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最初の裏切り
First treachery


初めての裏切り行為は、約束を破られた翌日だった。
昼過ぎ、壱羽が住むマンションに僕は行った。
貰った合鍵で鍵を開けて、まず目に入ってきたのは女物の赤いパンプス。
それから、部屋に充満する壱羽のものではない甘ったるい香水の匂い。
それで、何となく気づいてしまった。
壱羽に裏切られたのだと。
だけど不思議と悲しみや怒りはなくて、むしろ安心している自分がいた。
そんな自分自身がわからなくて、僕はリビングのソファーの上で膝を抱えて泣いた。
しばらくすると寝室のドアが開いて、見知らぬ女性が出てきた。
甘ったるい匂い、派手な化粧、ふんわりとした髪。
どれをとっても女らしい彼女が羨ましかった。
ふと僕の存在に気づいた彼女が、ヒステリックな声で悲鳴を上げた。

「きゃあっ!」

すると何事かと前髪を掻き上げながら壱羽が寝室から出てきた。
彼女が指差す方向へと壱羽が視線を滑らせ、ついに僕と目があった。
驚いて見開かれた瞳が、僕にはとても滑稽に見えた。

「ねぇ、壱羽……これは立派な裏切りだってわかってる?」

最初に切り出したのは、僕。
壱羽はあくまで答える気がないのか、それとも答えられないのか、黙ったままだ。
僕は、嘘や裏切りが大嫌いだ。
それこそ好きだった人が、その一瞬で嫌いになってしまうほどに。
本当に、この裏切り者をどうしてやろうか。

「答えられないなら、僕は消えるよ?」
「何なのアンタっ!頭おかしいんじゃないのっ」

黙ったままの壱羽の代わりに彼女が言葉を発した。
本当に、この男は僕をどこまで虚仮にしたら気が済むのだろうか。
浮気という最低な裏切りをして、都合が悪くなったら黙り込む。
そして、この男は昨日僕に嘘を吐いた。
この男は卑怯窮まりない。

「アンタ、気持ち悪いのよっ!さっさと出ていきなさいよ!」

ヒステリックに叫ぶ彼女にいきなり腕を掴まれて、ソファーの上から引きずり下ろされた。
嫌な香水の匂いが鼻につくし、腕に彼女の長い爪が食い込んで痛い。
出ていけと言われて、はいそうですかと出ていく馬鹿がどこにいるというのだ。
一応、仮にも壱羽の恋人らしいポジションにいる僕が、なぜ出ていかなければならないのか。
僕には、理解できない。
むしろ出ていけと言える立場は自分であって、彼女は出ていく立場ではないのだろうか。

「早くしなさいよ!」

気持ち悪い、と彼女はまた言った。
どうして僕が罵声を浴びせられ、罵られなくてはいけない。
僕から壱羽を盗ったのは、彼女ではないか。
いや、もしかしたら本当に邪魔なのは僕かもしれない。
だって、さっきから壱羽は一言も喋りもしないし、庇ってもくれない。

「ほら、壱羽もコイツになんか言ってやりなよっ」

僕を指差しながら、彼女は勝ち誇ったような笑みを浮かべて言った。
もし壱羽がここで僕に出ていけというなら、僕は鍵を置いて二度と壱羽の前には現れないだろう。
もし壱羽が僕をとるのなら、僕はこの裏切り行為を一度だけ水に流そう。
けれど、裏切りは一度までだ。
二度は許さない。
今の壱羽の行動ひとつで、すべてが決まる。

「……出ていけ」

ようやく決断したのか、壱羽は小さな声で呟いた。
僕の耳には、はっきりと届いていた。
出ていけ、と。
そうか、お前には本当に失望したよ。
そう口に出しかけて、僕は壱羽の行動に目を見張った。

「出ていくのは、お前だ」
「え?」

壱羽は僕ではなく、彼女に言ったのだ。
彼女は心底驚いたようで、大きな目をさらに大きくした。
動かない彼女に苛ついたらしい壱羽は、彼女に鞄を持たせると無理矢理手を引っ張っていった。
二人の姿がリビングから消えてすぐにパンっと音がした後、玄関のドアが閉まった。
再びリビングに戻ってきた壱羽を見ると頬が少し赤くなっていた。
どうやら彼女に叩かれたみたいだ。
僕が壱羽を慰めたりなんかしない。
自業自得だから仕方ない。
本当なら僕も二、三発殴ってやりたいところだけど、それをしないのはお情けってやつだ。

「可哀相にね、彼女」

本当、可哀相に。
こんなろくでもない男に騙された挙げ句に屈辱的なことをされてさ。

「僕に出ていけって、たった一言言えばよかったのに」

そうすれば、彼女ともう少し一緒にいられたのにね。
そう皮肉を添えて言ってやった。
そして、僕もここに二度とやって来ずに済んだのに。
少し残念な気がしていた。

「何黙ってんの?言い訳でもすれば?彼女とは何もなかったとかさ」
「迺音」
「何?聞いてあげなくもないよ」

本当、どうかしてるよ。
この時、すでに僕は壊れかけていたのかもしれない。
恋人だと思っていた奴に浮気されて、悲しみや怒りが込み上げてこないなんて変だ。
僕の中を占めているのは、諦めだ。
僕にはこの男を縛ることなどできないし、それができるなら浮気なんてしないだろう。
この男を壱羽を一人占めすることも、縛り付けることも誰にもできない。
だから、この男に期待してはいけないのだ。
きっと壱羽は、また僕を裏切る。
そんな確証が僕にはあるんだ。
だから、諦めた。



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