NOVEL 天使の顎 season2 ジュブナイル編 1 *否定/NegativeGlorias*3 道理ではないのだ。 従うのはこの気持ちのみ。 言葉に出来なくとも、ならなくともそれが確かであると解る少女だった。 階段を駆け上がり、半開きの扉をさらに開いて見回す。 桜を含んだ春の強風が舞い上がった。 「!」 眩暈がした。 チロルと、そして絹夜がどこから取り出したか武器を持ってにらみ合っている。 二人の間にも春風が吹き荒れていた。 穏やかな春の午後の日差しは注がれているのにどうしてか失神しそうなほどの鬼気が渦巻いている。 絹夜の手には先ほどの長剣が、チロルの手には二つ顎の銃が収まっていた。 「やめて!」 皮肉にも乙姫の叫びを合図にしたように二人がコンクリートを蹴る。 紫色の綺麗なセーラー服、漆黒の神父服、空は綺麗な水色だというのに、とても綺麗な午後だというのに。 血が舞った。 先に攻撃を受けたのはチロルだった。 顎を掠めた剣先が血の放物線を描き、さらに胴体を切り離そうとしている。 しかし、チロルの銃が火を吹いて絹夜の右腕を焦がした。 全く悲鳴も苦鳴も上げずにもう一度距離を取り直した両者に乙姫はかける言葉がなく呆然としてしまう。 「クックック……大口を叩いただけはあるな」 「貴様に褒められても、嬉しくは無い!」 「褒めただと? 調子に乗るな!」 まさに、悪魔の咆哮。 空気が震えた。 怖い。 乙姫はその場に腰をついた。 これは、違う生き物だ。 何が起こっているのかすらわからなかった。 金属音と銃声と血飛沫が桜と一緒に舞っている。 途端、チロルの動きが止まった。 同時に絹夜の動きも鈍くなる。 「…………何だ、これは……」 チロルが銃を構えたままやっとその言葉を吐き出した。 「俺をナメたバツだ」 にやり、と絹夜が目を細める。 その黒い両眼がチロルを捉えていた。 「剣ばかり気にしていたのがお前の欠点だ。俺の目は目を閉じてものを捕らえ、生き物の動きを封じる」 「…………!」 屈辱の表情すら浮かべられないチロルを絹夜は満足げに見ていた。 だんだんと距離をつめ、その目の前に立つ。 余裕綽々でチロルの持った銃の銃口を覗き込んだり彼女の制服のスカーフを解きながら絹夜はせせら笑って語る。 「お前にはわかるはずだ。オクルスムンディ、それがどのようなものか。 見えないものを見る力、見えるものを捕らえる力。以上だ。お前の目的は達成できたか?」 「…………ッ」 やっとのことで表情を変えたチロル。だが、それは驚愕だった。 黒い双眼が意識の奥に入り込んで何かを鷲掴みにしている。不安で動けなかった。 その術が、何なのか、それすらも分析できない。 だんだんと冷静さが欠けていく。 焦るチロルに絹夜は笑むのをやめた。 「お前は俺に探りを入れていたんだろう? だったら頭のてっぺんからつま先までいくらでも教えてやろうか」 束縛を解かれ、チロルがふらりと動いた。 突然のことで前に倒れる彼女を絹夜が片腕で支える。 「ただし、お前は俺のやることに逐一口を挟むな。ウザくて仕方ないんだよ、風見さん」 「……ゲスが!」 腕を払ってチロルが銃を絹夜の顎に突きつける。だが、絹夜はまだ人をバカにした調子だった。 「撃てよ。このゲスを撃てばいい。無抵抗のゲスを撃って更なるゲスに成り下がれ。お前の誇りがそれを許すとは思えんがな」 「…………貴様!!」 「どうした? 汚れるのが嫌なのか? 害虫を駆除するのと同じだろう? 殺れよ、殺ってみろよ」 「貴様とて人間だ。それを手にかけては私のプライドが許さん……!」 冷静になって、自分に言い聞かせたチロルだったが、絹夜が下げようとした銃を彼女の手ごと掴んで自分のこめかみに当てた。 チロルが間違ってでも引き金を引けばその脳は春の陽気に晒される。 今度はオクルスムンディで束縛もしていない。 狂っている。 チロルは音を上げそうになった。 こんな狂人を相手にするのは嫌だ! だが、次に絹夜が吐き出した言葉を彼自身、無表情であるもののチロルは痛々しく感じた。 「綺麗で結構。しかし、穢れを知らぬ真白き神に人の痛みと慈しみの何が解る」 彼はオクルスムンディを使っていなかった。 それなのに、チロルはその瞳に釘付けられた。 黒い二つの闇の奥に何かが、見えた。 「…………」 銃を無理に引き、おろすチロル。 これはこれなりのロジックをもっている。 敵ではない。むしろ、同じ方向を向いていた。 その性質がどうであれ、それを認められないチロルではなかった。 「わかった。お前のことは黙認しよう……。でも、私はお前から皆を守る。 お前が私の友にその剣を向けるなら私は全力をもってお前に立ち向かう。プライドも捨てて、だ!」 「ほう、いい心がけだ」 チロルの言葉を全て聞き終わらないまま絹夜は去ってゆく。 出入り口の乙姫と一瞬だけ視線を交わして絹夜は階段をおりた。 絹夜の背中が遠ざかる中、チロルと絹夜に視線を行ったりきたりさせている乙姫。 「えと……えと、えと……チロちゃん……」 チロルを選んで乙姫は駆け寄る。 さっきまで放っていた殺気は納まって鼻息を荒くしながら絹夜に解かれたスカーフを直した。 血まみれの全身ではあるが、彼女の顔色はいつもと変わらずだ。 「とんだ神父だ。乙姫、何かされたら必ず私に言うんだぞ」 「う、うん……」 絹夜を弁護する言葉が見つからなかった。 それに、チロルの手にした銃が恐ろしい。 チロルがそんな乙姫の不安に気がついたか、彼女はセーラーを捲り上げて背中のホルスターに銃を収める。 そこなら細い体型の彼女が背中を張って立っていれば全く気にならない。 しかし、絹夜の剣はどこから出てきたのだろう。 きょとんとした乙姫にチロルが軽く頭を下げた。 「心配をかけて悪い」 「ううん、いいの。でも、チロちゃん、怪我してる……」 「見た目ほど深くは無い。これから寮に戻って手当てすれば十分だ」 「うん……」 絹夜はどうするだろう。 彼も寮に戻って治療をしているのだろうか。 保健室に行けば先生が手当てしてくれるだろう。 物騒な学園だ。 流血ならまだしも、時に人間がモンスターに変えられてしまう。 それでも無理に日常に差し替えようと魔女部が制圧している。 楽しいことはある。しかし、やはりこの惨状には目を瞑れない。 正体を現した戦う少女。 やってきた戦う神父。 一人、不安と悲しみに押しつぶされそうになっている乙姫はその心情が顔に出ないよう努めた。 その二人が、そして自分がぶつかり合わないことをひたすらに祈る。 消化不十分な想いは今は見たくない。 ただ、仲良くなえることだけを祈る。自信はなかった。 春の陽気はまさに麗なのに……。 * * * 寮に戻った絹夜は神父服をベッドに投げて鈍い紫の学ランの右袖を捲くりあげた。 チロルの弾丸に肉を少しえぐられた二の腕に止血剤を塗りたくる。 荷物がまだ開けれていないダンボールだらけの狭い部屋で、今、唯一開いている荷物が治療道具だった。 彼とてこの学園に乗り込んできただけあって交戦は免れないだろうと予測はしていた。 だが、そのために持ってきた治療道具を早速開くとは思いもせず、さらに切り札であったオクルスムンディをいきなり使ってしまったのは想定外だった。 あまりにチロルの能力と武器の脅威にムキになっていたのは事実。 テーブルに備えられたノートパソコンの前の椅子に座って戒めにきつく包帯を巻く。 彼女は敵ではないことはわかった。 しかし、あの恩着せがましいお節介な性格は相容れない。 敵ではない。 味方でもない。 魔女という勢力を単純に叩き潰すだけではこの学園は攻略できそうにない。 「まったく、面白い学園生活が送れそうだ……」 自分を派遣した法皇庁に嫌味をぶつけ、彼は胸に光る十字架に手を当てた。 祈りではなく恨みを込める。 心で念じる恨みは一つ。 穢れを知らぬ真白き神に人の痛みと慈しみの何が解る。 <続く> [*前へ][次へ#] [戻る] |