三橋と棒人間 それは珍しくも沖が世界史の教科書を忘れてしまったことからはじまった。 「あっ三橋ー泉ー」 「沖くん、だっ」 「おー沖。ちーっす」 「ちっす。あれ?田島は」 「便所。珍しいな9組に沖が来るなんて」 「あぁうん。三橋か田島に頼み事があって」 「うお、オレっ?」 「世界史の教科書と資料集持ってる?」 「おっ!う、うんっあるよ、まっ、てね」 「ありがとう助かるよ!すっかり忘れててさぁ」 「へぇ〜だからウチに来たってわけね。勉強嫌いもたまにゃあ助け船になんだな」 机の中にどうやって収まっていたんだと思うほどの教科書と丸まった紙屑とゴミを広げはじめた三橋が角が折れた二冊の教科書を見つけてアハハと困ったように笑う沖を見上げた。 「あ、あったよ!ちょっと、ホコリ、くっついてる…とっ取るね」 「うひゃー奥に突っ込んでたな?ありえねぇ巨大ホコリ」 本の背を両手に持ち軽く振るうと白い粉が下から上へ舞い上がり沖も泉も思わず顔を背けてしまった。ケホッと咳き込んだ三橋には自業自得としか言いようがない。片付けしたほうがいいね、山積みの可哀想な机に目を落とした沖は目にしたソレに鳥肌をたてヒッとおののいた。 「いっ、泉…あれ…何?…虫?」 「へ?…あぁチゲェよ。ホコリと一体化した糸屑。三橋よくセーターほつれさしてっからその残骸だろ。なん沖。もしや潔癖?」 「やっ、どうだろう…ちょっとそうかも」 大丈夫かよ〜コイツんで、と泉が三橋のセーターを掴み軽く引っ張るとよろけながら照れたように笑ってキレイになったよと二冊束ねて差し出してきた。受け取ろうとした指がピクリと拒否反応を示しつつもニコリと笑い返す沖に泉が申し訳なさそうな顔をしている。 「ありがとう、何かお礼するから」 「そっな!いー、っよ」 「おーそうだぞぉ、三橋が整理整頓を覚えることが何よりの礼だろ」 「もうー三橋のお陰で助かったんだから。キチンとまた後で返しに来るからっ。ホントありがとねっ」 頬を高揚させ大義を成し遂げたような笑顔で大きく手を降る三橋と机にもたれ頭元で手を繰り返しグッパッする泉を見返りつつ小さく手を振り机の間を縫うように沖は次の授業の用意に駆けていった。 「西広、みてコレ見てー」 斜め後ろの席でシャーペンをペンケースに戻していた西広に沖は先ほどまで活躍していた例の世界史の教科書を持って机の横にしゃがんだ。 「ん?やけに楽しそうな顔してるね」 「さっき三橋に教科書借りに行って、コレがそうなんだけどね?」 「うん。何か面白いことでも書いてあった?」 「開いてみたらわかるっ…もう笑っていいのかなんだか、とにかく耐えるのに必死だったよさっき」 そういえば肩を小刻みに震わせて手で顔を覆ったり遠い所を見るみたいに窓を眺めたり確かに挙動不審だった沖をチラチラ見ていた西広は後で理由を聞こうと思っていた。まだ鼻の頭が赤い沖は思い出したようにクスクス笑っている。鞄に机に出ていたものを直し終えその一枚目を捲ってみた。カサリ、カサリ。角が折れているものだから一枚一枚擦れる音がした。新品同様に表紙も中身もツンツルテンな教科書のある一部分だけにやけに目が引かれる。顎を机に置き視線だけ落とした沖がまた吹き出して口許を手で押さえた。 「これかー沖を虜にした正体」 「…っ、ダメだぁ…ツボに、入って…ブフッ」 「ルイ14世、ビスマルク、リンカーン、ノーベル、ガンジーっと…ジョージ・ワシントンなんてもう人じゃないね」 ツラツラとページを捲りながら四角いマスの中で居座る歴代の偉人たちの名をあげる度に沖から悲鳴とも言えるような甲高い声がして終いには、やめて…死ぬ…とギブアップ宣言が出た。机に倒れかけ過呼吸じみた荒い息にやり過ぎた感が否めず西広はゴメンねと言いながら背を擦る。 「いやぁ…よく耐えたね沖。スゴいよ。高田先生のあの真撃な授業の中でこの拷問はヒドイ」 それはなんとも言えないような落書きだった。色とりどりのラインが偉人の顔や体を走っており背景にはよくわからないが棒に丸がくっついた人間らしきモノがいて野球ボールまがいなボールを投げている。裏表紙を閉じるまでそれは繰り広げられていてもう名前のみでしか人物の特定が出来ないものまであった。鼻を啜り涙目の沖がオレ頑張ったよ、と控え目に訴えてきた姿が小動物のようで西広はフクッと喉で笑いを噛み殺し癖の強い髪を優しく撫でた。 「きっと田島と泉の仕業だよ。三橋も一枚噛んでるだろうけど。オレ世界史すきなのに、偉人たちにこの仕打ちはちょっと許せないなぁ」 「…ズッ。でもね、見てココ…る、ルイ14世。別名太陽王。背景のコレ、太陽じゃない?」 ブルボン王朝の中でもひときわ悪名高い王の頭の上を指差す。そこには確かに記号のようなマークがあった。 「………。確かに…」 「ね、悪さしてるってだけじゃないんだよ。…多分」 覚えやすいように絵で残してると言いたいのだ。西広はうーんとページを捲っては戻しを繰り返していたのだがハタと何かに気付き沖見てっ、と声をかけた。 「これさぁ、パラパラ漫画になってるよ」 「え?どこ」 「この背景の棒人間。野球してるんだ」 「うえっ?」 表紙に戻し一枚目から見ていくと確かにボールを持った棒人間がだんだんと振りかぶり手から離れたボールがアーチを描きながらゆっくりと遠ざかっていくように描かれている。ページ数は飛び飛びになるためぶつ切りにされた動きはそれでも簡要アニメーションになっていた。 「…ねぇ。もしかしてこれ三橋?」 「じゃないかな?だって投手だもんね…」 「でも途中で終わってる。ボールが空中で止まったまんまだ」 「………」 「……オレ、借りたお礼するって三橋に言ったんだけど…」 「ふっ…もしかしてオレと同じ考え?」 「うわぁ!ははっ実はオレこういうのすき」 「よしっ!!ちゃんとアウトとらそうっ棒人間三橋に」 「ブフッ!!いいねっっ」 沖はくるりと踵を返し自分の席からペンケースとイスを掴んできて西広も世界史を開きボールペンを取り出す。頭を突き合わせるようにしてペンを走らせどんどんと止まっていたストーリーが動き出していくと作者二人は熱が入ったのか手の位置は、ミットの形はなどと意見交換までしだした。 「………」 「………」 「「…できたっっ」」 声が重なり達成感溢れる顔付きにお互いバカだなーと笑ってしまった。 弧を描いたボールはキャッチャーミットに吸い込まれていき高らかに響くアウトの声でピッチャーは大きく万歳をする。そんな物語。 二人が揃って三橋を訪ねた昼休みに田島と沖も感嘆し今にも泣き出しそうに喜ぶ投手に満面の笑みを返すのはもう少し後の話。 [*前へ][次へ#] |