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A
『何か言いたいことはありますか?』




妙と喧嘩をしてしまった翌日の朝。
鳴り響く携帯に起こされてみると時刻は既に昼過ぎだった。



頭が痛い。目が重い。
もとより朝が苦手な体質だったが、今日は一段ときつい。
原因は、分かり切っているのだが。




「…お妙は…どうしてる?」



それでも、絞りだすように受話器に向かって尋ねた。気がかりで、心配で、それでも連絡を取らなかった女のことを。




『誰がアンタなんかに…って言いたいんですけど、最初の一言が姉上の名前だったことに免じて教えてあげますよ』




ディスプレイに表示された、志村新八の名前を見ててっきりこんな時間まで何寝てるんだと怒られるかと思いきや。



開口一番、すぐに昨日のことを言っているのだと察した。




『姉上は大学に行きました。学会の発表の準備があるからって…いつも通りに、出かけて行きましたよ』




その様子からすると、昨日の妙はことを弟に話していないのだろう。
それなのに、こうして電話をかけてきたのは、さすが弟と言うべきか。




「…悪い…俺、昨日…」


『いいですよ、言わなくても…。それより、今からこっちに来れますか?』


「へ?こっちって…お前ん家?」


『四十秒で支度してすぐ来て下さい』




と、一方的に電話を切られて銀時は再び布団に顔を埋めた。
昨日、出ていってしまった妙を追うこともなく床についてしまったが、そんな状況では眠れなどしないのは当たり前で。



目を閉じるたびに、最後の妙のあの表情が瞼の裏に浮かび、まんじりともできなかった。


銀時がこんな調子であるにも関わらず、妙はいつも通りに振る舞っていると言う。


本当は、銀時と同じくらい、いやそれよりももっと傷付いて苦しんでいるはずなのに。



新八が、来いと言った。
言いたいことがあるなら電話で言うはずだ。
殴りたいなら、押しかけて来るはずだ。
それをしないということは、家に何かあるということか。




どうしようもなくシスコンで、二人の交際を告げた時には無表情で湯呑みを握り潰した男ではあるが、何だかんだで認めてくれているのは分かる。



その新八が、来いと言った。
恐らく妙に関することだ。
昨日、床についてからずっと考えていた女に関することだ。



行かなければならない。
行って、たとえ殴られても、それで仲直りのきっかけでも掴めたら。




そう考えるまで約十秒。
布団から飛び起き、適当に服を着替えるのに二十秒。
常備しているカロリーメ○トを片手に玄関から飛び出すのに、十秒。













志村家の玄関をくぐった途端、思いっきり殴られて扉に背中がぶつかる。
避けようと思えば避けられる拳だったが、銀時はそれを受け入れた。




唇が切れた。結構、痛い。




「何やってんですか…アンタ…」




顔を上げると、新八が唇を震わせながら立っていた。


怒りだしそうで、泣き出しそうで、それでいて悔しそうな表情で。



もっと殴りたいはずなのに、殴って蹴って罵倒して、もう姉上に近付くなと言いたいはずなのに。




そうできないのは、姉や銀時の真の気持ちを知っているからか。




「…銀さん、姉上は昨日、何時に銀さんの家を出たんですか?」


「…九時過ぎ、ぐらいだけど」




それを聞いて、新八は息を吐きながら天を仰いだ。




「…昨日、姉上は終電で帰って来たんですよ」


「…は!?何でそんな…」


「目が真っ赤でした。僕には笑って、大丈夫なんて言ってましたけど…多分、泣いてたと思います。外で、ずっと」




ずっと?
夜には冬並みの寒さになるこの時期に、ろくな防寒もせず、ずっと泣いていたと言うのか。




「姉上が人前で泣くような真似しないってことくらい分かるでしょ。この最低最悪天パマダオが」




普段ならばカチンと来るはずの新八の悪態も入って来ない。
それよりも、昨日してしまったことの重大さに今更気付いたから。



ぞっとする。
寒空で泣いている彼女にもしものことがあったらどうするのだ。
風邪でもひいたらどうするのだ。
もし終電で帰れなかったらどうするのだ。路頭に迷わせる気か。



そんなことにも気付かないで、頭に血が登って、ちっぽけな意地と見栄をいつまでも引きずって、どうするのだ。




「…何があったんですか、銀さん」




自責の念にかられている銀時を引き戻したのは新八だった。



妙が何の訳もなく泣かないことも、銀時が何の訳もなく妙を傷つけないことも分かっている新八にとって、何があったかを知るのは姉のためでもあり、先程殴って罵倒した上司のためでもある。




いい弟と同業者を持ったな、と改めて思いつつ、銀時は口を開いた。













「…そうですか」



居間で茶を啜りながら、新八は事の経緯を知って内心溜め息をつく。



誕生日を一緒に過ごせないのは非常に残念だが、自分のために大事なことを投げ出さないでほしい。



そう言いたいのは、第三者である新八ですら読み取れたのに、当事者である当人同士が分からないはずもない。
互いに意地が出てしまっただけ。
厄介な似た者同士である。




「そりゃ僕だって、姉上の誕生日に出張だ、なんて嫌でしたよ。神楽ちゃんだって残念がってましたし…」


「…」



「さっき僕、銀さんのこと最低最悪天パマダオって言いましたけど…いや、今も思ってますけど、銀さんの気持ちも分からなくはないですよ。僕だって姉上の誕生日は一緒にいたかったですし…」


「…」


「姉上も、少し言い過ぎた部分もありますよ、そりゃ」


「…」


「でも、アンタが思ってたように姉上だって、大事な仕事の支障になりたくないから寂しいのを我慢しなきゃって思ってたんですよ?」


「…」




何を言っても放心状態の銀時に再び溜め息をつく。




ちゃらんぽらんで能天気のくせに、こういう時はひどく落ち込むとは厄介なことこの上ない。



仕方なく、新八は切り札を出すことにした。



ここ最近姉が常に片手にしていた、一冊の本。




「銀さん、これみてください」




机に置かれたそれに目をやると、表紙には銀時が飛び付きそうなチョコレートパフェが。



それがお菓子作りのレシピ本だと銀時が理解してから、話を進める。




「それ、付箋沢山ついてるでしょ?姉上、最近ずっと挑戦してるんですよ、お菓子作り。何でか分かります?」




どこぞの最低最悪天パマダオの誕生日に、甘いものを作るためですよ。



そう言った新八の声が、遠くに聞こえた。




スポンジケーキがダークマターになるだ、生クリームがあわ立たないだ、スポンジケーキがダークマターになるだ、後始末は新八がほとんどやっただ、ダークマターになるだといったことも全て、遠くに聞こえた。




卵焼きしか作れないと言って他の料理を自ら作らなかった彼女が、銀時のために。




置かれた本をめくってみると、何を作るか相当試行錯誤したのか、全てのページに折り目がついていた。



そして、新八に言われたのか友達に言われたのか、ここはこうした方がいい、といったことが沢山の付箋になって貼られている。



中でも、折り目と付箋と汚れが多かったのは、表紙になっているチョコレートパフェ。銀時が一番好きな、甘味。




それだけのことで昨日、いや先程まで迷っていたことを実行に移すことができた。




メール作成。
相手は、勿論。

















来週の準備もあらかた終わり、ようやく昼休みだ。数時間遅れたが、無いよりは大分ましだ。



ほぼ休日登校のようなもので知り合いは誰もおらず、先生も次の講義があるのか早足で会議室を出ていってしまった。




残された妙は、一人椅子に座って市販のおにぎりにかじりつく。
普段ならばもっと賑やかな場所で食事をする妙だが、今日は一人がよかった。



一人で、充分だった。




昨日、銀時と喧嘩をしてしまい、挙げ句家を飛び出してしまった。
もっと冷静になって話し合えばきっと分かりあえたはずなのに、銀時の言葉に勝手に怒って、勝手に傷付いて、勝手に傷付けて、勝手に飛び出して。



思い出すだけでも目頭が熱くなり、袖で拭く。





あの後、銀時に投げられた最後の言葉が悲しくて泣いた。
日常的な暴力でない平手打ちをしてしまった自分が情けなくて泣いた。
もう元に戻れないかもしれない、その可能性が怖くて、泣いた。




あんなに泣いたのはいつ以来かと思われるほどに、泣いてしまった。




いや、泣いた理由はそれだけではない。



以前、銀時の同業者である神楽から、こっそり教えてもらった。
銀時が、妙の誕生日のためにこれまでにないプレゼントをしようと模索していることを。



それを聞いた時は嬉しくて、何て可愛い人なのかと笑ったのだが。




今思うと、それほどまでに楽しみにしてくれていた記念日が潰れてしまい、落ち込んでいるのは銀時の方なのに。



自分の方が何倍も傷付いている、と訴えるような置き土産を残した自分が、酷く哀れに思えた。




おにぎりにかじりつくたびに、虚しさが広がる。



このままでは、喧嘩をしたまま銀時の一年が、自分の一年が終わってしまう。
こんな一年の幕切れは、したくないしさせたくなかった。




なのに、メールや電話をしようとする指に反発する頭の中はごちゃごちゃだった。




下らない意地や、何と謝ればいいのかという迷い、嫌われたくないという恐れ。全てが入り乱れて彷徨って、結局何もできずにいる。




「何やってるのかしら…本当に」




自嘲するように呟いて、天を仰ぐ。
午後からはやることがない。
それは好都合では決してなかった。



逆に、やることがあれば気が紛れるのに。




また、逃げるような考えをしていた自分に首を振った。




学会は数日後だが、準備のために明後日から出発しなければならない。
つまり、今日と明日を逃すともう、銀時の一年の最後と新しい一年の始まりを、何のしがらみもなく祝うことができなくなるのだ。



分かっているのに、携帯に手が伸びない。溜め息をまたついて、最後の一口を飲み込んだ、その時だった。




ポケットに入れていた携帯が振動する。



先生から何か言伝でもあるのだろうかと開いてみると、メールだった。
しかも、この着信画面。




着メロと一緒に、他の受信者と見分けがつくように設定したそれ。




携帯の振動をとめ、メールを開いてみると。








『お疲れ。もう終わったか?
そっちが片付いてからでいい。俺ん家に来てくれ。いつになってもいい、待ってっから。



全部、謝らせてくれ』






















インターホンを押したのとほぼ同時に、扉が開かれて抱き締められた。



大学からバス停まで走って、バス停から駅まで走って、駅から銀時のアパートまで走って体温が上がっている妙にとって、今の銀時は酷く冷えているように思えた。




切れた息遣いで銀時の服が湿ってしまうほど、きつく、きつく抱き締められる。



「銀、さん…」



苦しさからか、嬉しさからか零れた名前に、銀時は更に腕の力を強くする。




「悪い…ごめん、お妙…ごめんな…」


「ごめんなさい…銀さん…」


「お前が…謝んな…」




もう一度、ごめんと呟いた銀時はまるで噛み付くように性急に妙にキスをした。



玄関先といえど外であることなどは頭になく、舌を絡めて妙を抱き寄せる。
誰が来るかも分からない状況での深いキスは、妙を困惑させた。



離したくない。しかし、誰かに見られたくはない。それでも、離したくない。




「銀、さ…っ…誰か、来たら…」


「いい…今は気にすんな…それよりキスさせろ、死にそうなんだよ」




言葉を交わしたのは、ほんの数秒、一言二言だけ。



再び唇を合わせた銀時の背に、妙は腕を回した。


謝りたいのは、会いたかったのは、キスしたいのは、貴方だけじゃないんだと伝わるように。













「まったく…ヒーターもエアコンもストーブもつけないで何してるんですか」




部屋に入れてもらうと、暖房器具一式が沈黙していた。



抱き締められた時、銀時が冷たかったのは妙が温かかったせいだけではなかったのだ。




「だってよ、んなことよりもお前が速く来ねーか気がかりで…」


「もう…今日の天気予報見ましたか?」




今日は冬の訪れを感じさせるような寒波が日本列島を襲い、紅葉の色づきが早まる気候になるだろうと、銀時のお気に入りのお天気アナウンサーが言っていたのに。



だからこそ妙は、今年初めてタンスからコートを引っ張りだしたのだ。





「見てねぇ、起きたら昼だったし」


「まったくもう…ご飯は?」


「カロリーメ○ト」




思わず溜め息をつく。
大の大人が、いくら腹持ちに定評のあるカロリーメ○トを食べたからといってそれだけで持つはずがない。




「お昼に起きて…今まで何してたんです?」


「…お前ん家に行った」


「え?」


「新八に呼び出されてよ」




弟の名前がなぜ出てくるのか分からなかったが、すぐに察することができた。
何があったのか悟った弟が、銀時を呼び付けたのだと。



なるべく心配をかけないように振る舞っていたのに、姉弟とは恐ろしいものだ。




「…お妙、悪かった」



そしてもう一度、銀時が謝る。
非は銀時だけではないと妙も謝ろうとしたが、その隙は無かった。



「お前は学生だから、やっぱ学会の方を優先して欲しかったんだよ。俺のために放り出してほしくなかったし…お前も、そう思ってたんだろ?多分」



真っ直ぐ見つめられて、頷くしかない。




「変な意地張っちまって…お前に、他の男見つけろ、だなんて言って…ほんと、悪かった」


「…じゃあ、もうあんなこと言わないで下さいね。私には、銀さんだけなんですから…」




柄にもなく情けない表情をしている銀時の頬に手を当てる。
やはり、冷たかった。




「私も、ついカッとなって…はたりたりして、ごめんなさい」




冷たかった銀時の頬が、妙の掌の温もりによりじんわりと熱を帯びていく。


その心地よさに、銀時はようやくいつもの表情に戻った。




「…じゃ、仲直り…な」


「ええ。仲直り、です」




妙の手が銀時に重なり、額と額が合わさって顔が更に近くなる。
妙が目を閉じたのを合図に、もう一度唇が触れた。














「明後日出発だァ!?」


「はい。下準備があるので早めに行かないといけないんです」


「マジかよ…いきなりすぎんだろ…」




数回のキスの後、妙を抱き締めたまま出発の日取りを聞いて銀時はうなだれてしまった。


明後日出発ならば、明日はその出発の準備に追われるだろう。
今日はもうじき日が沈む。
せっかく仲直りしたのに、キスぐらいしか出来ないとは。




「…あの、銀さん」


「…なに」


「これ…」




銀時の腕の中から抜け出して、持ってきた鞄からあるものを取り出した。
両手に収まるほどの大きさの、シンプルなラッピングをされたそれ。




「一足早いですけど…お誕生日、おめでとうございます。銀さん」




昨日のしがらみも何もかも吹き飛んだ純粋な笑顔に、銀時は仲直りにキスぐらいしか出来ないのが何だと吹っ切れたようにそれを受け取った。



むしろ、こんないい女とキスできる関係にあることに幸福を感じるあたり、銀時も単純なのだろうか。




「あ、ちなみにそれ、誕生日まで開けないで下さいね」


「え?今じゃいけねーのかよ」


「ダメです。誕生日プレゼントなんですから、誕生日に開けないと」




またお預けを食らって少し膨れたが、肌身離さずこのプレゼントを持っていてくれたのか、それとも家に帰ってわざわざ持って来てくれたのか知らぬプレゼントを前にしては、それもまたよしとなる。



仲直りのために、その辺で適当に買ってラッピングしたものとは到底思えない。随分前に買って随分前から用意してくれていたことは、ラッピングを見て明らかだ。





「…ありがとな、お妙」


「いいえ…私の誕生日も、期待しておきますね」




照れたように笑った妙を再び抱き締めて、銀時はまかせろ、と呟いた。





銀時の一年の終わり。
それは最初は危惧されたが、どうやら無事に、幸せな終わり方をするようだった。












(銀さんおめでとう!)

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