短編集
想いの逃げ道
子供が生まれたんだという報告は、ハガキの表面でのこと。
そこには感情もない。
印字された明朝体の挨拶文と、初めて見る君の子供の写真。
くしゃっとした顔の「それ」に、君の面影を探すのは難しい。
最近は連絡も取っていない。
それなのにたまにはこうやって、君は俺の心に爆弾を投げ込んでいく。そのたびに、心が古傷のように痛み出す俺はどうしたらいい。
……どうしようもない。
翌日には妹から連絡があった。
「勇介に子供が生まれたって」
「ああ」
「有紀、知ってた?」
「ああ」
機械的な返事の俺に苛立ちもせず、妹は淡々と言う。
「出産祝い、どうしようか」
「任せる。俺も連名にしてくれ。金はやるから」
「いいよ」
用件、終わり。
最近どうしてるの、という質問が来る前に電話を切った。
仕事の同僚と酒を飲んで、倒れた。
同級生だったそいつとは、10年の付き合い。俺が荒れる時を知っている。
部屋まで送ってもらい、ベッドでうつぶせに倒れていると、勝手に冷蔵庫の酒を飲みながら榊は言った。
「久しぶりだね」
「何が」
「お前がそうやって不安定になってるの。酒に強いお前が酔いやすい時って、精神的にダメな時なんだよ」
「わかってる」
「何かあったのか? 仕事じゃないだろ?」
「ああ」
俺はダイニングを指差した。
榊の足音がダイニングへ遠ざかる。ぴたりと止まった、テーブル前。
伏せて置いてある手紙がある。伏せてあっても、宛名の文字は見覚えがあるだろう。榊と彼と俺は、高校・大学と同級生だった。
本文は印刷されたものでも、宛名だけは手書きだった。そこだけが君の空気を感じさせる。
溜め息まじりに榊は言う。
「ああ……俺は引越してから、連絡先をあいつに教えてなかったからな」
「俺だって」
そう、俺だってそうだ。だけど彼は、俺の妹とも付き合いが長いのだ。妹が住所も電話番号も教えてしまったに違いない。
「俺な、あいつ嫌いなんだ」
「知ってる」
そう答えると、榊の小さな笑い声が響いた。
「理由まではわからないだろ?」
「馬が合わないんじゃないのか」
「いいや」
榊はハガキを持って、ベッド脇に近づいて来た。俺は仰向けに寝直す。
「あいつはお前の気持ちに気付いても、気付かないフリをしてる。お前を傷付けていることに、気付かないフリをしているのが気に入らないんだな、俺は」
「恥ずかしいこと言うな」
「何が恥ずかしい?」
「俺は傷付いてなんかいねぇ。傷付いてないことにしてくれ」
「勇介は、俺にはハガキを送って来ないくせに、お前には送る。俺のことはどうでもよくても、お前との縁は、切りたくないと思ってるんだ。ずるいじゃないか」
「たまたまだ……あいつ、妹と仲良いから」
くしゃ、と乾いた音がした。
俺は反射的に起き上がる。榊の手の中にあったのは勇介からのハガキ。
何もかも実家に置いて、出て来たのに。
こうして俺はまた、君のぬくもりが残る物に振り回される。
榊はタバコの空箱を握り潰していただけだった。
ハガキは無事な姿でベッドの上へと投げ捨てられ、ひらりと空気に乗って俺の脇に着地した。
必死な顔をした俺を、榊は馬鹿にしたような、呆れたような顔で見ていた。
ハガキをベッドの横にあるゴミ箱にそっと入れた。破る勇気も、丸める勇気もなかったが。
もう見ない。
もう乱されない。
もう君とは決別したい。
一週間と経たない時だ。夜、携帯ではなく家の電話が鳴った。
家にかけてくるのは家族くらいだ。だが出なかった。
留守電に切り替わった後、誰かの話し声がぼそぼそと電話機から聞こえていたが、音量が小さすぎてわからない。
電話が切れる、ピーという機械音だけ確認して、やっと立ち上がった。
誰かが留守電に伝言をしたから、再生ボタンを押す為だけに立ち上がった。
メッセージは1件です、と女性の声が教える。ピーと電子音が鳴った。
「もしもし、有紀、久しぶり」
声が流れ出した途端、その面影が鮮やかに俺の内に蘇ってきて思わず停止ボタンを押しそうになった。だがその手を止める。
勇介の声だ。止めたくなかった。
「出産祝い、ありがとう。今度、飯でも行こう。有紀、携帯の番号変えただろ。連絡しろよ。じゃあまた」
短い、淡々とした言葉達だった。
俺は詰めていた息をそっと吐き出す。前髪をかき上げた。
これくらいのことで動揺している自分が情けない。
メッセージを消去しますか?消去する場合は……と電話機が喋っているが無視した。
消した方がいい。
それなのに、彼の声をここに留めて置きたいと、俺は願っているのだ。
消さなければまた苦しむだろう。きっと聞き返すこともないメッセージだ。
「子供みたい」
俺は自分を笑った。
こんなことで悩んで動揺している俺は子供のようだ。
消せばいいじゃないか。未練がましくメッセージなど取っておくことはない。
捨てたハガキのように、消去すればいい。
だけど……あのゴミ箱の中身は、きっと当分の間、捨てない。
君の全てを振り切ったつもりでも、君はこうやって付いてくる。
そして俺も、全てを振り切ることはできない。
自分に言い訳をして、君に心を乱されることを苦しみながらも楽しんでいる。
君にずっと恋していることが、どんなに苦しくて馬鹿馬鹿しくても、俺からやめることなんて出来ない。
当たり前だ。
好きなんだから。
終
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