初恋は桜の中で:番外編
ホワイトスノー・クリスマス2



 ◆◆◆




「サンタコスしたキミも、カワイイよ。お返しにボクのベーゼを“プレゼント”して、あ・げ・る」

 濃厚なフェロモンが、簡素なリビングに充満している。自由な羽根を舞わせ、聖祈は年若い“サンタクロース”に食いついた。

「結構です」

 けれどそのサンタクロースは肉食獣の抱擁をスススと避ける。赤い衣装に身を包んだ少年。その正体は一夜だった。

「つれないね、ウサギちゃん。クリスマスくらいはボクともラヴラヴしようよ」

 逃げるサンタクロースにめげす。聖祈はピンク色のハートを舞わせる。その頭には、トナカイの角が生えていた。

「聖祈先輩、桜架先輩が悲しみますよ」

 無限に溢れるハートを避けぬけ。一夜が注意を口にする。

「チッチッチッ。甘いねウサギちゃん、ハルちゃんは“ああ見えて”泣く前に怒るタイプなんだよ」
「……」

 ダイニングとリビングを仕切るパーティション。それを目隠しに使い、一夜と聖祈は着替えていた。
 愛しい恋人と過ごす、初めてのクリスマス。一夜は椿と過ごす、甘く穏やかな時間を思い描いていたのだけれど。それを知らない先輩達が、「一緒にクリスマスパーティーしようよ」と30分ほど前に訪ねて来ていたのだ。

「お姉さん」

 そして一夜がサンタクロースの衣装に着替えている理由は、菜花からのプレゼントがソレだったからである。

「俺、頑張ります」

 一夜は一枚のメッセージカードに視線を這わせた。可愛らしい丸文字が、『椿くんと楽しんでね』と菜花の言葉を伝えている。
 そう一夜は、『椿に幸せを届けるサンタクロース』に変身していたのだ。

「でもどうせなら、椿姫の“ミニスカサンタ”も見たかったなぁ〜」

 静かに意気込む一夜を横目に、聖祈が残念そうな感想を呟く。自分の恋人が近くに居るというのに、彼の性癖は相変わらずのようだ。




 ◆◆◆




「嗚呼、今頃――僕の一夜が襲われているかと思うと、腹立たしい……!」

 スパン。真っ赤に染まったトマトが一刀両断される。
 一夜がサンタクロースに変身していた頃。椿はキッチンに立っていた。クリスマスパーティー用の軽食を作っているのだ。

「大体あの男(聖祈)、また僕達の時間に水をさして。何回目だと思っている?」
「……」

 けれど椿の唇から溢れる言葉は、一夜への独占心ばかり。料理作りを手伝っている桜架も、余計な口を挿めない状況だった。

「聖祈くんは見た目も中身もチャラチャラしてるけど、悪気はないひとだから――それだけは分かってほしいな」

 そんな空気が支配する中、沈黙を守っていた桜架が重い口を開く。
 飲み物を用意している手を休め、聖祈の行動をフォローする。自分の恋人への文句に、耐え切れなくなったのだろう。

「その無自覚に、何度も邪魔されたと言っているのですが? 先輩」

 しかし椿は完璧に作られた笑顔を貼り付け、桜架に言葉を返した。キッチンを包む空気は、最早氷河期のように冷え切っている。
 大体、桜架も聖祈の後をひょこひょこ付いて来ないで、『君と二人っきりのクリスマスを過ごしたいな。ぼくの愛しい聖祈くん』とでも言えば良いのに、と。椿は思う。

「エプロン姿もカワイイね。ハルちゃん」
「うわぁぁああ!」

 その時。冷たい氷を割るように、突如桜架が悲鳴を上げた。まるで変質者に襲われているように鳥肌がプツプツと育っている。

「このまま押し倒したいくらいだよ。だから、『聖夜の秘密、トナカイに犯される新妻』プレイしない?」
「シないから、離して! 聖祈くん!」

 大きなトナカイが桜架を後から抱きすくめ、空色のエプロンを弄っていた。歩くセクハラ大王・聖祈だ。

「ぁ、ごめんなさい。椿だけに、作らせてしまいました」

 聖祈の後から、控えめなサンタクロースが現れる。細い体にフリーサイズの衣装がぶかぶかと大きい。椿の愛しい一夜だ。
 一夜の登場に、キッチンを氷らせていた氷河期は終りを告げる。

「いや、簡単なものだけだから。それよりも、あの男に襲われなかったか?」
「大丈夫です。避けました」

 一緒に作ろうと約束していた夕食作り。それを開口一番気にする一夜に、椿の頬は自然と緩む。
 今からでも手伝います、と。レタスを手にする姿もいじらしい。サラダ作りは一夜に任せて、椿は温かいスープを皿に注いだ。

「――ねぇ、どっちでもいいから、聖祈くんを引き剥がすの手伝ってくれないかな?」

 その横では現在進行系で聖祈に襲われ中の桜架が息をハァハァと荒くしている。
 器用にも上着だけを脱がされ、エプロンはそのまま。上半身だけだけれど、裸エプロン状態にされていた。

「ひとの恋路を邪魔するような真似、僕には出来ませんよ。先輩」

 けれど椿は一歩下がった後輩の顔を作り、助けを求めている桜架の言葉に断りをいれる。
 聖祈の魔の手は桜架のスラックスにまで迫っている状態だ。

「ちょ、聖祈くん! 駄目……ァ」
「フフフ。見られながらだと興奮する? ホントに桜架は、可愛いね」

 桜架の唇から、艶かしい声が漏れる。その反応に気分を良くしたように、聖祈の指は先に進んでゆく。

「スープが冷める前に終わらせて下さいね」

 そんな聖祈と桜架のやり取りを冷ややかに一瞥し、椿は後を向いた。

「……」

 一夜が無表情のまま固まっている。椿は一夜の手を取り、キッチンを後にした。
 行為が本格的に始まる前に一夜を避難させなくては、聖祈が妙な趣向を秘めていては不味い。

「ちょっと待って、椿くーーーん!」

 危険な状況から一夜を連れ出す椿の背中が、迷いなくスタスタと遠ざかる。ピンと筋の通った姿勢の良いそれを、桜架の悲痛な叫び声が追いかけた。




「……ヒドイよ、ハルちゃん。平手打ちなんて、新しい世界の扉が開きかけたじゃない」

 右頬に見事な手形を付け、聖祈が口を尖らせる。

「……」

 けれどその視線の先にいる桜架は額を押さえ、聖祈の言葉から耳を塞いでいた。
 結局あの後。桜架は数秒も経過しない内に聖祈の魔の手から抜け出し、一夜と椿に合流していたのだ。

「ウサギちゃ〜ん。愛するハルちゃんに構って貰えず傷心なボクの心を、癒・し・て」

 そして桜架から袖にされた聖祈は、変わりに一夜へと癒しを求めてきた。一夜の肩に額をスリスリと擦り付け。いじけを見せている。

「……ッ!」

 不意に、一夜が小さな悲鳴を上げた。落ち込んでいる筈の聖祈の手が、細い体を這い回っている。
 聖祈のセクハラ攻撃には油断も隙も作れないのだ。

「僕の一夜に触れるな! 怯えているだろう」

 無論、椿がそんな状況を許す訳がない。一夜を聖祈からペリッと引き剥がし、自分の影へと隠す。

「それじゃあ、椿姫の膝枕でもいいよ。ボクの心と体を、癒・し・て」

 舐めるような聖祈の視線が、三人目のターゲットに注がれる。転んでもただでは起きぬ、とはこの事だ。

「絶対に駄目です!」
「断る。僕の膝は一夜のものだ」
「なに言ってるの、聖祈くん!」

 一夜・椿・桜架の声が見事に重なる。そのすべてが、聖祈のセクハラ発言に対しての言葉だ。

「ワォ! それって、嫉妬? ねぇハルちゃん」

 聖祈が喜びの声を上げる。どうやら、桜架の関心を引く作戦だったようだ。

「違うよ。聖祈くんの行動に口が出ただけだから、引っ付かないで」
「え〜? 嬉しいくせにー」

 聖祈と桜架を包む空気が、ラヴラヴと甘い香りを漂わせる。クリスマスに気分が浮かれているのは、彼等も同じなのだ。




 ◆◆◆




「流石に帰ったな」

 パーティーの後片付けも終わらせて、ホッと一息。
 突然訪ねて来た先輩達は、9時前には帰っていた。と、言っても。聖祈の部屋は同マンション内に在る。
 だからそちらに移動して、今頃は二人の時間を堪能しているのだろう。

「もしかして、僕達はアリバイ作りに利用されたのか?」

 パーティー中、聖祈は写真を撮っていた。それが、桜架の家族に見せる為のものだとしたら。訪問理由にも納得出来る。

「ぁ、椿。お風呂の用意が出来たので、先にどうぞ」

 椿が推理を進めていれば、一夜が顔を出した。
 一夜はパーティー中、置物状態だった。けれどその頬はホワリと緩み。椿に確かな『喜び』を教えていた。

「ん? 一緒に入らないのか」

 椿は一夜の顔を覗き込み、甘い誘惑の言葉を囁く。

「ぇッ」

 一夜の目には、小悪魔の羽が見えているのだろう。椿を見詰める瞳に疑問が含まれている。

「冗談ですか?」

 おずおずと椿に質問する一夜。けれどその頬は期待に染まっていた。

「例え冗談でも、僕は一夜しか誘惑しない」

 それに、と。椿は続ける。

「一夜との時間を邪魔された。これからは、ずっと一緒にいたい」




 ◆◆◆




 静寂が支配する深夜。
 暗闇に染まる部屋。
 そして、隣に眠る美しいひと。
 一つの影がベッドから抜け出した。




「――ん、……一夜?」

 椿は重い瞼を開け。愛しい体温に手を伸ばす。けれどどんなに探しても、椿の指先は一夜の体に触れない。
 眠る寸前まで愛を囁いていた一夜が、ベッドの中から消えている。

「……トイレか?」

 冷徹な闇に問いかけても、シーンとした静寂が返って来るだけ。
 椿の心を言い知れぬ不安感が襲う。一夜の寝ていた場所は、まるで誰も居なかったように体温を失っている。そんな事、今まで一度としてなかった。

「いちや」

 椿は捨てられた子供のようにその名前を呟く。
 一夜は何時も、温かい体温で椿の心を包んでくれていた。それが感じられない。寂しい。寒い。心をあたためてほしい。
 ツンと気丈に振る舞っていても、椿の心はまだまた未熟なのだ。一夜がいないと、寂しい。

「……っ」

 椿はベッドから上半身を起こし、枕を抱き締める。すると、一夜の匂いが鼻孔を擽った。
 愛しい一夜の匂い。それは椿の大好きな匂い。
 その匂いは、椿の髪からもしている。シャンプーの香りだ。

(弱音を吐くなど、僕らしくない!)

 椿は首をフルフルと横に振る。
 吸い込まれそうな夜の闇に、弱い心が引き出されてしまったのだ。
 一夜の愛情は、今も椿を包んでくれている。

『カタッ』
「ん?」

 一夜を探しに行こう。椿はそう思い、ベッドから抜け出した。
 その耳に、微かな物音が届く。方向はカーテンに隠れた窓の外。

「ぁ、……!」

 次いで、焦ったような声も聞こえてきた。その声の正体は誰に教えられなくとも分かる。椿の愛しいひとの声音だ。

「鍵……」
「これか?」

 椿は窓辺に移動し、硬く閉まっている鍵を開ける。その瞬間、椿の瞳が幻想を映し出した。

「……」

 ベランダにサンタクロースが居る。ぶかぶかの衣装に、もこもこの帽子。サイズの合っていないそれが、逆に可愛らしい。

「ありがとうございま……ハッ」

 礼儀正しいサンタクロースが、喉を詰まらせた。
 その瞳は、見つかってしまった動揺に焦りを浮かばせている。椿に悟られないよう、突然現れて見せる積もりだったのだろう。

「取りあえず、中に入れ。そこは寒いだろう」
「……クシュ」

 案の定、一夜が小さなクシャミをする。真冬の外は、その身を氷らせるほど冷え切っているのだ。
 厚い雲に覆われた空からは、真白な結晶がチラチラ。雪が降りだしている。




 部屋に戻り、椿は一夜の体を真っ先に温めた。風呂でホカリと温まったそれからは、今は雪の匂いがする。

「――本当に君は、意外な行動力があるな。一夜」

 何時ぞやも口にした台詞。その時とは変化した関係に、仄かな懐かしさが浮かぶ。

「サンタクロースの衣装にまで着替えて、そんな趣向を秘めていたとは知らなかった」

 椿は一息に捲くし立てた。
 一夜は椿にぐるぐる巻かれた毛布から、顔だけを出している状態だ。
 時計の針は午前:五時を教えている。椿は起きる時間だけれど、一夜は寝ている時間だ。一体、何時からスタンバイしていたのだろう。

「……」

 夜が明ける少し前、夜の気配を残した色。深い瑠璃色の瞳が、椿の姿を真直に見詰めている。
 嗚呼――愛しい色。椿が愛している、一夜の色だ。

「椿、怒っていますか?」

 その瞳が不安に揺れる。自分の行動が、椿の怒りに触れたと思っているのだろう。

「当たり前だ。僕は今、腹を立てている」
「ッ!」

 けれど違う。椿の心を支配する憤りは、自分自身へと向けられているものだ。
 冷たく凍えた夜の匂いがする。何時もは温かい一夜の体温が、温度を無くしている。それはすべて、椿への感情が働いたからだ。

「君に何かあったら、僕が自分を許せない――前にも言っただろう」
「はい。覚えています」

 椿は一夜のすべてを包み込むように、その体を抱き締める。漆黒色の髪からは雪の匂いがした。
 懐かしい。椿は以前も、その匂いを纏った一夜を抱き締めた事がある。

「――でも、ありがとう。僕の為に頑張ってくれたんだろう?」

 椿は一夜を抱き締めたまま、感謝を伝えた。矛盾した感情だけれど、椿は今とても嬉しい。
 一夜のそれが、椿の『喜び』を思い描いての行動だと気付いているから。

「俺、椿にクリスマスを楽しんでもらいたくて」

 コクリと頷き、一夜が事情を語りだす。
 椿に見抜かれていると理解はしていても、自分の言葉で愛情を伝えたいのだろう。

「でも、隣の部屋からベランダに出たので、鍵の事を忘れていました」

 一夜の腕が椿の背中をギュッと抱き締め返す。その腕は温かな体温を取り戻していた。
 ホカリとした一夜の体温が、椿の心を温める。

「失敗ですね」

 自分の失態を気恥ずかしそうに明かす一夜。
 隣の部屋は誰も使用していない。千夜に引き渡された時のまま、その時間を止めている。主人から不要だと判断された寂しい部屋だ。
 一夜は父親の気配が完全に消えた部屋で、何を思っていたのだろう。それは椿にも読めない。一夜の心を支配し続けている、千夜の呪縛だ。
 椿はふとした瞬間にも、一夜を縛る千夜の影を実感する。

「それでも、僕を喜ばせる事には成功している」

 一夜は楽しいクリスマスの記憶など持っていない。それなのに、椿を楽しませようと精一杯の演出を思いついたのだ。
 その確かな愛情に喜ばずして、何に歓喜しろと言うのだろう。

「椿」

 一夜の瞳が歓喜を浮かばせる。計画していた作戦は失敗してしまった。けれど椿に幸せを届ける事が、一夜の最重要目的なのだ。

「一夜」

 そして一夜と椿を包む空気は砂糖菓子のように甘く蕩けだす。抱擁は密着度を増し、心はお互いへの愛情で溢れた。

 窓の外では大粒の牡丹雪が舞っている。
 日が昇ったら、雪に染められた白銀世界を一緒に散歩しようか。
 そんな約束を交わし、椿は愛しいサンタクロースに口付けを贈った。

「Merry Christmas」




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