NOVEL 天使の顎 season1 宇宙戦争編
session 13 *Fairy Tale*A
「希望って、不思議だね。すぐ落っことすのに拾ったって話は聞かないもん」
幻想的な風景だった。
森の奥の川岸に集まるホタル。
黄緑色の光がゆらりと流れている。
キリギリスの声だけが繰り返し過ぎてゆく。
空は星の帯が輝いていた。
「あー、遠くに行きたい。すっごく、すっごく遠くに。パパには見つからないとこまで」
薄桃色のワンピースに身を包みカナコは柔らかに笑う。
その願いは叶わないと知っていながら、そんなことを口走った。
「どこに行こうか」
カナコは芝生に腰を預けながら想像を膨らます。
遺伝子工学の権威であるソウジ・マクレーンの娘、カナコは典型的な籠の鳥だった。
研究の資金を作るために彼女を交流のある政治家に嫁がせようというソウジの考えにことごとく反発してきたカナコはいつも遠くを見ていた。
そして、その晩も父と喧嘩になったらしい。
ソウジは穏やかな人物だった。
だが、カナコの母が遺伝子上の問題を抱える病で亡くなってから彼は人が変わった。
神の作り上げた奇跡、命の設計図、遺伝子を呪うように研究を続けていた。
そして、二人の子供すら見えなくなっていた。
「そうだ、宇宙にしようか」
満天の星を指してカナコは鼻歌を歌う。
”奏子”の名の通りに歌うことが好きな娘だ。気づけば何か口ずさむ。
「宇宙か……」
見上げれば、広がっている場所。
ラッセルは首をふった。
「実際問題、あまり遠くないんじゃないか? 最近はLv3軌道にコロニーも出来たことだし」
「夢が無いなぁ。駆落ちの段取りじゃなくてただの空想なんだからそんなに現実的なこと考えなくていいの」
「悪意を感じる言い方だな」
「照れなくていいよ」
先ほどまで落ち込んでいた彼女だが、数十分もすれば調子を取り戻した。
いつものことだから、と苦笑したが、それはとても悲しいことだとラッセルは思う。
親に捨てられた過去を今更引っ張り出すほど女々しくは無いが親子の絆はそう簡単に切れてしまうものじゃないだろう。
いっそ、切れてしまえば、彼女も楽だったはずだ。
「あのさぁ」
「ん?」
カナコが助けを求めるような目をしていた。
「あ…………」
「なんだ?」
「迷惑じゃなかったら、また、どこかに連れ出してよ」
そんなことをすれば彼女の父がただでは済まさないだろう。
だが、断りたくなかった。
この世間知らずにたくさんの世界を見せてやりたかった。
「…………。ああ。遠くまで、な」
その答えをかみ締めてからカナコは無理矢理笑った顔になる。
「へへへ……」
本当は泣きたいのではないか。
ラッセルは気がつかないフリをした。
「何笑ってんだよ、気持ち悪いな」
「えへへへ……。嬉しいんだもん」
「バカな女だ」
「へへへへ……」
そしてまた、すぐに立ち直る。
未完成な作り笑いに全て埋める。
カナコは、よく笑った。よくその本心を隠した。
わがままで、世間知らずで、明るいコだとばかり思っていた。
しかし、彼女の根本はひたすらに強かだった。
単純で複雑な生き物だった。
* * *
「ああ〜〜〜〜…………」
くだらないとは思いつつ、肩こりはとても現実的な問題だ。
「はああああ〜〜……」
わざわざジェラードに無理を言った甲斐がある。
「ふああああ〜〜〜…………」
さすがに通信販売にも限度がある。
マグダリアにを商売相手にする猛者はジェラードくらいだ。
「極楽、極楽〜〜……」
ジェラード経由で三倍の値段にはなってしまったが、深夜のCMで気になっていたマッサージ機を手に入れ、アンジェラは封を開いた。
「だああああ〜〜〜〜…………」
そのマッサージ機は浴槽の中で背中に当てて使用する、”バスリラックス”という怪しげな商品なのだがこれが通信販売界ではヒット商品として名高いらしい。
その名は伊達ではないらしく、アンジェラはもう三時間も浴槽に浸かっている。
トリコの手術の後は綺麗に縫合されており、もう抜糸も終わって久々の長風呂だ。
「ふええええ〜〜〜……」
おまけについていたラベンダーの入浴剤で効果倍増。
マッサージ機がツボを刺激するたびにアンジェラは怪しげな奇声を上げた。
「もういい、死んでいい」
温くなった紫色の湯に胸まで浸かって目には蒸しタオルをかぶせる。
防水ラジオからは音楽番組が垂れ流し状態だった。
彼女ももうオバサンへの階段を上り始めているのだろう。
「♪ぼくの大好きなクラーリネット、パパからもらったクラーリネット、とっても大事にしてたのに〜」
ちなみにこの歌は通風孔を通って廊下に響いている。
通る人は、壊れているのはお前だ、と思わず突っ込みながらそこを過ぎ去った。
「さーて、そろそろ出ないとね〜」
やっと踏ん切りがついたのかバスルームを後にするアンジェラ。
火照った身体をバスローブにつつみ、冷蔵庫から出したビールをまず一本開ける。
「あ〜、幸せ。これでおつまみでもあったら最高なんだけどなぁ〜」
そういって冷蔵庫を物色するといつのものだかわからない冷凍食品のピラフを発見。
ためらわずに皿に盛り付け奥のキッチンにあるレンジにもっていく。
タイマーを三分半にセットしてあとは待つだけ、と、振り返るとリビングは異様なことになっていた。
「ふぉあおぅッ!?」
部屋の真ん中に置いてある簡易テーブルの周りに大の大人が何人も座っている。
「な、なんだ!? お前らッ!!!」
度肝をいくつも抜かれた顔でアンジェラは絶叫した。
見慣れた顔が並んでいる。見知らぬ眼鏡っこも増殖していた。
とりあえずバスローブの前をかばうが、彼女の方を見るものもなくただ全員がうなだれていた。
何故か知らぬ人間の増えている状況でその場にマディソンとカオ、そして卓郎の姿は無い。
「さて、ここが最後の砦となったわけだが……」
急に作戦会議風な口調で皆に語りかけるカルヴィン。
それを周りは真剣な表情で聞いていた。
「急に人の部屋に上がりこんで何をしようってのよ。ってか、誰よ、眼鏡娘!」
「お邪魔します〜」
「うん、こんなカッコでごめんね。……いやいやいや! もてなす状況じゃないよ!」
「アンジェラ、ちょっと黙ってなさい」
「はぁ?」
トリコが唇に人差し指を当てた。
よくみれば皆、それぞれあざやらすリ傷を作っていた。
「ゾウでも暴れてたの?」
ジェラードまでがボロボロになっている惨状を見るとそうもいいたくなる。
だが、そんなわけは無い。
カルヴィンはやっとアンジェラの方に向き直って簡単に事情を説明した。
「マグダリアがジャックされた」
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