NOVEL 天使の顎 season2 ジュブナイル編
10 *魔喰/MAGU*5
人間にとって感情を知られるのは恐怖だ。
人間にとって感情を理解し合えるのは美徳だ。
どうしても矛盾の生じる生き物だからこそ、どうしてもその矛盾に苦しむしかない。
「まぁよい」
さすがの織姫も何か納得いかない顔をしたものの、すぐにその返事で打ち消した。
魔女部の薄暗い部室で牧原裂、久遠寺殺を前に藤咲織姫が腰をすえる。
「悪況であるならば悪況にしか行えぬ業を行うまでじゃ。奴らの目的は<天使の顎>。その所在がわからぬ以上、下手に魔女部にも手は出せまい。
殺、汝は狼を増やせ」
「は、了解しました」
「牧原、汝はしばし好きにせい」
「…………は?」
織姫の意外な言葉に間抜けな声を上げたのは殺だった。
当の牧原はというと、少々不信に思いながらもいつもの適当な返事を返す。
「まあ、それでいいって言うならそれでいいんでしょうが。では、しばらく好きにします」
次の行動方針を聞けば牧原はすぐに白いコートを翻し、去っていってしまった。
扉が閉められて牧原が遠いことを確認してから殺は声を上げる。
「よろしいのですか、あの男にあのようなことをおっしゃっても!」
「捨ておけ、殺。牧原は所詮、代理で我々に構っている、いわば部外者じゃ」
「牧原を捨て駒にしては戦力が落ちます! 奴のソウルイーターも元々は彼のものではないですが、あれを使う人間はそういません!」
「殺、よく聞け」
今まで何処ともなく虚空を見ていた織姫の目がようやく殺にむいた。
だが、そこにはいつもの妖艶で穏やかな光は無い。
刺すような、逆らうことを許さない目だ。
「字利家が帰還する」
字利家(あざりや)――その名を耳にした途端、殺の表情が明るいものになった。
「牧原には字利家の代わりは勤まらなかったというわけじゃ。字利家も帰還する。牧原にはもう用は無い。
殺、お前が兵を集めるまで奴を泳がせておく、それまでに万全を期すのじゃ。
妾もそれまでは手を貸そう」
「ッは、はい」
恐ろしく冷酷なものが織姫の目に宿った。
それはすでに獲物に狙いを定めた蛇のようで、味方である殺でさえも背筋が震えた。
「<天使の顎>を継承する以上、守りきらねばならぬのじゃ。たとえ我が半身を使おうと……」
* * *
どうやら少々手間取ったらしく、庵慈は四日後に解除薬を完成させた。
三日と言っていたものが四日となって不信に思いながら絹夜は小瓶を受け取る。
「と、いふことで〜」
「ちょっと待て」
渡された小瓶には何故か魚の絵が描かれている。
絹夜はそのビンを、通称エンガチョつまみで自分の身から離した。
保健室の呼び出された絹夜は、庵慈と一対一で話すのも面倒なので自動的についてくるチロルと乙姫を引き連れていたが、その二人は遥か遠く。
絹夜にエンガチョつまみされているその小瓶からはどうにも魚独特の生臭いにおいが強烈に漂っていた。
察知したチロルと乙姫はそれはもう陸上選手もかくやという速度で逃げ出し、出入り口から鼻をつまんで様子を見守っている。
ニコニコしながら小瓶を渡してきた庵慈も鼻に洗濯バサミを装着していた。
「何よ、わたひがひんじらんなひってひうの〜?」
「何を言ってるかわからんが説明してもらおう」
「へふめいたっへ、わはんなひんひゃあいひなはいひゃあん!!」
なにやら抗議している庵慈の鼻洗濯バサミを力任せに取り上げて同じ質問を投げつけた。
「う〜、この匂いがまだダメなのよね……」
映画女優もかくやという美貌を最大に歪ませて庵慈が目を瞬く。
そこまで匂いはきついがこうなった経緯を説明してもらわなければ次を聞けない。
「ちょっと匂いがアレーな感じだけど、それがあんじぃ特性解除薬よ〜!」
「臭ッ」
有りの侭の感想をもらって庵慈が鼻に手をあてながらぼやく。
「だって、仕方ないんだもん、材料に脊髄が必要だったんだもん。その辺の動物捕まえて殺すのは苦手なんだもん!」
「いい年して”だもん”とかつけるな、魑魅魍魎が避けて通るぞ」
「で、代わりに身近な脊髄を使ってみました」
「魚でもさばいたのか」
ビンに描かれた魚のマークは恐らく鯖である。
何処から持ってきたのやら、やたらとリアルな鯖だった。
あまりに胡散臭く、絹夜は一見し終えると小瓶を庵慈に返す。
庵慈も小瓶のサバを見つめながら呟いた。
「そんな魚なんて学園を出なきゃ手に入らないじゃない。通信販売で買ったのよ。その配送に至急で取り寄せても三日かかるってわけよ」
「で、今度は何くだらない材料を使ったんだ」
「サバ缶」
「…………」
当然の如く言い放った庵慈の言葉に絹夜は絶句せざるをえなかった。
そんなことならばどこかしらでヒヨコでもとっ捕まえて脊髄取り出すくらいはやったはずだ。
そんなことを考えて自然とチロルに目がいった。
アレの脊髄だと料理下手が感染しそうだ。
最悪、恐ろしい効果の新薬が完成するかもしれない。
「それでこの悪臭……サバ缶の配送時間が三日で製作そのものはそう時間もかからないものだったのか……」
見た感じイライラしている絹夜に遠目からチロルが要らないことを言う。
「サバ缶なら祝詞の好物だから警備室にいくらでも転がってるぞ」
「…………」
「…………」
恐ろしい沈黙。
さらにチロルが何か言おうとしたが乙姫が取り押さえる。
だが、今更その気まずい沈黙は拭えなかった。
当然、サバ缶なんて使うとはチロルも思ってはいない。
原因はサバ缶に走った庵慈だ。
「ん〜、絹夜君、そんなに熱っぽく見つめないで〜!!」
「熱っぽいんじゃなく、頭にきてるんだ」
「もう、あんじぃ、また絹夜君を、の・う・さ・つ!」
「…………」
本当にどこまでも人の話を聞いていない女だ。
一、無視。
二、逆に口説いてみる。
「三、やっぱり蹴る」
言うと同時に実行する絹夜。
高く振り上げた足が庵慈を狙う。
庵慈はそれを身を翻して避けた、つもりだった。
強烈な蹴りが庵慈の手を直撃して、その手にしていた小瓶が手からすっぽ抜ける。
すっぽ抜けた小瓶が落ちる。
「あ」
落ちた小瓶が盛大な音を上げる。
中から液体が飛び散る。
一連の動きがスローモーションのように目に映って一同は呆然としながら終了段階を迎えた。
辺りに恐ろしく生臭い悪臭が漂う。脅威のサバパワーかどうかは別として、それによって封魔の効果は破られた。
身体に戻ってみてわかる自分の”魔”の部分。
だが、全く喜んでいる場合じゃなく、むしろその場は阿鼻叫喚な状態に陥っていた。
<続く>
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