僕は何度でも、貴方と幸福な恋をする
僕は何度でも、貴方と幸福な恋をする11
「昨日の夜、熱が有ったんです。でも、僕が出発するまでには必ず直すって」
喉の奥が震える。
帰省を遅らせると言った燕に、皇慈は首を振った。それどころか『ただの微熱だ。心配するな』と、逆に燕を気遣ったのだ。
「ッ……。僕があんな裸同然の恰好、見たいなんて言ったから!」
「ナニをしたのかは問いませんが、反省だけはしなさい」
流石の天志も「うわぁ……」と、どん引く。
温かな掌が燕の肩から離れると同時に、冷たい視線が突き刺さった。
「嗚呼。私の可愛い燕が、天志さんと二人っきりで仲良くしている」
その一方で皇慈が開いた口を両手で覆う。まるで浮気現場を目撃したような反応だ。
どうやら主との話は終わったようで、サファイアの瞳は愛しい恋人を映している。
そして皇慈は主へ会釈を送り、燕の居る場所へフラフラ歩み始めた。
「皇慈さん、無理しないでください」
今にも転んでしまいそうな皇慈の足取り。燕は咄嗟に駆け出した。
距離は5メートルも無かったが、皇慈の息遣いはハァハァと荒く弾み出す。彼の求める歩行速度に体力が追い付けないのだ。
「おっと、君の足は何時から活発的に成ったのだね?」
大きな掌が皇慈の肩へ伸び、ピタリと引き止める。
やれやれと困ったような溜息を零すその人物は、主だ。
「燕との出逢いが私の人生に活力を与えたのですよ。神成先生」
気合い充分、魂の主張を語る皇慈。しかし彼はゼイゼイと肩で息をしていた。
元気なのは心だけ。誰の目にもそう映る。
「そんなに燕君と一緒に居たがるとは……まるで幼い子供のようだ。けれど君は、自分の容体をもっと深く考えなさい」
嗜める主の声音は厳しくも優しい保護者のそれだ。
主は燕と皇慈の関係を純粋な友情だと思っているようで、頭を抱える息子と解釈が異なっていた。
「仕方ないですよ、神成先生。だって皇慈さんは僕にベタ惚れ状態ですから、ね?」
皇慈の許へ到着した燕が主の顔を覗き込み、明るい笑顔でウィンクを送る。
堂々としていれば逆に気付かれないもので、主は二人の友情を比喩した軽口として受け取った。
「と、言うか。どうして君達は二人揃って私を恋敵(ライバル)視するのですか?」
天志の瞳が身に覚えのない濡れ衣だと訴える。
「だって幼馴染みですよ!? それだけで越えられない親密度の壁が、僕の前に立ちはだかってる」
燕は傾く皇慈の身体を支えつつも、天志の方へ顔を向けた。
遠巻きでは有るが天志の周囲には、ドーナッツ状に黒山の人だかりが形成されている。件のブログ記事で彼のファンに成った人々だ。
「知りませんよ、そんなもの。大体、友情と愛情は同列に語るものではないでしょう」
呆れたようなエメラルドの視線が痛い。
天志にとっては興味の無い主張。燕の個人的な杞憂だ。
「きゃあ〜。神父サマ素敵ぃ〜」
「コッチ向いてよ。“天使”さーん!」
「ってか、金髪の人も超美形じゃない? マジ目の保養なんだけどぉ〜」
黄色い悲鳴が其処彼処から湧き上がる。
だがしかし、天志は自分に対する噂話を極力聞かないようにしていた。
俗世の流行り廃りに振り回されない様子は、流石尊い純潔を神に捧げた聖職者である。
聞き捨てならない言葉も中には有ったが、燕も天志の例に倣う。
所詮は一時的な騒ぎだ。何の見返りも得られないものに、乙女の関心は長く続かない。
「それじゃあ、パッと行ってパッと帰って来ますね」
目的の新幹線が到着し、燕は椅子から立ち上がった。コンクリートの地面に置いていた荷物も改めて持ち上げる。
場所は駅のホームに有る待合室。
燕は苦に成らない立ち話も、皇慈は疲労が溜まってしまう。
まだ微熱の残る彼の体調を考慮して、休める椅子も有り暖房も効いている待合室へ移動していたのだ。
「あ、燕……待っ」
皇慈も反射的に腰を上げ、燕の後を追いかける。
しかしその身が寒さにブルリと震えた。
氷点下にも感じる冷気の塊が、待合室のドアを開けた事で流れ込んで来たのだ。
「クッシュン」
思わず飛び出る嚔(くしゃみ)に、皇慈が口許を隠す。
男らしい豪快さはないが、育ちの良さが窺い知れる。皇慈は仕草の一つ一つが優雅で上品だ。
身分不相応な程に勿体ない相手。皇慈は燕の人生の中でキラキラと輝く宝石。
一欠片の記憶でさえも、心の宝箱へ仕舞う余裕が無い。
「外は寒いですし、皇慈さんは此処に居ますか?」
「いいや、心配ない。ただの生理現象だ」
ビュウビュウ。
強く吹く北風が体温を容赦なく奪う。
純金色の髪からも、カシミアのロングコートに残る温もりも。あっさりと、惜しむ暇も与えずに――。
そしてそれは皇慈の時間も同じだ。
抗えない運命の強風が、物語の最終章まで一気にページを進める。
「それに私は、燕の見送りをちゃんとしたい」
けれど登場人物はそれを知らず。己の信じる道を直向きに歩む。
「皇慈さんがそんなに可愛い事を言うと、僕は調子に乗って……“行ってらっしゃいのキス”とか、お強請りたくなりますよ」
「ふふ。それは大変だ。私も燕に“行ってきますのキス”をリクエストしたくなる」
ピタリと閉まった新幹線の扉が、大きな口をあけるように開く。
燕はサッと背筋を伸ばし、皇慈も腰を屈める。そのまま身を寄せ合い。甘く口付けを交わした。
しかし恋人達の逢瀬は短く。燕は余韻を楽しむ間もなく唇を離す。
「行ってきます。身体、冷やさないように気を付けてくださいね」
「ああ、分かってる。燕も怪我に気を付けて。行ってらっしゃい」
別れの言葉は、二人とも口にしない。
変わりに日常の延長線――燕が町へ出掛ける時に交わす会話を切なく噛み締めた。
後ろ髪を引かれながらも新幹線へ乗り込んで。窓越しに手を振る。
離れた距離は未だ短く。皇慈の微笑みもクリアに見える。
けれど、たった一枚の窓硝子が二人の世界を明確に隔てる。声はくぐもって伝わり、燕の鼓膜は皇慈の音を拾いきれない。
まるで別の世界へ消えてゆくように、別れを強制的に認識させられた。
「……ぃゃ、」
とても小さな悲鳴が心に響く。
空耳にも思えるそれを、燕は確かに聴いた。
「え……皇慈さん?」
反射的に、新幹線の窓へ縋り付く。
嫌な予感が燕の全身を駆け抜け。感覚がザワザワと総毛立つ。
それでも皇慈は笑顔だ。何時もの、燕が大好きな。儚く咲く月下美人。
「ぁ、……ちが」
美しい美貌が可哀想な程くしゃりと歪む。
皇慈は自分の感情よりも燕の反応に狼狽しているようだ。表情を元に戻そうと、ぎこちなく唇を形作る。
(嗚呼、そうだ。皇慈さんは)
表面的な物分りは良い癖に、燕が離れると捨てられた子猫のように淋しがるのだ。
(僕は一体、何をやっているんだろう?)
永遠の別離は怖い。けれどその不安は、同じものではない。
優等生の顔で送り出して、皇慈は誰もいない洋館へ帰る。そして何時戻って来るか分からない恋人を、独りで待ち続けるのだ。
残り少ない自分の時間に怯えながら。
「我慢なんて、しなくていい。泣きなさい」
ぽんぽん。
不意に伸びた掌が、皇慈の頭を優しく包み込む。
撫で慣れた手つき。慈愛に満ちたその人物は――
「天志……さん」
気付かぬ内に、天志が皇慈の左後ろに立って居る。
最後の見送りは二人で過ごしたいだろう、と。他の者達は気を利かせて、燕と皇慈の様子を遠巻きに見守っていた。
けれど天志はその輪を離れて。長年の友人へその胸を貸す。燕に頼まれたからではなく、自分の意志でだ。
「別れが辛い。その感情を表に出す事は、悪い事ではありませんよ」
舞い降りる羽毛のような優しさが、気丈な涙腺を促す。けれど皇慈は首を振り、唇をキュッと引き結んだ。
「燕が好きなのは、私の笑顔だから……。それにもう、涙は見せたくない」
無理に押し込めた悲しみ。それが喉の奥を締め付け、声が小刻みに震えても。皇慈は透明な滴を零さない。
天志の胸をトンと押して、短い感謝を口にした。
「……ッ!」
まるで燕は観覧者だ。
新幹線の四角い窓がテレビ画面のように目の前の光景を縁取る。しかしそれは紛う方なき現実だ。
燕は無意識に拳を握り締める。
どうして自分は、皇慈を慰められないのだろう。悲しませてしまうのだろう。
誰よりも愛して、幸せな笑顔を望んでいるのに。
居ても立っても居られない。
燕はクルリと振り向く。乗客は席に付き、出発をまったり待っている。
彼等の平和を壊してしまう事は少々心苦しいが、燕はグッと覚悟を決め駆け出した。
大人一人が何とか通れる通路には荷物がポツポツと置かれ、燕の行く手を阻む。
出発を知らせるチャイムも鳴り始め、焦りが募る。
「皇慈さん!」
閉まる直前の扉に飛び付く。
そのまま上半身を投げ出し、魂の言葉を叫ぶ。
「クリスマスプレゼントは指輪にするので、返事を考えておいてください!」
純白の結晶が灰色の世界に舞う。冷たい。けれど美しい花弁雪だ。
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