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NOVEL 天使の顎 season1 宇宙戦争編
session 3 *STAND BY ME*B
 さらに2時間前。
 解放軍母船マグダリア。

 手を握るだけの女性だった。
 肩を抱き寄せるだけの女性だった。
 いつも遠い目をしている女性だった。
 優しさ故に死んでいった女性だった。

 ”カナコ……”

 夢の中呼んだ名前は虚しく消えていく。

「…………。俺が連れていってやる……」

 目が合えば必ず笑ってくれる女性だった。

「…………」

 自分の寝言で目覚めてラッセルはすぐに上半身を起こす。情けないことに医務室のベッドだ。
 ついでに女の看病つきだ。アンジェラが部屋の端で毛布に包まっている。

「…………」

 この女はどこまで頭が悪いのだろう。
 純粋にそう思った。
 コンクリートの床に毛布一枚ではさすがに寒いのかアンジェラは随分と小さく丸まっている。

「…………」

 それを見てラッセルはもう二十年以上前のことを思い出した。
 彼の故郷ロシアは常に極寒にさらされていた。乾いて冷たい風が走っていた。
 母親が急に出かけようと言い出し、車でどこか遠いところにいった。少し街を歩いたら、母親はここにいろといってラッセルを置いて消えた。
 戻ってはこなかった。来るはずもなかった。ロシアではよくあることだ。
 捨てられたのだとすぐに理解したが認められずに街を彷徨い、氷の涙が張り付いて肌を裂き、切れた頬から血が吹き出ようと泣き続けた。
 寒かった。今まで思い出そうとすれば咄嗟にしまっていた記憶だ。
 酷く混乱しそうだ。過去はいらない、辛いだけだとまた封印する。
 過去のない女は思いのほか静かに寝息を立てていた。呑気で安らかだ。
 過去がなくても生きていける。
 無駄なものにとらわれずに、何も知らずに。

「そうだろ?」

 アンジェラに呼びかけてみる。
 彼女は微笑みながらむにゃむにゃと寝言を言っていた。
 口が動き続けている。何か食べている夢でも見ているのだろうか。

「過去は足枷になるだけだ。そうだろ、カナコ」

 赤い髪の死んだ女。
 思い出すと懺悔の言葉が無限にあふれてくる。
 ラッセルはそれも胸にしまいこんでベッドから降りた。寝入ったところで体の調子がよくなるわけではない。
 できるだけ音を立てないように部屋を出て、静かにドアを閉める。

「お早いお目覚めじゃないですか。司令官長」

「…………」

 すぐさまトリコにつかまってラッセルは肩をすくめた。
 パソコンに向かってなにやら打ち込んでいるトリコが左手が金色のロケットをもてあそんでいる。
 ラッセルはそれに気がついて自分の胸にロケットがぶらさがっていないことを確認した。
 ない。

「不可抗力よ。だからそれは謝罪します、とりあえず。でも私も聞きたいことがあります」

「何でしょう。あんまり突っ込まれると参りますね」

 トリコはやっと顔をあげた。
 長い話になりそうなのでラッセルは診察席に腰掛ける。

「このロケットの中の写真、一体何ですか?」

 いい質問だ。曖昧で、大雑把だが誤魔化すことも難しい。
 ラッセルはわざとらしく腕を組む。

「十年も前の写真ですよ。これでも大学を出ていましてね」

「誤魔化されても時間の無駄ですよ」

「誤魔化したい気分なのです」

「…………はい?」

 あまりに正直な反応を取られてトリコは拍子抜けした。
 気分じゃねぇだろ、と内心突っ込みつつ彼の言葉の続きを待つ。

「強請るなら勝手にどうぞ。色々やってみたらどうですか? どうにもならないでしょうけど」

「そういった意味では…………」

「まぁまぁ、あなたの主張はわかりますよ。しかし、他言できない事情というものがあります。安全を確保する上でね」

「…………」

 折れるしかない言い方をされてトリコは返答を探した。

「アンジェラは記憶がなくて苦しんでいる。それでも…………」

 言いかけてから気がついた。
 ラッセルはアンジェラのことなんて気にかけていない。
 彼女がどうあろうと、道具として手の届くところにあればいいのだ。
 そういう無神経な人間なのだ。

「それでもかまいません」

 予想道理の返答だがはっきり言われると腹が立つ。
 人の好意をここまで簡単に利用するこの男がどうにも嫌いだった。
 だが、彼は気になることも言った。
 安全を確保する上? 口外すると危険な目に遭うとでも言うのだろか。

「アンジェラについては、危険を伴う事情というものがあるのですか? あなたはそれを知っている、そう理解していいんですよね?」

「ええ、それ以上は責任もてません。これ以上はあなたの身の安全に関わりますから」

「私の…………?」

 トリコはかしげた。
 アンジェラの過去がそれほどのものだとして、何が危害を加えるというのだろう。
 すでに軍医なんかやっている時点で明日が見えない生活だ。
 それでも危険だと、あの”コールドマスク”のラッセルが言う。
 大きな流れがすぐそこを通っているのは感じるがその手前にラッセルが立ちふさがる。

「万条目、これ以上の詮索はおよしなさい。あなたならいずれたどり着くでしょう。
 しかし、この艦には獣が住んでいます。気をつけなさい。真実を知るタイミングを見誤れば食われますよ」

「獣?」

「現代には不似合いな禍々しい生き物です」

 そういってラッセルは嘲笑していた。
 おそらく、自らを。
 ゆらりと気だるく立ち上がってラッセルは出口に向かっていく。
 ロケットはまだトリコの手の中だ。

「司令官長、忘れ物です」

 立ち上がり、追いかけ、ラッセルの手に収めようとするが、トリコはハタと気づく。

「ええと、司令官長」

「はい、何でしょう」

「インスタントコーヒーがまずいんですよ」

「…………。はい? それは、強請りですか? 強請りでいいんですよね?」

 おかしな発言だった。
 若干寝ぼけたラッセルの頭はウィットに富んだ言葉を生産してくれないようだ。

「そーゆー事はぁ、財務関係の機関責任者に言ったほうがいいんじゃないですかぁ?」

 不意打ちについ間延びした口調になるラッセル。
 考えながら話すと彼は語尾が間延びするらしい。
 非常に頭の悪そうな口調であった。

「言いました。経済的に無理らしいです」

「じゃあぁー、無理なんじゃないですかぁ?」

「そんなことないはずですよぉ」

 トリコにも間延びが感染する。

「問い詰めてみましょう。ついでに帳簿も確認しましょうかねぇ」

 だらだらとしたラッセルの言葉に満足してトリコは金のロケットを返す。

「司令官長、早速勤務でしょうか?」

「休んでいいなら寝ています」

「その前に、寝癖を直したらどうですか?」

「いいんです。時間がたてばそのうちいつも通りになりますから」

「…………」

 あっさりと言われたトリコは返事のしようがない。
 かといってそうなんだ、と感心するわけにもいかない。
 怪訝な表情で睨むとラッセルは何事もなかったように出て行く。
 トリコは一人残されて絶望的に呟いた。

「…………天然か」

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