初恋は桜の中で:番外編
ホワイトスノー・クリスマス1/一夜×椿


 クリスマスアンケート第一位:卯月一夜×雪白椿。



 広い空には雲の絨毯が敷き詰められ、あたたかな陽の光を遮っている。はーと息を吐けば、白い息が遥かなる空にとけた。
 冬の冷気が支配する並木道。横を向けば、漆黒色の髪が冬風に弄ばれている。

「今夜は雪が降るそうだ」

 凛と響く中音域を空気に溶かし、椿は愛しい漆黒に手を伸ばした。一夜の髪がぐちゃぐちゃにされる前に、整えにかかる。

「積もるでしょうか?」

 一夜はされるがまま状態だ。椿が納得するまで、大人しく頭を差し出している。たまに見せる擽ったそうな表情が、椿の心をホワリと温めた。

「どうだろうな」

 仕上げにサラリと一撫ですれば、一夜の頬が微かに染まる。何度撫でても、一夜の反応は初々しい。

「一夜は雪が見たい?」

 椿は夜明け色の瞳を覗き込み、会話を繋ぐ。何気ない雑談も、一夜との愛情を育てる愛しい時間だ。

「俺は椿といると、景色が綺麗に見えるので。雪も見たいです」

 それは一夜も同様で、椿と紡ぐ幸せな時間に頬をほこほこ温め続けている。崩れを知らないポーカーフェイス。それも恋人の前では甘く蕩けてしまうのだ。

「ッ……一夜」

 椿の心臓がきゅんと音を奏でる。不意に届けられた言葉の贈り物に、頬が熱い。
 今日は12月24日。クリスマス・イヴ。夏休みにした約束が現実になる日だ。一夜と椿を包む空気は、何時にもまして幸せ色を濃くしている。


「――それじゃあ、荷物取って来るから」
「はい。待っています」

 葉の落ちた桜並木を抜け。雪白家へと辿り着いた。門の前で足を止めた一夜の手を、椿が握る。

「そこは寒いだろう。家の中で待っていろ」

 木枯らし荒ぶ12月。しかも今日は、今季一番の冷え込みを記録しているのだ。そんな状況下に、一夜を晒して置くなど出来ない。
 椿はそのまま手を繋ぎ、一夜を暖かいリビングへと連れて行く。風邪を引いたら大変だ。

「ぁ、ありがとうございます」

 遠慮を見せる一夜をソファーに座らせ、温かい飲み物を用意する。ほわほわと上がる湯気が、目にも温かい。

「ミルク、好き?」

 一夜はミルクを受け取り、美味しそうに飲んだ。一夜はカルシウム豊富なミルクをよく口にする。椿よりも低い身長を気にしているのだ。
 しかし今日の一夜には、それ以上の感情が感じられる。椿はその変化を見極めようと、瞳を合わせた。

「これは、椿が」

 心の奥底を見透かす椿の瞳。それを恐れる人間は多く。心の城壁を厚くする原因になる事も多い。
 けれど一夜は椿の瞳を恐れない。逆に、『大好き』だと伝えてくれるのだ。

「ふふ。僕が作ったミルクだから、美味しい?」
「ッ……ずるいです」

 椿は丹花の唇に小悪魔の笑みを浮かべ。一夜の思考を音にする。先を越された一夜は頬を桜色に染めた。
 ほわりとした空気がリビングを包み込む。

「あら、一夜クン!」

 可憐な花が咲くように、甘い女性の声音がその空気に舞う。意識をそちらに向ければ、菜花がいた。

「ぁ、お姉さん……!」

 一夜がソファーからピシリと立ち上がる。その肩は緊張に硬くなっていた。恋人の姉登場に、無意識の羞恥心が働いているのだろう。

「ほ、本日は大切な弟さんを、お預かりします」

 カチコチ。一夜は極度の緊張に包まれながら、菜花に菓子折りを差し出す。用意していた手土産だ。

「まぁ。ご丁寧にどうも」

 菜花は華の笑顔を咲かせたままそれを受け取り。弟の恋人が緊張している姿に、「きゃん。かわいい」と頬を緩める。
 そして一夜の緊張を和らげるように、言葉を続けた。

「兄さんは仕事でいないから、そんなに緊張しなくてもいいわよ」

 椿は12月24、25日の二日間。つまりクリスマスイヴと当日に、『一夜の家に泊まりに行きたいんだけど、いい?』と申し出ていた。
 しかし、山吹の口から快い返事は中々得られず。椿は遠回しに『反対』を伝える山吹に食い下がり。激しい口論バトルの末。何とか承諾の言葉を貰っていたのだった。

「お兄さん……」

 一夜の声音がシュンと下がる。山吹の意見と椿の想い。それは仲の良い兄弟仲に細波を立てるぶつかり合い。その原因を作った自分に、複雑な感情を覚えているのだろう。
 出来れば直接会って、挨拶をしたかった。そんな一夜の思いが、椿と菜花の鋭さに見つかる。

「兄さんは『兄の立場』から反対しただけだから、一夜が心を砕く必要はないよ」
「そうよ一夜クン! 兄さんは“心配性のブラコンさん”なだけよ」

 寡黙で内気な一夜を囲み、椿と菜花が言葉を降らせる。
 椿に演技の基盤や愛情の伝え方を教えたのは山吹だけれど、本能的な鋭さは菜花譲りだったりするのだ。

「ぁ、……」

 一夜の眉根が戸惑いを浮かばせる。どんな反応を返せばいいのか、分からないのだろう。

「大丈夫だ、一夜。僕と兄さんは“喧嘩”なんてしていないから、心配するな」
「椿」

 椿は一夜と瞳を合わせて、変わらない兄弟仲を教えた。その言葉に安心したように、一夜から戸惑いが消える。
 それは椿しか気付かない、一夜の微かな感情の変化だった。

「うふふ。椿くんが一夜クンと仲良しさんで、お姉ちゃんきゅんきゅんだわ」

 そして菜花は一夜と椿を包む特別な空気に、心からの笑顔を咲かせていた。




 ◆◆◆



「――お姉さんに、プレゼントを貰ってしまいました」

 雪白家から一夜のマンションへ。一夜は椿に席を勧め、温かい飲み物を用意している。気遣いのお返しだ。

「ああ、恐らく洋服だろう」

 テーブルの上に置かれた紙袋。その中には、菜花から渡された贈り物が入っていた。椿は“姉の趣味”を脳裏に浮かべ、中身を予想する。
 菜花の趣味はショッピングだ。椿も荷物持ち要員として付き合わされる事が多い。それに関して文句はないのだけれど、 問題が一つだけあるのだ。

「しかも、女性物が入っている可能性が高い」
「ぇ……?」

 カチャッ。一夜の動揺を表すように、カップが音を立てる。そう、菜花は椿にも女性物の洋服を勧めてくるのだ。

「ターゲットを変えたのだろうか? ――君は細身だし、着こなせると思って」

 椿は紙袋から一夜へと視線を向ける。そして真剣な表情を作り、意地悪を口にした。

「ッ!?」

 一夜はそれを素直に受け取ったようだ、衝撃に喉を詰まらせている。

「ふふ。半分は冗談だ」
「半分……」

 一方的に楽しんでいた戯れを明かし、椿は一夜の瞳を見詰めた。

「世界一格好良い一夜に、スカートなんて似合わないだろう」
「ッ!」

 一夜の喉が再び詰まる。ただし二度目のそれは惚気に対しての反応。一夜は実年齢よりも若く見られる事が多い――所謂“童顔”だ。
 世間の人間が聞けば、山吹のような人間こそが理想的な男性だと言うだろう。けれど山吹は椿の“兄”で、一夜は“愛しい恋人”。
 抱いている感情はまるで違う。椿の瞳には、一夜以上に魅力的に映る人間などいない。心の底から、一夜を世界一の良い男だと思っているのだ。

「恥ずかしいです」

 椿を酔わせる一夜の音色が羞恥を含んで、空気を震わせる。気恥ずかしくも嬉しい恋人の惚気。その言葉に、心が高揚しているのだろう。

「なら、僕がこれ以上恥ずかしい惚気を吐かないように――塞いでみるか?」

 椿はソファーに座ったまま、キスのお誘いを掛けた。小悪魔の羽に惑わされた一夜が、距離を縮める。

「椿……んっ」
「ぁ、ん……一夜」

 唇に感じる愛しい体温。一夜は膝の上に跨り、椿の唇を夢中で吸っている。
 未だ夕方と呼べる時間帯。けれど厚い雲が陽の光を遮り、部屋の中は薄暗い。それに時間感覚が狂わされてゆく。

「は…ゥン、……そこ……ァ、……駄……め」

 一夜の手がシャツに忍び込み、熱い指先が雪肌を這い回る。ゾクリとした感覚が欲望の扉を叩いた。

「椿……ハァ……脱がせても、いいですか?」
「ぅん……一夜」

 興奮を宿した一夜の熱い息が首筋に掛かる。こそ痒いそれにも甘い疼きを感じ、椿はコクコクと頷いた。
 恋人との甘い逢瀬。もう、椿は一夜の事しか考えられない――

『ピーンポーン』




「ぁ、ごめんね。邪魔しちゃった?」
「はい。謀ったように絶妙なタイミングでしたよ。先輩」

 天国から地獄とはこの事。椿は不機嫌を隠さず、氷の矢をツンと飛ばした。
 一夜と椿を包んでいた甘く淫らな空気。それは数分前、突如として壊されたのだ。相手に悪意が無い事は理解している。けれど、一言くらいは文句を言いたい。

「そう、それは本当に……ごめんね」

 絵本の中から抜け出した王子様が、二度目の謝罪を口にする。
 今、椿と会話を交わしているのは愛しい一夜ではなく別の人間。学園の先輩である桜架だった。



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