NOVEL 天使の顎 season2 ジュブナイル編
13 *兄弟/brother*3
「帰った? 法皇庁、帰った?」
警備室の出入り口から駐車場を覗いて卓郎がきょろきょろとする。
喰うだけくってユマが授業に戻り、暗くなり始めたころ例のリムジンの姿はなくなっていた。
「はぁ〜、やっと引き上げられる。ごっそうさん」
結局、秋水まで腹を満たして警備室を後にする。
次に部活を終えたチロルが乗り込んでくるのだろう。
その前に、と卓郎は動いた。
押入れから物々しい装備のPCを取り出してキーを叩く。
開いたのはただのノートパッドだ。そこに打ち込む半角英字。
”Azariah”
「兄弟殺しのカインにお節介な天使の降臨、か。抱かれし魔女リリスはチロルか諌村か、どちらだろうなぁ」
* * *
遠く町並みが見える。
全くもって、この物騒な学園のことなど知れない人々の町は煌めいて、それなのに周囲は森に囲まれて切り取られているようだった。
閉鎖空間を脱出しようと、屋上に行って外の世界を見たい、そんな生徒が多いのかもしれない。
だが、夜になると、魔女を恐れて誰もが足早に寮に向かう。
静けさは確かで、しかし、耳を澄ますと今夜も銃声と狼の声が重なっていた。
人肌と同じであろう不快な熱風がまとわりつくが、昼間ほどでもなく太陽のまぶしさも無い。
部屋に戻れば冷静になれない気がした。
乱れている。あのいけ好かない兄が来てから乱れている。
絹夜は自分のしょうのなさに息苦しささえ感じていた。
「”腐敗の魔女”……」
それが自分の持っている称号で、記号で、確かに自分を指しているものだった。
黒金絹夜という名前よりも、ずっと確かに自分に近しかった。
”魔女を狩れ”
「…………」
そうして、本当に許されるのか?
その言葉は、本当は自分の死を望んでいるのではないか?
一体誰の言葉だったんだ?
「一体、俺は……」
今まで何を信じてきたのか。
ふと、オクルスムンディが何かを捕らえた。
見えない屋上前の階段が脳裏に浮かぶ。
誰かがやってくる。それを感知して絹夜はさらに陰鬱な気分になった。
今は、何も考えられない。
控えめに扉が開いてその主が顔を覗かせた。
「あ…………絹夜君、大丈夫?」
「…………」
怪我のことを知っているのは、庵慈のところにでも行ったのだろう。
目を閉じて何度か頷き、返す。
「問題ない。だから俺に構うな」
「でも、あの……私、庵慈先生から色々聞いたんだよ!?」
あの魔女の事だ、話していてもおかしくない。
おしゃべりな魔女である。庵慈に舌打ちして絹夜は視線を遠い町の光に向けた。
「絹夜君、ずるいよ……。私達に話さなきゃいけないこと、たくさんあるのに……。
NGの人たちだって、絹夜君のことを悪く思ってないのに、どうして裏切られるなんて思い込もうとするの!?
絹夜君は、自分のことが大事だから、傷つきたくないから、相手のこと信じられないんでしょ!?」
「お説教のために探し出したのか。ご苦労なこった。だが、耳障りなだけだ」
「耳障りでもいい!」
「…………」
それならば、と絹夜が踵を返すと、乙姫は唯一の出口である階段への扉をその身で塞いだ。
「逃げるなんてもっとずるいよ!」
「なんとでも言え」
「言うから、聞いていて……!」
観念したように良く無い表情をして絹夜は両手をポケットに突っ込んでまた遠い地平線に目を向けた絹夜。
乙姫も一呼吸置いて静かに言った。
「絹夜君は苦しいのに顔にも出さない……。君が苦しいのは分かってるんだよ、皆。そんなの見せられたら余計苦しいよ……。
誰かの力を借りることは恥ずかしくないよ。裏切られるのは辛いけれど、信じられないのはもっと辛いはずだよ!?
現に絹夜君、どこにもいけなくなってるじゃない!」
「俺の問題だ」
「またそう言って逃げる!」
「事実だ」
「でも、それだけが事実じゃない……。私、NGに協力する。
チロちゃんたちの目的は良く分からないけれど、私は信じてる」
「NGに? 魔女部を倒すのか?」
「違うよ。止めるの。お姉ちゃんを、止めるの。これ以上、戦わないために!」
再度、誓うように、祈るように目を伏せた乙姫。
彼女が変わったのは、あの原因不明の影の一件だろう。彼女は見てとれるほど強くなった。
地面を見ていた視線が今では高いくらいに上がっている。
表情にも、凛とした気高さが宿っていた。
「戦えないの、自分が傷つくことを恐れていては。傷つくことを恐れている場合ではないの!」
一気にまくし立てられ、絹夜はむっとした。
だが、何も言い返せずに黙って乙姫を睨む。
「もう、迷っている場合じゃない、そうだって分かってるんでしょ……?」
「裏切られて、力を失くしたとき、お前はどうするつもりだ」
「意志まで失うわけじゃない!」
「…………」
風が鳴く。
夜の匂いを孕んだ空気を大きく吸って、絹夜は目を閉じた。
自分がやるべきことは魔女を狩ること。
そして、それは贖罪のため。許されるため。
過去を見ている自分、未来を見据えた目の前の少女。それが交差するとは思いもしなかった。
誰かの存在が見えなかった。邪眼は全てを見据えているはずなのに、だからこそどれが真実か見えなくなっていた。
「あの、さ、絹夜君、こんなこと言うの、ちょっとアレなんだけど……」
乙姫は指先を合わせて口を尖らせた。
「NGの皆に裏切られるのが怖いなら、先に裏切っちゃえば?」
「…………。は?」
乙姫らしからぬ大胆な一言に絹夜も目を見開いた。
なんと言ったのか、頭の中で何度も反芻して、絹夜は理解する。
だが、その真意は良く分からないものだった。
「私、あの影に操られてた時に、チロちゃんの声が良く聞こえて、今でも耳に残ってる。
お前が自らを傷つけないのなら、私はその刃を受け入れよう……。そういったチロちゃんが裏切るって思えない。
あのときの全てが、彼女の性質だったのかもしれない。言い切れないけど、”其”れは、”ああいう”生き物なんだよ」
あの時、チロルは完全な慈悲を示した。
相手のことだけを考えた。
世界に順応させるための厳しさ、不確定な未来に備える無駄な教訓、それを無視した。
甘やかし、そういえば済んでしまうかもしれない。
だが、彼女に至ってはそのレベルが度を越えている。
それは絹夜が知りえない、最強の部類の武装だ。
「多分、NGは裏切っても許すと思うの……」
「…………」
言葉が出ない絹夜。完全に言いくるめられ、頭の中では乙姫の言葉を肯定しながらもどう切り替えしていいのかわからない。
「絹夜君が心配していることは、いつ隕石が落ちてくるか分からない、とかそんなことだと思うよ……?」
控えめな最後の押しに絹夜は舌打ちで敗北宣言をする。
忌々しく思いながら、それが確かな導きであったことも認めていた。
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