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過去からの恋文
Love letter from the past


階段を降りる靴音に俺の呟きは掻き消されていった。
屋上から出れば、俺は俺でなくなる。
嘘で塗り固められた仮面を着け、つまらなそうに毎日を過ごす。
実際は毎日が充実していて不満などは何ひとつない。
ただひとつ残る胸の蟠りだけを除いては。

「あ、あの!」

一階まで降りたところで後ろから声を掛けられ、内心驚きながらもそれをおくびにも出さずに振り向く。
俺よりも小さくて、頬を真っ赤にして、今にも泣き出しそうなくらい潤んだ瞳。
きっと今までの俺なら軽く無視していたような存在。
けれど、今日ばかりはそんなことができそうになかった。
志乃の話に動揺していたのかもしれない。
小さな彼が以前の自分と被って見えてしまった。
純粋に恋する瞳が、とても愛おしく思えた。

「えっと……あの、迺音先輩!これ読んでくださいっ」

差し出された封筒を受け取ると目の前の彼は走り去ってしまった。
受けとってしまったものは仕方ないと俺は胸ポケットに手紙を押し込めると歩き出す。
向かう先は第三音楽室だ。
防音設備は整っていないが、一人になるには絶好の場所だった。
そして、ずっと憧れてきた彼と言葉を交わせる唯一の場所でもある。
教室の真ん中にただひとつあるピアノに凭れかかるように寝ていた彼を見つけたのは本当に偶然だった。
彼は幼少期からピアノの天才とまで言われ、今も尚、俺を魅了して止まない。
実際にピアノを弾いている姿を見たのは、ずいぶんと昔の話だが、きっとあの音は健在だろう。
ドアを少し開くと教室の中から話し声が聞こえてきた。

「……ちょっと!」
「久しぶりなんだからいいだろ?」
「んん……っ」

わずかな隙間から見えてしまった光景に目を見開く。
彼が男とキスしていた。
別に彼のことが恋愛感情で好きだったわけではない。
ただ彼だけは違うと思っていたのは、俺の思い込みだったのだとショックを受けたのだ。

「ん……っ!サクの馬鹿!」

俺はドアから離れると走り出す。
今、きっと彼は俺と顔を合わせるのは気まずいだろう。
俺は人通りの少ない廊下を走って走って、鍵の開いていた化学室へと滑り込んだ。
ドアを背に鍵を閉め、そのままズルズルと座り込む。
両膝に額を押し当てると先程のことを思い出す。
彼はずっと俺の憧れで、目標だった。
儚い姿とは裏腹に強い意思を持った瞳、漣のような静かに揺れる感情。
そんな彼を腕に抱く男がいてもおかしくはなかった。
けれど、そんなそぶりを一度も見せなかった彼に俺は裏切られたような気がした。
もちろん、それが自分勝手な思い込みだとわかっている。

「……被害妄想も大概にしろよ」

そう自分に言い聞かせてみる。
こんなことでは、俺はずっと逃げられないのかもしれない。
あいつの姿を見たら泣いて縋ってしまうかもしれない。
俺を捨てないでって。
馬鹿みたいだけど、あいつが好きで好きで仕方なくて、あいつから逃げることなど俺には初めからできなかったのかもしれない。

「しっかりしろよ……」

左胸に手を当てる。
誓いは確かにここにある。
自分であいつから離れることを決めたのだ。
ならば、最期まで俺は意思を貫き通さなければならない。

「あ……」

胸ポケットに仕舞っていた手紙が、かさりと音を立てた。
中身は見なくても想像がつく。
けれど、先程の彼のことを思い出すと開けずにいられなかった。
精一杯の勇気を振り絞って渡してくれたであろう手紙に目を通す。
拙い文章だが正直な言葉が綴られていて、彼がどれほど俺を見ていたのかが伝わってきた。

「代わりでもいいです……か」

他人に気づかれてしまうほど、俺はあいつの姿を求めていたらしい。
けれど、それも終わりになるかもしれない。
俺を見てくれるこの子なら、あいつを忘れさせてくれるかもしれない。

「酒井 壱琉……」

俺からあいつを忘れさせてくれるかもしれない子。
これが運命というのなら、俺は甘んじてそれを受け入れよう。
あいつと繋ぐことのできなかった未来をこの子となら繋いでいける気がする。
以前の俺と良く似たこの子なら、愛おしく思えた。

「壱琉が俺をガラクタの中から見つけてくれた」

壊れた俺を最初に見つけたあいつではなく、壱琉だ。
愛を忘れた俺を愛してくれるかもしれない存在。
なぜ愛おしく思わないなどと言えるのだろうか。
いや、じわりと胸の奥に広がるのは愛おしさだ。
俺は確かに壱琉を愛おしく思っている。

「人の心も変わる……か」

そして、いつか俺はあいつを忘れていくのだろう。



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