NOVEL 天使の顎 season2 ジュブナイル編 1 *否定/NegativeGlorias*2 教師の紹介によると彼の名は黒金絹夜。 両親の都合でイタリアに住んでいて最近引っ越してきたことになっているが、そんなことは偽造であることはチロルの目にはわかりきっている。 問題は絹夜自身の人格だ。 「では、黒金くん、自己紹介を」 教師に言われて煩わしそうに、見下した視線を教室内に向けながら彼は小さく言った。 「……黒金絹夜。よろしく」 別に友達を作りにきたわけではないのは先の暴走でわかりきっている。 その神父服と真新しい学生鞄。先の剣はどこへやら消えていた。 教師含め、教室内の誰もが空間を取り繕っている。 「そ、それじゃあ、黒金君はあの空いている席に座りたまえ」 教師が言い終える前にチロルの隣の席に歩き始める絹夜。 どっかりと座ったところにチロルとは反対側の席のおっとりとした少女が絹夜に話しかけた。 「よ、ヨロシクね、絹夜君。あの、私……」 「ああ」 お前の名前は興味ない。 その意地悪な気持ちがありありとわかるタイミングで絹夜は前に向き直る。 「……あ……う」 少女は言葉を失ってそれ以上は言わない。 長い黒髪の先をいじりながら物怖じして視線を泳がせた。 「風見、藤咲、後は任せた」 教師の無責任な言葉に、チロルはムッとしながら、藤咲と呼ばれたおっとりとした少女はおずおずと承知する。 問題の黒金絹夜は他人のことには無関心のようだ。 また何かやらかすのではないか。 皆がそう警戒してる中、絹夜は授業中はおとなしく黙っている。 驚いたことに五ヶ国語を操り、嫌味なほどに知識が広い。 何をやらせても完璧にこなしてしまう人種だった。 隙がなく、あまりに凶悪で、魅力的な男だった。 チロルが絹夜の監視をし続けるが、四時間目が終わって昼休みになる。 これで気が抜ける、というところだった。 「絹夜君」 思わず机の上で上半身をずっこけさせるチロル。 まだ懲りていないのか藤咲が絹夜に声をかけていた。 「絹夜君、お弁当、ないの?」 「…………」 眉間に皺を寄せる絹夜。同時にただならぬ、性格の悪い気も放ち始めた。 それでもめげない藤咲。 「私のお弁当でよかったら、半分コしない? あのね、私が朝作ってきたやつだからおいしくないかもしれないんだけど……」 「…………」 舌打ち。 視線を外し、足を組んだ絹夜に藤咲はお手製の小さな弁当箱を絹夜に見せた。 「ウインナー、一つしかないけど、絹夜君にあげるね、あとね……」 「うぜぇんだよ」 「きゃあッ」 パン、と絹夜が藤咲の手を払う。 彩が綺麗な弁当が中を待って床に落ちた。 「あ…………」 可愛らしい綺麗な具がベージュ色の汚れたタイルの上に散らかっているのを見て藤咲が小さく声を上げる。 さすがに刺さった周りの視線。 しかし、絹夜にはそよ風同然らしく、さも自分は当然のことをやったまでという顔でしゃがんだ藤咲を見下した。 黙ってただ弁当の残骸を手で拾い集める藤咲。 見かねてチロルが前に出る。 「黒金!」 「何か用か?」 「貴様には一度はっきり言わねばならんようだな!」 「面白い。聞いてやろう」 どこまでも上からものを言う絹夜。それにいちいち突っかかっていては時間の無駄だ。 せっせと床でご飯粒などを泣きそうになりながら拾っている藤咲を横目にチロルは激昂する。 「お前は神父の皮を被ったひとでなしだ。次にこのようなことがあったらタダでは済まないぞ!」 「ほう、面白そうだな。”このようなこと”とは、どのようなことだ?」 「それもわからんのか、この外道が」 「外道に値すれば上出来だ」 「…………ッ」 この男は一体何を考えているのか。 こんな人間に出会うのはさすがのチロルも初めてだった。 急に立ち上がった絹夜はチロルに身体を沿わせるように立ち上がる。 「”このようなこと”とはこういうことか?」 チロルの顎の下に手を添えて顔を近づける絹夜。 「…………ッ」 甘い桜の匂いがする。 そして、強烈に染み付いた血のにおい、灰の匂い、”魔”の匂い。 後者を拒絶してチロルは猫のように飛びのいた。 その様子に満足したようで絹夜は腹を抱えて笑い始める。 「クックック……威勢だけは一人前か」 しんと、ぴんと、静まり張り詰める空気。 その中、絹夜の悪魔のような笑い声だけが響いた。 いやな声だった。 喋る分には全く気にならない、むしろ内容はともかく聞き取りやすい声だった。 だが、この男、笑うと酷い声だ。 地の底の悪魔が復活したような、全身がすくみ上がる耳障りな音に、耳を塞ぐ者まで出てくる。 午後の柔らかな時間が凍りつく。 「さて、どうしてくれるんだ? 風見さん。俺を、どうするって?」 「ッ…………」 この男は絶対の自信を持っている。 それを砕いて再起不能にするまでだ。 「屋上に上がれ!」 チロルの覇気の強い堅い口調にまた笑い転げ絹夜はよたついた足で屋上に向かった。 その際も耳障りな声を上げ、廊下に響かせる。 「…………」 一方、教室に残ったチロルは藤咲に目を向けた。 ほとんど片付け終わっていた藤咲にチロルが憐れんだ。 「乙姫、温いぞ。何故怒らない」 藤咲――乙姫は埃のついた弁当のつまった弁当箱に蓋をして、苦笑した。 「私がいけないの」 「バカな……!」 「だって、子猫に餌をあげようとして手を噛まれたこと、たくさんあるもん」 「…………」 鈍い口調で、そうでしょ? と同意を求めながら立ち上がった乙姫の肩に両手をかけてチロルは唸った。 「あんた、すごいよ……」 「え? 何がぁ?」 すごい、と言われてちょっと上機嫌になったのかいつもの笑顔を取り戻す乙姫。 だが、チロルは、しかし、と続ける。 「やつの力を見極めねばならん。私の敵ではないことを証明してもらおう」 「チロちゃん、絹夜君と喧嘩するの……?」 今まで何を聞いていたのか、乙姫は急に哀れっぽい口調になった。 「ダメだよ、同じクラスのお友達だもん。仲良くしようよ、お願い」 「仲良くできるかどうか、私には自信が無い」 これ以上いっても無駄だ。 乙姫は時に驚くほど頑固になる。 そうなってしまっては誰にも止められない。 その前にとチロルは背を向けた。 「…………。お友達、だもん……」 ぎゅっと弁当箱を両手で握りしめて乙姫は小さく祈るように呟く。 「乙姫……」 クラスメイトが彼女に声をかけたが、乙姫はうつむいたままだった。 「チロちゃんも絹夜君も友達だもん、喧嘩、止めなきゃ!!」 「何言ってるの、乙姫!」 「だって!」 乙姫は道理が考えられずに地団駄を踏んで、そしていてもたってもいられなくなったか廊下に飛び出した。 [*前へ][次へ#] [戻る] |