初恋は桜の中で:番外編
ほろ苦いビュッシュ・ド・ノエル 2



 ◆◆◆




 そして12月23日。緋色は雪白家に訪れていた。
 ライダースジャケットを脱ぐとロココ調の3Pソファーに置き、自分はその横に腰を下ろす。
 そう、緋色も結局は菜花の提案に白旗を上げていたのだ。

「ビュッシュ・ド・ノエル――ノエルがクリスマスでビュッシュが木、丸太。つまりフランス語でクリスマスの薪と云う意味」

 椿がレシピ集を開き、今から作るケーキの情報を音読する。その身は既にエプロンを着けていた。
 どうやらクリスマスパーティーは乗り気ではないが、菜花の手伝いはキッチリ熟す気で居るらしい。

「お前ホント……歪んだ性格してるな」
「きゃん。椿くんはエプロン姿も可愛いわ」

 菜花の黄色い悲鳴が緋色の呟きを覆い隠す。
 偶然なのか意図的なのか、菜花の笑顔は底抜けに明るい。
 緋色としても椿の心を傷付ける目的が有った訳ではないので、菜花に出された紅茶を無心で啜った。ロイヤルミルクティーの芳醇な香りだけが鼻腔を満たす。

「材料は卵・グラニュー糖・薄力粉・それから――ん、何か言ったか?」

 椿がレシピ集から顔を上げ、緋色の目を見る。

「いや、別に。空耳じゃねーの?」

 緋色は素知らぬ顔で二口目の紅茶を啜った。そのまま一気に飲み干す。

「そうか。悪口を言われた気がしたが」
「……」

 コイツ地獄耳か、と緋色は心の中でそっと思った。けれど口にはしない。
 前倒しとは云え折角のクリスマスパーティーに無駄な争いを生む気は緋色にもなかったのだ。先程は少しだけ、口が滑ってしまっただけで。

「うふふ。フルーツも沢山使いましょうね」

 フォローの積もりか、菜花が明るく提案する。

「姉さん、僕はココアクリームよりモカクリームの方が甘さ控え目で良いと思う」

 椿はそう言って、開いたレシピ集を菜花へ見せた。ビュッシュ・ド・ノエルのページが、緋色の座った位置からでも見える。
 基本的な作り方からアレンジされたデコレーションまで。かなり詳しく、大々的に特集されている。クリームもココアやバニラ、それに椿が提案したモカまで、様々な種類が写真付きで記載されていてバリエーション豊かだ。

「あら、大人のセレクトね」

 菜花の視線が椿から、ビュッシュ・ド・ノエルの完成写真へ這う。
 其処には『大人の男性にもオススメ』と、プッシュ記事が付け加えられていた。

「確かに美味しそうだけど、椿くんにはビター過ぎない? モカって“コーヒー”の事よ」
「ちゃんと知っている。けれど僕は兄さんの好みに合うものを作りたい」
「あっ。テメー、山吹の得点稼ぐ気か」

 聞き捨てならない台詞に、緋色は身を乗り出した。
 対面に座る椿が冷え目を向ける。

「尊敬する“兄”に感謝を籠めたケーキを作って何が悪い? まさか、自分のプレゼントが霞むとでも思っているのか。器の小さい男だな」
「このっ休み知らずの減らず口が」

 ズゴゴゴゴゴ。緋色の背後に怒りの炎が燃え上がる。
 セーブしようとした矢先では有るが、バトル開始の火蓋が切って落とされようとしていた。
 その時、リビングの扉を叩く軽い音がコンコンと響く。

「やあ。間に合ったかな?」

 三人が揃って視線を向けると、空前絶後の美青年がリビングの入り口に立っていた。

「山吹」

 緋色が真っ先に彼の名前を呼ぶ。
 そして恋人の登場に高鳴る心音を極力顔には出さず、ソファーから立ち上がった。山吹の許へ向かう。

「早かったな」
「ああ。今日は撮影が予定通り終わってね。運が良かったよ。これで私も手伝える」

 山吹は嬉しそうに言って、トレンチコートを脱いだ。そして半分に折り畳み、自分の腕へ掛ける。
 たった数秒の動作を切り取っても、山吹の纏う空気は映画の世界を彷彿とさせる。一般人とは縁遠いものだ。その山吹の隣へ遠慮も物怖じも無く居られる緋色は、やはり怖ろしい人間なのかも知れない。

「駄目よ、緋色さん。そこは『ご飯にする、お風呂にする? それとも……オ・レ?』って聞かなきゃ!」

 菜花が立ち上がりざまに小芝居を打つ。可憐な下唇に人差し指を添えて、誘う様な上目使いを再現して見せた。

「聞かねーよ。大体オレがやっても気持ち悪いだけだろうが」

 呆れる緋色。山吹も困り笑顔を浮かべる。

「?」

 唯一椿だけが不思議そうに小首を傾げていたけれど。一応は無垢な子供に会話の意味を詳しく教えてやる気は緋色にも無かった。

「そうか! 兄さん、疲れているなら無理はしないで」

 ハタと、何かに気付いたらしい椿が立ち上がる。

「僕が風呂の湯を入れて来る」
「いや、椿。あのな……」

 そこまで言って、山吹は喉を詰まらせた。弟の気遣いを止める“咄嗟の言い訳”が思い付かなかったのだろう。正直な言葉を重ねれば、察しの良い椿は真実に辿り着いてしまう子供だから。大人はこう云う時、心の冷や汗を流すのだ。

「今日は寒いから、熱めで頼む」
「分かった」

 椿がリビングを出て行く。
 バスルームへ向かう小さな後姿が妙にアッサリしていて、山吹は「ハァ」と溜息を吐いた。

「椿が、大人の階段を登ってしまった」

 遠い目で呟く。

「いいから着替えて来いよ。全部感付かれた訳じゃねーだろ」

 緋色は男らしい肩にポンと手を置いて、山吹の行動を促した。
 所詮は子供の薄ぼんやりとした性知識。現場を目撃された訳でも無し、緋色的には何の脅威も感じなかったのだ。

「あらあら。椿くんは昔から気遣い屋さんよ。緋色さんがお泊りする日は兄さんの部屋へ行かないくらいだもの」
「止めてくれ、菜花」

 山吹が聞きたくない、と言わんばかりに自分の耳を両手で覆い隠す。




 そして山吹が湯気を纏ってバスルームを出た頃、キッチンではビュッシュ・ド・ノエルの生地が焼き上がった。
 菜花がオーブンを開け、熱々のロールケーキ型を取り出す。そして予めオーブンペーパーを敷いていたケーキクーラーにロールケーキ型を傾けた。出来立てのモカ生地が綺麗に出て来る。

「さあ、椿くんの出番よ。あら熱を取っている間にクリームを作りましょう」

 菜花がキッチンミトンを取り外しながら椿へ微笑む。
 椿は直ぐに頷き、生クリームとコーヒー液をボールの中に注いだ。泡だて器でカチャカチャ掻き混ぜてゆく。
 緋色はと云えば、そんな二人の様子を遠目で見ていた。一人黙々と野菜を切ってゆく。
 ビュッシュ・ド・ノエル作りは最後まで断ったが、料理の腕を揮う事事態は吝かではない。むしろ山吹の口へ確実に入る料理だ。誰が作ったか分らない出来合いモノ等に、その座を譲ってやる気はさらさらない。菜花の料理は別枠にしても、だ。
 新婚さんゴッコの小芝居に感化された訳ではないけれど、緋色の両手は山吹好みの味付けを次々に再現してゆく。

「私の出番は、未だ残っているかな?」

 と、山吹がキッチンに顔を出す。
 風呂上りに上気した頬もラフな部屋着も、山吹のオーラを輝かせる一因に成っていた。
 本当に男前という生き物は何を着ても彼の為に仕立て上げられたオーダーメイドのように有り触れたレディ・メイドを着こなしてしまうから狡い。緋色の頬も無意識に熱を感じて、赤く染まってしまう。

「こっちは大丈夫。兄さんは緋色さんを手伝ってあげて」

 菜花が明るく応える。
 彼女のいう通り、ビュッシュ・ド・ノエルは完成間近だ。椿が泡立てたモカクリームを塗っている。
 後はケーキ生地をクルクルと巻けばロールケーキも出来上がり、ビュッシュ・ド・ノエル最大の特徴である薪に似せたデコレーションも問題なく仕上げられるだろう。
 山吹も「そうだな」と納得を見せて、緋色の許まで移動して来る。緋色はその数秒間に火照る頬色を元の肌色に整え直した。

「宜しく頼むよ、緋色」

 心底嬉しそうな笑顔が眩しい。
 これはいけない、と緋色は山吹から顔を背けた。

「おー」

 生返事を返す。
 素っ気ない態度を執らなければ、収めた頬熱が再熱しそうだったからだ。

「まぁ。仕事帰りのお疲れさんは適当に休んでくれてても良いけどな」

 無心でスープを掻き混ぜる。
 けれど緋色のそんな努力も山吹は簡単に揺さ振ってくれた。

「言ってくれるな。一人眺めているだけというのも詰まらないだろう」
「じゃ、サラダでも作ってくれや」
「ああ。その次は?」

 レタスを1玉両手で持ち、わくわくと聞いて来る。山吹の無邪気な姿は映画やドラマの中でもけして観られない。緋色だけが知る恋人の姿だ。
 ならば、高鳴る胸の鼓動を隠す必要は有るのだろうか。
 緋色はスープ作りの手を一時停止した。山吹へと振り向く。

「そのレタスを千切り終わってから聞きに来い」

 右手の甲で山吹の左肩をポンと小突く。
 心情的には唇を奪いたい所だが、何分緋色の身長は山吹に遠く及ばない。それに大きな動きを見せれば、菜花や椿に気付かれてしまう。
 だから今はコレだけで良い。




「うおっ。外真っ暗じゃねーか」

 出来上がった料理をダイニングへ運び、緋色はふと窓の外を窺った。
 見渡す限りの漆黒が空を覆い尽くし、早い夜の知らせを伝えている。それが冬の特徴とは云え、緋色は季節の変化に声を張り上げた。

「けれど雲は出ていないから、雪は降りそうもないな」

 山吹が緋色の横に並び立ち、同じ様に空を見上げる。

「結構じゃねーか。帰りの足も汚れねーし」

 ぶっきら棒に言う緋色。
 山吹の望みは大方『ホワイトクリスマス』だろうから、23日に雪が降った所で奇跡とは呼べないのだ。

「仕事のスケジュールも狂っちまうだろ?」
「そうだが……」

 山吹が残念そうに首を後へ捻る。視線の先には椿が、菜花と皿を運んでいた。
 淡々と、普段通りの表情で。

「いや。サンタクロースも雪道では凍えてしまうな」

 山吹が体勢を元に戻す。その脳裏に水仙の姿が浮かんでいる事は明白だった。
 実は先程水仙から電話があり、ドラマの撮影時間が大幅におして、今夜の帰宅がその分遅れる、と伝えられたのだ。
 つまり今年の――いや、今年“も”水仙は家族のクリスマスパーティーに不参加。仕方ない事とは云え、幼い椿を思う山吹の兄心は複雑だろう。



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