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朝靄の月
「月だーっ!!」
「おぉっ、月、だっっ」
「ホントだなぁ」
珍しく濃い霧がかかり薄紫のシーツを羽織った朝だった。隣にいる相手が霞んで見えて一気に視力が落ちたような錯覚を覚える。
「三橋、視力いくつよ」
「し、りょく?…ぅえ、1.2…?」
「オレ1.5まだキープ中。田島は?」
「オレ3.0!!」
「すごっい!!田島、くんっ目、いい!!」
「オマエはマサイ族かっ。信じていいんか迷うわ」
先程のやり取りで聞いた田島の視力は甚だ疑わしいが今は頭の後ろで霧の中でもぽっかり白く輝きを放つ朧気な月に目を凝らすことに泉は集中していた。
「朝の月見っと得した気分になるよなっ」
「そっかぁ?オレは眠くなんぞ」
「へっ?なんでよ」
「感覚的にまだ夜な気がすんだよ」
「えぇー?んなことねぇよ、なんか……生きてるって感じがする」
「おっ、おっ!田島くん、カッコイー…哲学」
「そっだろぉ!!ハクシキなんだぜっ」
「ニュアンスでそれっぽいこと言ってるだけで全然意味わかんねぇから」
湿った土に3人は寝転びストレッチを続ける。気温は低くゆっくりと身体を温めるためにメニュー変更してこの後は外周で走り込む。ほどよく汗をかきはじめた頃には霧も晴れているだろうとのことだった。
「月ってウサギいるんだろ」
「しっ、てる!!モチ、ついてるん、だっ」
「あれ?狸いなかったっけ」
「それ…は、カチカチ、山?」
「あー!!でもかぐや姫も月にいんだろ?」
「おぉ…いっぱい…」
「月の生活も窮屈そうだなぁ」
「……野球」
「おっ!!月で野球って粋じゃん」
いつかやったろーぜー!!と勢いづく田島に三橋も鼻息荒くついていく。
これがウチのエースと4番の会話だなんて泣けるぜ。
泉は嫌でも聞こえる会話に心の中で嘆く。右から左へ受け流すという歌を芸人が歌っていた記憶があり。脈略の無い言葉が放つ独特な脱力感を生む空気から自分を救う術はソレだと心得ていたつもりだったが月に心奪われていたことで発動できず見事ダメージを受けた。マウンドに露骨な執着心を持つエースと類い稀ない運動神経を持つ万能スラッガー。豹変した顔付きには正直ゾクリとする。同じクラスで行動を共にしている泉が一番そのギャップに驚かされ続けていた。
「オマエら見てっとよぉ、時たま腹がたってしょうがねぇときがあるわ」
「えっ、マジでっ!?なんで!?」
「知るかっ」
泉ー三橋が泣いてるー、と霧のカーテン越しに鼻を啜る音が聞こえて、コレでもやっとけと自分のポケットからクシャクシャの銀紙に包まれたハイチューをゆらりと動く影に投げつけた。
「おぉ!!三橋ーよかったなぁ。ハイチューくれるってよ、仲直りだな」
「……っぐ、う…ん」
「オレらの友情はハイチューで繋がれてんのかよ」
邪魔にならない程度に輪になって手を伸ばせば触れることが出来るこの距離。ただどんどん深くなる霧でお互いが見えずらくなる。
「うはぁ、スゲェスゲェ〜ヤバイ楽しいっ、霧隠れの術しよ!!」
「ちょっ、おっい!どこ行くんだよっ!!」
一足先にストレッチを終えた田島はウズウズを抑えられず急に半回転して走り出した。少し距離をとっただけで本当に霧で姿が消えてしまって。
「たっじまくんっ!オレ、もっ」
慌てて三橋も後を追って声をかける間もなく見えなくなった。
「…はぁーアイツら直情型人間の代表か」
一呼吸置いて大の字に横たわる。鼻で息を吸うと水蒸気がツンと奥で溜まり苦しい。ハタと気付けば月が自分を見下ろしていた。といってもぼんやりとした白い塊があるぐらいにしかわからない。
こんだけ霞んでりゃあ、うさぎもかぐや姫もオレなんて見えねぇわなぁ。
さっき二人が言っていたことを思い出したのだ。しかしらしからぬことを考えた自分が気持ち悪くてウエッと舌を出し片腕で目隠しをする。水分が含まれた空気はいつもより音が伝わりにくいと聞いたことがある。明るい声が消え周りにいるハズのチームメイトたちの気配すらわからない。独りという単語が頭に浮かび消えた。泉は一人を嫌がる質ではない。
無性に今誰かの名前を呼んでオレはここにいるってわかってほしいとか…そんなこと知られたくねぇ。
自嘲気味に口の端で笑うと頬をフワリと何かが触れていった。
「……へ……」
飛び起きるとはこの事だと泉は思った。少し地面から身体が浮いた。頬を触れたそれは確かに体温がある人の指だった。
まさか……まさか、だよなぁ?
空を見上げればやはりまぁるく白い月。笑っているように見えるのは気のせいだろうか。
「いーずみぃ…」
「どっわぁ!!?」
謀ったかのように背中にかぶさる重みに心臓が飛び出そうになった。
「…た、田島かよー…なんよどーした」
「花井にグーパンされたぁ」
泉の肩に両腕を伸ばし赤くなった頬を見せてきた。見事に指の型がいっている。おおよそ花井を驚かせにでもいったに違いない。泉は可哀想になぁ今度はうまいことやれよと田島の手の甲をポンポンとあやす。
「…い、いずみ、くっ」
フラりと三橋も現れ大粒の涙を今にも溢れださんとして泉の隣にへたれこんだ。
「オマエもかよー。どうしたん」
「…っ、…あ、あべ…く」
「あぁ、みっかってウメボシでもされたんか」
頬っぺたを軽くつねると地面に黒い斑点をつくりながら泣きはじめる。端から見れば可笑しな状況だが泉は込み上げる温かい気持ちに気付いていた。
「オメェらは…ったく、しょーがねぇなぁ」
二人の頭を両の手でグイグイと強く撫でると、ランニング行くぞー!!と主将の通る声が響く。いつの間にか空は青いシートを張り巡らせ朝露を残して霧も晴れていっていた。
「オラッ!お呼びだぜっシャキッとしろよ」
「おう!!よっしゃあ競争しようぜっ競争」
「やーめとけっ。また花井にどやされんぞ」
「あっそっか…じゃあやめよ。三橋行けっか?」
「…うっ、ダイ、ジョブだよっ」
「うーし、あっそうだ」
大きく伸びをした泉は手を高く上げたまま田島を見る。
「なんで月見たら得した気分になんの」
「あぁ!チビん時に朝の月に願い事したら叶うって母ちゃんに言われてさっ。多分オレに早起きさせる口実だったんだろうけど毎日やってたからなんか無意識にイイコトありそうな気がすんだっ」
「ふーん、じゃあ願い事しようぜ3人で」
泉はいの一番に手をパンと心地好く鳴らし拝む体制をとると田島は大きく目を開き満面の笑みをつくった。
「おっオレも、いいのっ?」
「あったりめーだろっ!」
嬉しさで真っ赤になった顔の三橋も田島も泉にならい手を合わせる。目を閉じてあの何億後年の光を放つ月に祈った。
オレはコイツらがいなけりゃと思った。野球で争ったって勝てないって思って悔しかった。ゴメンッ。もう逃げも隠れもしねぇ!全力で戦ってコイツらと全国へ行く!!
グイッと顔を上げると田島と目があってニヤリと笑い合い難しい顔をしてまだ俯いている三橋の肩に両方から腕を回した。
「っっ!?」
「これでオレたちゃ最強だっ」
「オー!!怖いもんなしだぜっ」
「おっ…、おぉぉぉ!!!」
力一杯声を上げた三橋を囲んでまた力一杯笑う。主将の声がもう一度響いて走り出した。
「なぁ、さっきオレの頬触ったんどっち」
「へ?何言ってんの」
「ふ、へ?」
「……………出た」

見守っているよ、いつも。言えないけれど伝わったよその想い。
朝露に溶けた彼らの希望がキラキラ降り注ぐ光で輝いていた。



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