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それは呪いに似た
It resembled a curse


三月一日。
去年この日に俺は人生最悪の誕生日を迎えた。
あいつの二度目の浮気を目撃した日だ。
あの時は、ただひたすらに終わりだと思った。
そして、心のどこかで俺の存在をあいつの中で一番強く残してやろうと思っていた。
それすらも叶わず、俺は現実に絶望した。
酷すぎる。
俺の存在を残すどころか、最初から俺の存在は代わりでしかなかった。
一番が手に入ってしまえば、不要になる代替え品でしかなかったのだ。
何もかも俺の存在は無意味だったのだと知った。
あいつからすれば、浮気ではなく遊びで、そして俺のことも遊びだった。
あれ程までに辛く悲しかったことが、今では何の感慨も湧かなくなってしまった。
欲しかったものは、たったひとつだった。
それすらも手に入れることのできなかった俺は、もう失うものなどない。

「迺音、矛盾は誰にでもあることだからね」

立ち去ろうとした俺の背に志乃はそう投げかけてきた。
矛盾は誰にでもあることなのかもしれない。
けれど、俺は矛盾というものを抱えていたくなかった。

「本当は、迺音だって気づいてるはずだよ」

抱えている矛盾に向き合えば、俺は駄目になる。
そして、俺はこの矛盾を決して認めることはない。
今更あいつが俺の目の前に現れたとしても、揺らぐことはないだろう。
いや、揺らぐことなどできないのだ。
そうすることが俺にとっても、あいつにとっても、如音にとっても最善なのだと信じているから。
時として矛盾は人を殺す。
生み出された矛盾を繕おうと足掻けば足掻くほど、真綿で首を絞めているようなものなのだ。

「忠告ありがとう……でも、俺は戻らないよ」

あいつが囲う檻の中には。
嘘も偽りもない世界は、俺を閉じ込めるだけのものだった。
檻の外に出て、世界を知ってしまった俺は二度とあの中に戻らない。
そこがどれだけ自分を駄目にしていたのか、気づいてしまったから。
嘘は心を傷つける。
俺はそうやって自分が傷つきたくなくて、守ってもらうように閉じこもっていたのだ。
あいつが唯一絶対だと信じて。
けれど、嘘は時に心を救ってくれるのだと知った。
とても優しい嘘で包むことができるのだと。

「志乃……残された時間はどのくらいだろうな?」
「……たぶん、そう長くはないよ」

背を向けていてわからないけど、今きっと志乃は悲しそうに笑っているだろう。
誰かに心配されることが、こんなにも嬉しい。
自然と胸の奥が温かくなるのを感じた。
こんな気持ちになるのは久しぶりだった。

「俺はさ、胸に誓いを刻んだ」

シャツ越しの左胸に手を置いて、俺は遠くを見つめる。
忘れはしない。
俺が二度と馬鹿なことをしないようにそう身体に刻み込んだ。
愚かにも、あいつを信じてしまわないようにと。

「I don't forgive your lie.
 I'll never love you.
 My heart has been already died.
(貴方の嘘を許しはしない
 二度と貴方を愛しはしないだろう
 私の心はもう死んでしまった)」

口癖のように自然と滑り落ちる英語は、もう何度も自分に言い聞かせるように呟いている。
それこそ毎日のように。
あいつを思い出す度に、あいつの夢を見る度に、あいつに触れたくなる度に。
俺は何度だってこの呪文を繰り返す。
なぜなら、これは俺が俺自身にかけた呪いのようなものだからだ。

「それは、きっと悲しいことだろうね」

その言葉は、俺に向けてなのか、あいつに向けてなのか、どちらかはわからなかった。
愛せないことか、愛させないことか、許さないことか、許されないことか、心が死んでしまったことか、俺には何が悲しいのか理解ができなかった。
正常な判断ができなくなるほど、俺は感情が抜け落ちてしまった。
ただ、悲しいことだと言った志乃の声だけが頭から離れてはくれなかった。

「じゃ、俺行くわ」

振り返らずに俺は歩き出す。
あいつが俺を見つけるのが先か、俺があいつに気づくのが先か、どちらにしても二度とあの頃のようには戻れない。
俺は死んでしまったのだ。
あの日、あの瞬間、心をずたずたに砕かれて。
そして、もう一度生きる意味を与えてくれた姫乃に俺は初めて嘘を吐く。

「今の俺は、きっと世界一の大嘘吐きだ……」

嘘と偽りを嫌い、憎んだ俺が、今からすることは間違っているかもしれない。
それでも、今の平穏を愛してしまった俺はそれを守るために嘘を吐く。
他人も自分の心でさえも欺いて。
俺の唯一だったものを終わらせる。

「本当……馬鹿だよ」

呆れるほどに、俺は馬鹿だ。



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