぼ”がこんなにも上手なんて、知りませんでしたよ……」




 ◆◆◆




 意識がゆっくりと浮上する。

(此処は、何処だろう?)

 真っ暗だ。
 記憶も曖昧に霞んで、頭がボンヤリする。
 とても悲しく残酷な夢を観ていた気がする。けれどそれも感覚が残っているだけで、不確かなものだ。

(あれ? どうして僕が……皇慈さんの指輪を嵌めているんだ)

 ふと持ち上げた左手。その薬指に指輪が二つ、重なって嵌まっていた。
 どちらも見覚えがある。
 二人が初めて過ごしたクリスマス。その時に、お互いが贈りあったプレゼント――永遠の愛を刻んだマリッジリングだ。
 皇慈はその指輪を滅多な事では外さない。とても大切な宝物だと、肌身離さず持ち歩いている。それは勿論、燕も同様だ。
 仮に預かったとしても、不用意に嵌めたりはしない。ちゃんと安全な場所へ保管する。

(そうだ、皇慈さんは!)

 違和感の鎖が思考回路に巻き付く。しかし燕は自らソレを引き千切った。
 若しかしたら皇慈は今頃、指輪を無くして探している最中かも知れない。
 上半身をガバッと起こし、ベッドから抜け出す。どうやら燕は長く眠っていたらしい。記憶が混雑しているのも、起き抜けだからだろう。そう、納得した。
 部屋の扉を開けて、廊下へ出る。外も真っ暗で、足元が覚束ない。燕の道標は仄かに差し込む月光だけだ。
 窓辺へヨロヨロ近付く。すると、オレンジのように真ん丸い満月が白銀の世界を照らしていた。自然の色彩が美しい。
 その中でポコポコと、雪原の一部が盛り上がっている。よくよく観察するとそれは小さな雪ダルマの列だった。
 見覚えがある。子供達が作っていたものだ。

(教会……の、ゲストルーム?)

 場所の特定は出来たが、寝ていた理由が思い当たらない。
 それに喉がカラカラに渇いて、身体も鉛のように重い。微熱でも有るのだろうか。健康優良児と持て囃された過去の栄光が泣いている。
 しかしそれでも、燕の目的は変わらない。皇慈の許へ帰るのだ。

『今まで、お世話になりました。僕は皇慈さんの許へいきます。本当にごめんなさい。感謝しています。ありがとう』



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