NOVEL 天使の顎 season2 ジュブナイル編
11 *乙姫/dragon*3
「そうだ…………」
力なく立ち上がって彼女が向かったのは保健室。
前にも庵慈は何かを知っているようなことを言っていた。
彼女は、あの魔女なら助言が無くても何かを教えてくれるかもしれない。
ふらりと入り口にたどり着くと、部屋の中から庵慈が戸を開いて迎え入れた。
彼女には乙姫がやってくることもわかっていたようだ。
「さてさて、どうしたの?」
デスクに食べかけのペペロンチーノが乗っている。
いつもよりぎらぎら光った唇をティッシュで拭って庵慈は乙姫に診察席を勧めた。
おとなしくそれに座って乙姫はぼんやりを床に視線を投げる。
なんとなく、言葉に出来ないことはわかっていた。
「そか、辛いね」
庵慈が優しくそれだけを言う。
その言葉があまりに優しく聞こえて、乙姫は大粒の涙を流した。
声はかみ殺すものの、スカートのすそをぐしゃっと握るその手にはよっぽどの力がこもっているのか、震えている。
「あなたがそこまで辛い思いをしているなら教えてあげてもいいのよ、藤咲乙姫」
椅子に座って足を組んだ庵慈。
すみれ色の目はどこか哀れんでいるようでもある。
顔をあげたことを肯定として庵慈は話を続けた。
「でも、他の苦しみがあなたを縛り付けるわ。それでもいいというならば私はあなたの真実を教えてあげる。
もう一度言うわ。苦しみは変わらない。もしかしたら、もっと辛くなる。それでもいいなら詩いましょう」
「庵慈先生…………?」
はれた目で見た彼女は酷く荘厳だった。
それは保健医の神緋庵慈ではない。世界五大魔女の一人、”真実の魔女”だ。
ここで引き下がってまた悲しむならば後悔する。
乙姫は力強く頷いた。
「そう、わかったわ。あなたが選んだ道なのよ、受け取りなさい」
「……はい」
庵慈がそっと目を閉じる。
他の時空の何かを見るようにその眼球がまぶたの下で動いていた。
「あなたが絹夜君に寄せている思いは、あなたの考えているものでいいわ。それは間違っていない。
問題は、風見チロル。あなたは勘違いをしている」
「え……?」
「絹夜君のこととは別問題であなたはチロちゃんを避けたいはずよ」
「そんな、私…………」
「感情の問題ではないの、これは生存本能。”魔”は彼女に恐怖を抱いている。そして、”聖”も彼女を恐怖している。
どちらにも属さない、対等のエレメントなのよ、風見チロルは。あなたが”魔”という存在をインストールしている限り、”魔”は恐れる」
「エレメント……チロちゃんが?」
状況の把握がやっとだという表情の乙姫に庵慈は視線を宙に回して少々考え込み、砕いた言葉で説明する。
「彼女は少なくとも、この世に属さない特別な存在。死んでもいなければ、生きてもいない。
私達の中の”魔”は本能的にそれを察知して警戒しているの。あなたはその性格からして、無理に彼女のそばにいようとした。
でも、ここ最近、黒金絹夜の出現でその均衡が崩された。”魔”の警戒警報はレッドに変わりつつあるわ」
「でも、チロちゃんは悪いことなんにもして無い……」
「わからないわよ」
「…………そんな」
「風見チロルはまだいいの。その奥を見れば柴卓郎、諌村祝詞が控えているじゃない。
彼らが何をたくらんでいるか分からない以上、私も最低限の協力以外はしたくないの。
NGはいつか私達を裏切るわ。そのためのチロルかもしれない。疑わないと、死ぬわよ、乙姫ちゃん」
「…………」
急に眉を吊り上げた庵慈に乙姫はなんと答えていいか分からなくなっていた。
彼女の目を見る限り本気であろう。
庵慈はさらに証拠をならべるように言った。
「実は、丁度良く、最近”魔”を解除された小林って子がいたから、彼を使ってけしかけてみたの。
彼は風見チロルがスキだった、でも”魔”に属している時はどうしても近づきづらかったって。
でも今は完全にストーカー。この差が出るまでにたったの数日。おかしいでしょ」
「あ…………」
小林が彼女の周りをうろうろしていたのはわかっていたが、それが庵慈の策略だったと思うとぞっとする。
自分の知らないところで事が動いていることが気味が悪い。
「私だって黙ってNGに利用されるのはごめんなの。奴らの目的は<天使の顎>の強奪。
でも<天使の顎>を一体何に使うかは口を割って無いわ。NGは情報操作のエキスパートよ。
味方であればあれほど頼もしいものは無いわ。でも、彼らを信用できて? 彼らは自分たちのことを一切話さない。
その理由がわかるまで私は力を貸せないの」
「先生…………」
いつか一緒に笑っていた時が嘘のようだ。
NGは何故隠す。庵慈は何故疑う。
庵慈の言ったことが確かであれば、現状は解消される。
だが、乙姫にとってまた新たな問題がのしかかった。
庵慈のいっていた辛いこととはこのことなのだ。
「…………。もう、行きなさい。授業が始まるわよ」
庵慈の表情に拭えない悲壮が見える。
乙姫には彼女も自分と同じような、そして、もっと重いような痛みを抱えているように思えた。
* * *
乱獲にも似た光景だった。
夕暮れの森の中、聖剣2046が踊る。
「血に餓えているのはお前だけではないぞ!!」
自らの三倍もある狼をひと薙ぎで両断し、灰がまだ舞う中で身を翻す。
次の獲物を感じて目に映らなくとも剣を突き出す。
それも粉塵となって風に巻き込まれた。
敵がウルフマンを操るならばそのウルフマンを先に狩ってしまえばいい。
それだけの話だ。
そうして先制攻撃に出た絹夜。
同じ数のウルフマンと戦うことにはなるが、策をもって押し寄せるよりはまだ緩い。
そして、敵の鼻を明かせるのならとことんやってやる。
「操られるしか能がない狼が!」
焼け焦げたような匂いの灰の風の中、絹夜が咆えた。
鳥が羽ばたいてその場を離れる。
小さな木々のざわめきを残してあたりが閑とした。
「…………ほう」
絹夜が簡単の声を上げる。
足音もなく、気配だけが濃厚な存在が背後から堂々と現れていた。
だいぶ遠い。だが、あちらも絹夜を認識している。
「…………」
振り返り、絹夜は橙色の光のカーテンの向こうに一匹のウルフマンを見た。
他より一回り大きく、何より、銀色の身体をしている。
白銀の毛並みに、澄んだペイルブルーの目。
それはしばらく絹夜を観察して咆えるでもなく襲い掛かるでもなくただじっとその場に立っていた。
「白銀……の……」
ポツリと絹夜呟いて、同じように視線を返す。
互いに力を図りあって、それが同等だと知ると、絹夜は剣を握りなおし、しかし狼はそっぽを向いて興味なさそうに去っていく。
同等ならば、ウルフマン使いの手によって操られる前に処分してしまいたい絹夜に対し、その狼は互角だからこそ勝負をしなかったようだ。
互いにただではすまない、そう分かれば争う必要が無い。
それも動物の本能の一つだ。
柄を握った手から力を抜いて絹夜はしばらく立ちつくす。
取り逃がした苛立ちから歯を食いしばり、彼は学園のほうに足を向けた。
そこにはまだ魔女どもがはびこっているのだ。
誰の言葉か、急に脳裏に蘇った。
”お前の使命はこの剣で魔女を滅ぼすこと。それが果たされればお前は許される。”
背中が痛んでそれでも彼は剣を離さなかった。
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