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NOVEL 天使の顎 season2 ジュブナイル編
7 *満月/wolf*1
「魔女部には……手を、出さないで…………」

 乙姫が苦々しくやっと言葉を搾り出した。
 風が何度も吹き抜ける。
 絹夜は思わぬ異常事態に呆然と彼女を見つめるしかなかった。

「戦わないで……。亡くしたくないの…………」

「……」

 亡くしたくない。
 その言葉が痛烈に胸に突き刺さる。
 亡くしたくない。だが、それは叶わなかった。
 この手が――。

「絹夜君」

「ッ」

 思考回路のクレバスにはまりかけたところで乙姫の声が飛び、絹夜は意識を取り戻す。
 そうだ、あれは奥底にしまっておく他にない。

「絹夜君、どうして魔女部を失くそうとするの……? ううん、怖いことをしているのはわかってる。
 皆が魔女を怖がっているのはわかってる。でも、どうしてそれを壊そうとするの?」

「法皇庁…………」

「え?」

「それが俺の任務だ。そして、俺の最後の枷だ」

 乙姫は不安げな顔をした。
 魔女といえど、法皇庁の裏の顔を知るものは少ない。
 浄化班の絹夜の任務もはっきりとはわからなかった。
 だが、それがただの破壊行為ではなく、目的を持った行動だったことが乙姫にもわかった。
 彼は犬。
 人の命を銜えて従う犬なのか。到底思えなかった。

「今度は俺の質問に答えろ。お前は何故魔女部に身を置く」

「…………」

「答えろ」

 鋭く冷たい声に乙姫は頷きながらまたも予想外なことを言う。

「大事な人がいるの……。この世で、たった一人の…………」

 それで答えは終わりだった。
 大切なものを傷つけられたくない、その一心が乙姫を動かしているのなら、相当な想いだ。
 絹夜はそれを理解した上で肩をすくめた。

「お門違いだな」

「…………絹夜君」

「そういうことは自分の力でどうにかしろ。頼み込むなんてもっての他だろう
 情に訴えかけて、はい、そうですか、なんてなるのなら俺だってわざわざイタリアからこんな辺境の島国には来ない。
 ここでお前を叩いても風見が目障りになるだけだが、退かないなら討つ」

「…………」

「俺は魔女を斬る為にここにいる。必要ならばお前も踏破する。覚えておけ、俺は友達を作りにきたわけではない」

「でも…………」

 乙姫の言葉は絹夜に追いつかない。
 かろうじて背中に届いたか、消え際に彼は舌打ちを残した。

「絹夜君……」

 あまりにも彼は恐ろしい。狩人の目をしている。
 狩られることの心配をしない、狩人だ。
 そして自分達は彼に狩られるためにいるのか。
 違う。

「お友達、だもん…………」

 彼は確かに恐ろしい。
 だが、そうではない。
 乙姫にとって回避したい項目は、大切な人と、大切な友が討ち果たしあい、傷つかないことだ。
 誰の勝利でもない。

「お友達……」

 それは所詮、理想でしかない。

                  *               *              *

 書類の整理を終えてデスク周りを片付けた祇雄は人のいない職員室で幸せ全てを逃しそうな溜め息をついた。
 庵慈にからかわれて口から滑った片づけを本当に実行するあたり、自分の意思軽薄さに気が沈む。
 もう太陽が落ちた。
 顧問をしている野球部も生徒達だけで自立し、執り行っている。
 この時間ならもう寮に帰っているだろう。

「はは、俺ってつくづくいらないなぁ……」

 自嘲でまた気が沈む。
 墓穴を掘るのもいつものことだ。

「じゃあ、そろそろ帰りますか」

 自炊洗濯、テストの採点、やることは山積みだ。
 それに…………。

「月が高くなる前に部屋に着かないと…………」

 そうと決まれば急ぎ足、職員室の鍵を閉めてロッカーに向かおうと廊下を歩くところだった。
 ぽん、どどん。
 上の階から響いてくる振動で天井から粉が落ちる。
 もう生徒もほぼ帰っているというこの時間に何がいるというのだ。
 いや、何がいてもおかしくない。ここは魔女の学園、切り離された魔女の庭。

「まさか、抗争でも始まっているのか……!?」

 それはまずい。それだけはまずい。
 巻き込まれても、それで命を失っても誰もなんとも思わない。
 だが、音はどんどん激しくなって、前方に進み、階段の踊り場に出た。
 落ちてくる。階段を下りて向かってくる。

「ッ」 

 逃げよう、そう思う前にそれが姿を現した。

「何をやっている!」

 蒼眼を大きく見開いて少女が叫んだ。
 黒い衣装を纏った金髪の少女だ。
 確か、校内では成績優秀、容姿端麗で有名な二年生である。
 だが、その彼女の後ろには巨大なミミズか青虫かの化け物が追いかけている。
 短い触手をうねらせながら迫ってくる幼虫の化け物に足がすくんで祇雄は動けなくなっていたのだ。

「あ、あ、あ」

 奇怪なことにその幼虫の口の下辺りに老婆のように皺の刻まれた顔がメチャクチャな言葉を吐き出しながら悲しそうな視線を投げかけている。
 救いを求めるような言葉だったが、祇雄にはその声が相まって恐怖だった。

「ひと手間かかりそうだな」

 少女は身体を捻る。
 尾長鳥のように色鮮やかな帯を翻し、腰の銃を抜いた。
 定めるのは化け物の核となっている人面。

「な、な、何だ、あれはーッ!?」

 ヒステリックな祇雄の声を合図にチロルは引き金を引いた。
 少女が手にするにはいかつい銃は重低音を放って弾丸を吐き出す。
 反動をものともせずチロルの腕は同じ箇所に構えてさらに発砲した。
 二つの銃弾が同じ軌道を描いて人面の額、ど真ん中に着弾する。

「魔女の呪いで化け物に変えられてしまった人の姿だ」

 チロルは短く答えると銃をホルスターに納める。
 そして、化け物は横に倒れてしぼむように小さく丸まった。
 出鱈目な言葉もだんだんと消えてなくなっていく。
 完全に無音になった時、祇雄がようやく息が止まっていたことに気がついて呼吸を再開していた。

「ふ、ふ、あー……。魔女の、呪い……」

「あ、あなたは祇雄先生。こんな遅くまで何をやっていた。他の先生方は残ってはいまい」

「それを言うなら君だって何でまたそんな格好でここにいるんだ。危ないからさっさと帰りなさい。
 …………まさか、君は魔女なのか!?」

「学園の情勢を話してしまえばあなたは完全に巻き込まれる。それでもいいなら話しても構わない」

「……」

 大抵、映画やドラマなどでこういった場面で変に首を突っ込むやつから死ぬのだ。
 それを思い出して祇雄は即座に首を振った。
 逆に拍子抜けしたチロルはぶかぶかのウエスタンハットのつばを持ち上げて困り顔を縦に振る。
 賢明な、現実的な判断だった。
 だが、そうもいかない。

「祇雄先生、残念だが、今、セキュリティは警戒状態、つまりロックされているので校内から出ることが出来ない」

「そ、そんな……! でも、あるだろう!? どっかから抜けられるとか、普通! 俺、その前にロッカーで着替えなきゃ……」

「移動は可能だろうが、ああいう化け物が出るぞ」

 チロルが肩越しに幼虫の化け物をちらっと見る。
 ちょうど、その身体が灰になって、その灰すら空中に溶けてなくなっていくところだった。

「う……。それはちょっとおっかないなぁ……。つ、ついてきてくれれば……」

 へっぴり腰で両手を合わせる祇雄だが、チロルの眉は卑屈につりあがっただけだった。
 彼のような何の防御手段も持たない人間が今の学園をうろつくのは自殺行為だ。
 今は庵慈から頼まれた結界の調査を優先させて学園内の化け物を出来るだけ早く排除したい。
 だが、ほっておけない自分も承知の上。

「…………ならば」

 そうチロルが口を開いた瞬間、祇雄の表情は輝いた。

「ならば、保健室まで行くといい。庵慈先生なら何とかしてくれるはず」

 二階の中央の職員室から保健室までそう遠くは無い。
 走れば数秒で保健室には転がり込める。

「あのう、やはりついてきてくれませんか?」

 急に態度を下手にして祇雄は上目遣い気味にチロルに頼んだ。
 その数メートルの間に何があるのかわからない、というのはわかるがあまりにもヘタレすぎだ。

「仕方あるまい……」

 ほんの数メートルだ。
 世話焼きなチロルの性分もあってかその返事を返す。
 祇雄がほっと安心の表情を作った時だった。
 ガラスの割れる音と同時にチロルの視界に黒い塊が入る。

「黒金……?」

 非常灯とわずかな星明りで照らされる廊下の奥、黒金とは思えない大きな黒い塊が蠢いていた。
 それはゆっくりと立ち上がって赤い目を光らせる。

「な、こんなところにまでウルフマンが!!」

 すぐに銃を構えたチロルだが、反対方向を向いていた祇雄がやかましく叫んだ。

「だああぁぁぁぁぁぁッ!! こここっこっこここッ」

 病気持ちの鶏のような声を上げて祇雄はあらぬ方向を指す。
 あらぬ、否、そこにもウルフマンが牙を向けていた。

「こ、こっちにも!」

「…………ッわかっている!」

 廊下の真ん中で挟み撃ちにされるとは、狙われているのかもしれない。
 そうなったらウルフマンは簡単には諦めないだろう。
 連中は群れで狩りをする。
 単純に倒して何とかなるものではない。

「祇雄先生、こっちだ!」

 そういってチロルは窓を開いて縁に乗り上げる。
 しかし、ここは二階だ。それに、窓の外は森、ウルフマンにとって絶好の狩猟場だ。

「しかし……!」

「あなたがいては戦闘が出来ない!」

 足手まといだ、と遠回しに告げて彼女は手を差し伸べる。
 両脇からはウルフマンが迫っていた。
 選択肢はない。
 祇雄はチロルの手を取って、チロルはその手を思い切り引き寄せて、反動で窓の外に身を投げ出す。
 
「着地なんて出来ないぞ!?」

「必要ない」

 身体を密着させた状態で地面と水平になりながらチロルはクールに答えた。
 左手で祇雄の腕を掴み右手は銃を構えている。
 天空に銃口を向けた彼女は親指で銃のギアを操作し引き金を引いた。
 すると、二つの銃口のうち下の銃口がワイヤーを吐き出す。
 太さ一センチほどのワイヤーが屋上のフェンスに食いついて軋みながらも二人の身体を支える。
 校舎の壁の側面に宙吊りになったチロルと祇雄は同時に安堵の息をついた。
 だが、安心するにはまだ早い。
 窓を突き破ってウルフマンたちが窓枠に張り付き宙吊りの獲物を狙っている。

「これ、まずいんじゃ……」

 祇雄の言葉が終わらないうちにウルフマンが飛び掛った。
 太い鍵爪を光らせて、牙を剥き出しにして、祇雄の身体を引き裂こうとする。
 しかし、ウルフマンの腕は虚空をかすっただけだった。
 ウルフマンたちの動きよりも早く、チロルとギオの身体が上昇する。
 ワイヤーガンが巻上げを開始したのだ。
 チロルの細い腕が銃を掴み、祇雄を支えている体勢がどこか浮遊感を醸すが、彼女は見た目の何倍もの力を秘めている。
 二階から屋上まで一気に上り、フェンスを越えたところでチロルは祇雄から離れてある一角に向かう。
 屋上の隅にチロルは駆け寄った途端、ふむ、と意味ありげな声を漏らした。
 彼女の目の前のフェンスは左右に引き裂かれていて、目立たないよう応急処置に形さえ整えられていたがそこには穴が開いている。

「ここが、結界のほころびとなったわけだな」

 奇しくも、そこは絹夜が小林との戦いで斬りさいたフェンスである。
 ここを閉じればウルフマンや他の化け物の侵入も防げるということだ。
 後は、祇雄を保健室にしまってウルフマンを狩る、それだけだ。
 庵慈から預かったはがきサイズの護符を取り出して
 パンチ穴にモールを通してフェンスにまきつける。最後に、呪文の書かれたその紙を燃やせば完了だ。
 懐からマッチ棒を取り出してコンクリートで点火させる。炎を紙の隅に当てれば簡単に黒く侵食を始めた。
 これで結界は元通り、後はウルフマンを退治して終了だ。

「祇雄先生、戻……」

 振り向けば、祇雄はうずくまっている。

「祇雄先生、どこかやられたのか!?」

 まさか。
 そんなことは無いはずだ。
 だが、苦渋の表情で彼は声をかみ殺している。
 歯を食いしばって唸るその声は、まさしく狼のものだった。

「祇雄…………先生!?」

 晴天の夜空に満月が輝く。


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