僕は何度でも、貴方と幸福な恋をする
僕は何度でも、貴方と幸福な恋をする9
強い北風が窓硝子をビュウビュウ叩く。
より一層下がる気温が寝室の空気を容赦なく入れ換える。
今年の冬は例年と比べても冷え込む。初雪の到来は予想よりも速いだろう。
皇慈の両腕は燕の背中を抱き締めた状態のまま固まっている。それを二人の間へと引き寄せて、燕は皇慈の両手を包み込むように握った。
じんわりと移動する互いの体温は温かく、愛情は微塵も減っていない。
「僕は皇慈さんの願いを叶えたい。でもそれは“本当の願い”じゃないと意味がない」
燕が初めて告白した時。皇慈が飲み込んだ言葉は、『ずっと一緒に居たい』ではなかろうか。
頭の中で整理した表面的な言葉よりも、ポロリと落ちた本音の方が価値がある。例えそれが愚かな決断でも、燕の意志は変わらない。
「それに僕は、今も沢山の幸を貰ってる。だから『幸福を贈れない』なんて、言わないでください」
他の誰が『それは不幸だ』と言っても。
尊い魂が眠りの楽園へ導かれても。
最後に残るのモノが、割れた心臓だけだったとしても。
「だって皇慈さんと出逢った事が、僕の幸福――キラキラと輝く宝石だから」
燕は照れも偽りもなく言い切った。
冷静になれば恥ずかしい台詞も、皇慈の前では自然と溢れて来る。
「燕……っ」
ポタリ、ポタリ。雨が降り出す。
サファイアの瞳から零れる雫は皇慈の頬を伝い、燕の指を濡らした。
「私はこの手を振り払う事も、君を『嫌いになった』と嘘を吐く事も出来ない――最後まで燕に好かれていたいと思っている。とても身勝手な人間だよ?」
皇慈が泣き顔を隠すように俯く。喉の奥から絞り出す声も震えて、所々に辛そうな嗚咽が交る。
「そんなの。皇慈さんへの愛情を貫こうとしてる僕も、充分親不孝者ですよ」
胸の奥がチリリと痛む。
けれど燕は忘れるように心の蓋を閉じる。両親や兄弟達には悪いが、自分で決めた道だ。
今は無理でも、何時か理解してくれるだろう。そう、信じる事にした。
「燕はまだ間に合うじゃないか。君の帰りを待ってる人達の許へ、笑顔で戻れる」
「まぁ。でも、実家は元々出てますし。兄の家も遅かれ早かれ出る気でいたんです」
それが気休め程度の言葉だと、皇慈も分かっているだろう。けれど燕は続けた。
雨のように降り続く涙が止まるまで。
「僕の兄には長年交際している彼女がいて、今年の夏に結婚しました。だから弟とはいえ若い男が家にいるのは、新婚夫婦にも悪いでしょう?」
「それはおめでとう……あっいや、燕が家を出る事にではなくて、お兄さんの結婚がだな」
皇慈が顔を上げ、慌てて訂正する。
すると目尻に溜まる涙が月光を反射して、キラキラと光った。
今夜は満月だ。オレンジのように真ん丸い月が窓の外から覗いている。まるで二人が初めて結ばれた夜のように。神秘的な輝きだ。
「ちゃんとその意味で伝わってますよ。大丈夫」
「そうか。良かった」
「だって皇慈さんは、人の喜びを最優先に考える人だから」
ふっと懐かしさが過る。
皇慈に対する燕の感情が出逢った頃のままだとは言えない。それは天空へ届きそうな程に育って、過去という大地が見えない位だ。
「あ! 涙。引っ込みましたね」
「燕……ン」
燕は皇慈の額と自分のそれをコツンとくっ付ける。まるで明るい夜空と満月の境目が溶け合うように、互いの髪が重なった。
「これで皇慈さんが幸せそうに微笑んでくれると、僕も幸せに成るんだけどな」
独り言を装い、バレバレな本音を伝える。
普段の燕は年上の皇慈に対して敬語で話す。だから口調を元に戻すだけで、ある種ギャップに繋がるのだ。
「燕の“お願い”は何でも叶えてあげたいけれど、改めて言われると難しいな」
ポソリ。皇慈が静かに照れを呟く。その頬もサクランボのような朱色で、美しいだけでなく可愛らしい。
ベタ惚れな恋人の惚気だと思われても、燕の頬はホワホワと緩む。
「そうだ。知ってますか?」
「ん?」
「皇慈さんは、僕といる時が今までで一番幸せそうに見える。らしいですよ」
「誰がそんな……私の恥ずかしい秘密を燕にリークしたんだ」
それは全く隠れていない秘密だ。
しかし皇慈は珍しく焦る。羞恥の炎から逃れようと後退った拍子に、二人の額も両手も離れた。
最も燕に『皇慈のトップシークレット』を教えた人物は、鋭い天志なのだけれど。
「自分でも愛してるとか、平然と言うじゃないですか」
「自分で言うのと周りから言われるのは違う。燕だって子供扱いが不満なくせに、私の前では“武器”に使うだろう」
ベッドボードに皇慈の背中がトンと当たる。其処が終着点と、皇慈の後退りは僅か4歩で終わった。
「僕は“年下の可愛い恋人属性”を最大限活かしてるだけで、皇慈さん以外にはしません」
臨機応変の看板をしれっと掲げる燕。
その姿勢は効果抜群の上目使いだ。皇慈の喉も「う……っ」と詰まる。
「だから、つまり。長年の童顔コンプレックスも皇慈さんの前では些細な問題というか……それが気に入られた要素なら良いかなって、最近は思うんです」
湧き上がる気恥ずかしさに燕の目はパチパチ瞬く。やはり皇慈の前で改めて言うと、背筋がソワソワむず痒い。
「それは少し違う。私は燕を可愛いと思っているけれど、全体的な感想というか……ん〜口で説明するのは難しいな」
照れくさい空気が伝染したのだろう。皇慈の人差し指がサクランボ色の頬に伸び、ポリポリと掻く。
「そもそも私が燕を最初に『好き』だと自覚したのは、お茶をくれた時で」
「え?」
金木犀の甘い香りが蘇る。地平線へと沈む夕陽も、茜色の空が金色のベールを纏う瞬間も。鮮やかに、懐かしく。
それは二人の出逢い。倒れた皇慈を木陰まで運び、燕は水筒のお茶を差し出した。
確かに皇慈はそのお茶を『とても落ち着く味』だと言っていたけれど、燕は社交辞令程度にか受け止めていなかった。
それは燕の中で自然な行動で、特別な行いでも何でもなかったのだ。
「何気ない心遣いが嬉しかった。その後も燕は、見ず知らずの人間が急に頼んだお使いを嫌な顔一つせず引き受けてくれて――気が付けば、胸の鼓動を抑えられなかった」
その時の感覚を思い出すように、皇慈の掌が左胸をギュッと押さえる。
ドキンドキンと高鳴る恋の旋律が燕の心臓にも伝染して、鼓膜に響く。
思えば皇慈最後の恋は、燕が運んで来たのだ。
「僕は単純に一目惚れでした。皇慈さん、飛び切りの美人だから……ああっでも、好きな分部は顔だけじゃないですよ」
慌てて言葉を追加する。まるで数分前のやり取りを逆に繰り返しているようだ。
皇慈の返答も勿論――。
「ああ。ちゃんと分かってる。大丈夫だよ、燕」
「良かった。『この面食い野郎!』とか罵られたら、どうしようかと思いました」
「ふふ。それだと私がナルシストになってしまう」
燕は火照った頬を隠さず、皇慈との距離を詰める。そして揺れる肩を引き寄せて、「ベッドの中へ戻りましょう」と促した。
シルクのパジャマは温もりを失い、皇慈の指先も冷たくなりかけている。それなのに頬は真っ赤なままで、すべての熱が集中しているようだ。
燕と皇慈はどちらからともなくお互いの背中へ腕を回して、体温を分け合う。そして楽しく戯れ合ったまま、横に寝転んだ。
「やっと微笑んでくれましたね」
「ん。前にも言っただろう。燕を見ていると元気になるんだ」
両足も交互に重ね、隙間なく抱き締め合う。
掛け布団は燕が引き寄せて、皇慈から先に包み込む。舞い上がりそうに軽い羽毛布団はホカリと温かい。二人の体温が未だ残っていたのだ。
そして燕は皇慈の瞳を真直に見詰める。偽りの無い心根を伝える為に。
「貴方のすべてを愛してる」
燕はもう、皇慈以外の相手を愛せない。最初の恋ではないけれど、神に誓う最後の愛だ。
「両親を説得して、必ず皇慈さんの許へ戻って来ます。だから絶対、待っていてください」
心臓の動きを止めないで、世界からフワリと消えないで。
「でも本当は一日も離れたくない。これくらいの“愚痴”は聞き逃してくださいね?」
燕は冗談めかし、明るい笑顔の奥に身を引き裂くような決断を隠す。
けれどそんな強がりも皇慈は気付いているだろう。
「それは無理な相談だ。燕の話なら、私は一晩中でも聞いていたい」
「もう、皇慈さん……」
長い会話の末、時刻はもう12時近い。流石の燕も人間の三大欲求である眠気には到底勝てない。
しかも皇慈の掌が燕の背中を優しい夢へと導くようにゆっくり撫でるのだ。
「私も愛しているよ。辛い決断をさせて、本当にごめんなさい」
不意に皇慈が俯く。
紡がれる言葉は彼の辛い葛藤だ。
「何時までも待ってる。だから安心して、ご家族に甘えておいで」
「はい。里帰り気分で帰って、呆気に囚われている間に承諾を押し切ってきますよ」
燕は皇慈の顔を上げさせ、ゆびきり代わりの口付けを透かさず贈る。
涙に濡れる唇は悲しい味がした。
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