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NOVEL 天使の顎 season1 宇宙戦争編
session 14 *pieta*A
全身が焼けるように熱い。
皮膚が酸素に焼けている。
口の中は錆びた鉄の味でいっぱい、あふれ出る赤いものは生温かい。

「俺の力が不完全だったというのか!」

激昂に似た言葉を放つ卓郎。
自分を責めるその言葉が怯えているようだ。

「思い出すな! 思い出さなくていい!!」

卓郎がアンジェラに呼びかける。
彼女の顔の辺りからびしゃびしゃと赤い液体が垂れ流れた。
鼻から、口から、涙腺から、熱いものが垂れる。

「わ、わたし、は」

 彼女は思い出そうとした。

「お前は<天使の顎>、アンジェラ・バロッチェだ!」

 彼は彼女の想い出に鍵を掛け直そうとした。

「カナ、コ」

 彼女は思い出そうとした。

「違う! その女はもう死んだ!!」

 彼は彼女の想い出に鍵を掛け直そうとした。
 でも、出来なかった。
 明らかだったのは、懺悔の時が近づいていること、試練の時が近づいていること。
 そして、夜明けは白々やってきて、とても肌寒いことだった。
 卓郎はアンジェラを抱えたまま膝をついて天井を仰いで叫ぶ。

「助けてくれ! 俺じゃダメなんだ!! 助けてくれ! ブラック・コッカー! 漆黒の風見鶏!!」

 空気を震わす獅子の咆哮。
 確かに、それは届いたけれどもう手段は無い。
 当然ながら、風見鶏は答えない。
 夜明けも、告げない。

「卓郎……さん」

 トリコが昔と同じように呼びかける。
 突然に現れたその男が本当に自分たちとは違う生き物だとは知りながら、彼の根本が変わっていないことが嬉しい。
 彼は、気が弱く、優しい。それだけわかれば十分だった。

「…………」

 卓郎がアンジェラを抱きかかえたままゆっくり歩み寄る。
 ギオの前に立つと、彼女を半ば押し付けた。

「頼む。医療室に運んだら、お前もそこから出るな」

「……うん」

 何故、トリコでは無いのだろう。
 ギオはそう思いながら任せられたことを断らなかった。
 うっすら目は開いて意識はあろうもののアンジェラはぐったりとしている。
 いつもなら文句の一つも言いそうな彼女が黙ってギオに運ばれるのを見送ると、卓郎が長い溜め息をついた。

「観念したか?」

 カルヴィンのおどけた言葉にもう一度溜め息をつく。
 潮騒のように静かな吐息が響くほどの沈黙。
 その意味に気がついてカルヴィンは動いた。

「リサ、お前は俺とちょっと歩こう」

「え……? 何で?」

 まだ赤い目をこすったツインテールの少女。
 ウサギのような幼い少女に聞かせられるほど事は浅くない。

「せっかく、マグダリアに来たんですからぁ、お散歩もいいですよねぇ〜?」

 場違いなミリィのおっとりとした口調に後押しされて三人はデッキを後にした。
 ミリィはミリィなりに出来る子なのだろう。
 彼らの去ったあと、卓郎が頭を垂れた。
 そして、刀を腰から外し、丁寧に足元に横たえる。
 まず、彼は言った。

「許せなかったら、俺を殺してくれ。ここにいる全員にその権利がある」

 仲間たち、傭兵たちを見回して訴えた。
 両手を力なく下げ、抵抗の意志を見せない。

「だが、話を最後まで聞いてほしい」

 その瞬間だけ、彼は懇願、というよりも脅迫に近い目つきをしていた。
 それはすぐに消えたが、空気はピン、と張り詰める。
 お構い無しに卓郎は口を開いた。

「本当に申し訳ない。この戦争の原因の半分は、俺だ」

「…………」

「過失だった。そして、もう半分は、ラッセルだった」

「…………ラッセル・レヴヴィロワ」

 誰ともなく、呪文を唱える。

「俺たちは、後悔していた。そして、手を組んだ」

「でも、ラッセルは地球軍に……!」

 フラウが問う。

「いいや、そもそもラッセルは完全に地球軍を恨んでいる。解放軍を裏切れ、そう命じたのが俺だ。
 裏切った司令官が地球軍を乗っ取り、<天使の顎>がそれを討つ、新しい英雄の誕生……、以上が俺の……俺たちのシナリオだ」

「…………!?」

「ラッセルはすんなり受け入れたよ。アンジェラ・バロッチェがトドメを刺してくれるなら、と……。
 もちろん俺には無茶難題だった。だが、そうでなければならなかった…………。俺の力、”死への衝動”は第三者の運命を弄繰り回す、そんな下劣な力だ。
 ラッセルが最悪な結末を選び取るたびに俺は他のあらゆる運命に介入してきた。特に、アンジェラ・バロッチェの……。
 俺の生贄となる代償にラッセルが提示したのは、アンジェラの守護だった。
 ラッセルの不幸を糧に俺は”運命機構”を発動しアンジェラの運命を捻じ曲げてきた。
 そして、ラッセルの最悪な結末は”最愛の者に殺される”。ラッセルは懸けた。だから、俺は答えなくてはならない」

「…………」

 淡々と語った卓郎。
 だが、その目には激しい感情が溢れていた。本当は口にするのも苦しいのだろう。

「でも、おかしくないかい? どうして、ラッセルははじめから地球軍にいなかった?」

 ジェラードが頭を抱えていた。
 半分以上が理解できなかったからだ。

「ラッセルは失ったものを取り戻そうと地球軍の司令官にまで上り詰めた。10年もかけて……。
 いや、もしかしたら、そのことを忘れようと躍起になって仕事に励んだ結果かもしれない。あのときのラッセルは尋常じゃなかった。
 地球軍の情報ネットワークを手に入れたラッセルが亡くしたと思っていた恋人がまだ生きていることを知るのは必然だった。
 そして、彼は強行に出た…………。父、ソウジ・マクレーンの研究材料にされバーキー大学で監禁されていた”彼女”を取り戻すために」

「ッ! それは……」

 トリコが叫んだ。
 目をあわせて卓郎が頷く。

「表向きには事故とされたがあれは略奪だった。”彼女”とその”弟”を取り戻すための。しかし、地球軍も甘くない。
 難癖つけて特殊な”彼女”と”弟”をラッセルから奪った。それだけその研究内容が異端だったのだ」

「”フェニックス・フォーチュン”……」

「そうだ。ソウジ・マクレーンの研究結果を信じれば、”弟”はすでに人間からかけ離れた存在になっていた。
 地球軍は”弟”を特別区画に移送した。だが、後に俺たちが知る事実は違っていた。”彼女”こそが、本物だった。
 ラッセルはどうにか”彼女”を取り戻そうとしたよ。そして、見つけたのが俺の仲間だ。
 仲間と俺は”彼女”を取り戻し、地球軍の報復を免れるためにすでに冷戦状態にあったマグダリアに逃げ込んだ……。
 そして、報復を引き金に戦争が起きた。表向きは今まで言われていた資源問題で、実際に、それまでは意見の対立が激しかった。
 しかし、本当の地球軍の目的は、”彼女”を奪取、もしくは排除すること。地球軍が手に入れた”弟”以外にサンプルがいては独占権を握るのに厄介だからな。
 当時、それを知っていたのは俺と、先に逃げ込んでいたラッセル、そして、万条目豊……」

「…………」

 誰もがトリコの顔色を窺った。
 だが、彼女の反応は意外だった。

「続けて」

 どこか誇らしげな表情に真剣な眼差しが光る。

「そうね、その”彼女”とあなたの仲間はどこにいったの?」

「…………。俺たちの能力には限界がある。俺はラッセルにアンカーとなってもらった上で、力を使っているが、
 もし、アンカーの無い状態で力を使うと、それは自分に倍返しになる。あいつは、俺と”彼女”を地球軍から守るために過剰に使いすぎた。
 反動が強すぎてサポートも間に合わなかった、バックアップも消し飛んだ。あいつの存在ロジック丸ごとデリートされた」

「?」

「仲間は消し飛んだ。”彼女”は…………ショックが大きすぎてマグダリアについたときには記憶障害に……。
 だが、それは好都合だったのかもしれない。厄介ごとを作った俺とラッセルは自分の不甲斐無さ絶望して契約を結んだ。
 この戦争は、二人だけで止める。それがこの世界への償いだった。
 そして、俺たちは”彼女”、カナコ・マクレーンの記憶を消した。カナコが、ラッセルを討つために。
 あいつの記憶障害は事故ではない。あの事故を偽装し記憶操作を行った故だ」 

「まさか、それが…………」

 卓郎は言葉にしなかった。
 改めて口にするととてつもなく苦い。
 罪の上に罪を塗り固めているようだった。
 苦い。

「…………アンジェラ……」

 誰も卓郎を責めなかった。
 それが何よりも、彼にとって苦しい。
 仕方がなかったのか?
 そういわれると打開策はあったはずだ。
 だが、贖罪のために、ラッセルは自分を傷つけるように最愛の女を死神に選んだ。
 そして、卓郎はそれを止めなかった。
 ただ、一つだけ誤算だった。
 アンジェラはまた、ラッセルに惹かれた。
 運命なのか、卓郎の力が彼女の記憶に、気持ちに敵わなかったのか、その両方なのかわからないが、それがさらにラッセルを追いやった。
 違う人間だと自分に言い聞かせ、仕事に打ち込み、冷たくあしらう。
 卓郎の警告も聞かなくなってラッセルはアンジェラに近づき始めた。
 卓郎も警告を激しくせざるをえなかった。

「俺はラッセルと直接やり取りをしたことはなかった。話を進めていたのは俺の仲間だったからな。
 俺はラッセルに実態を捕まれないように、しかし、俺からはラッセルの動きがわかるようにしていた。
 先は見えていた、だからこそ俺は怯えて、姿を隠した。優位に立とうとしたがあまり意味のある結果にはならなかった」

 実際、効果はあった。
 ラッセルは”死”の、卓郎の能力を把握していた。
 だからこそ、警告に意味はあった。
 卓郎の警告を守らなければ、その力に任せなければ自分はカナコともども地球軍に討たれてしまう。
 それを理解しないラッセルではなかった。

「これをアンジェラに知られたくなかった。だから、俺は皆に背を向けた。すまなかった…………。だが、それももう意味は無い。
 アンジェラは思い出そうとしている……。ラッセルを討つ、最悪な運命の軌道上で」

「…………」

 それはカナコという女の結末だった。
 それはアンジェラという女の冒頭だった。
 酷すぎる。しかし、何が悪いのか、誰にもわからなかった。

「俺を八つ裂きにしたい奴は遠慮するな」

 そうして救われるものは何かあるのか。
 トリコが前に出た。
 ためらわずに卓郎の刀を拾い上げる。

「…………。案外、重いのね」

「…………」

「…………。案外、弱いのね」

「ああ……」

「それから……。案外、馬鹿なのね」

「…………」

「受け取りなさいよ」

 刀を押し付ける。
 それを卓郎が受け取ると、トリコはうんうん、と頷いた。

「やっぱり根はへなちょこなのね」

「……そうみたいだ」

 ラッセルを操っていたという男はラッセルの願いに操られていた。
 アンジェラをたきたてていた男は彼女を守っていた。
 運命を飼い慣らしていた男は運命に翻弄されていた。
 がんじがらめにされ、がんじがらめにし、さぞ苦しかっただろう。
 語ったからとてその状況は変わらない。
 そして、彼の呪縛は未来永劫に続く連鎖であることを彼自身も知らない。
 それでも、卓郎は渡された刀を強く握り締めた。


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