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NOVEL 天使の顎 season1 宇宙戦争編
session 14 *pieta*B
「…………テロメアが減少していない。ネオテロメラーゼが作用しているようだ。
 私の研究は成功した。私は間違ってはいなかった。
 ”フェニックス・フォーチュン”の誕生だ」

 父がカナコとレイジを見下ろしながら興奮した様子で言った。
 全身が焼けるように熱い。
 皮膚が酸素に焼けている。
 また、別の声がする。

「…………助けて、父さん」

 弟のか細い悲鳴はすぐ隣から聞こえて、激しい絶望を呼んだ。
 とても悲しい。
 とても苦しい。
 とても恐ろしい。
 とても愛しい。
 とても嬉しい。
 とても、死にたい。

「…………君を、守りたい。ラッセル、君を……!」

 そう、言葉が漏れ出した。
 願いはそれだけだった。
 投与されたナノマシンは”ネオテロメラーゼ”といったか、それは、人間の遺伝子の端についているテロメアという酵素を再生させるためのものだった。
 テロメアは命の回数券といわれ、細胞分裂の度に短くなり、限界に達すると細胞分裂が起きなくなる、つまり、死に至る。
 それはヘイフリック限界といわれ、寿命のボーダーラインだった。
 だが、そのテロメアを再生させることが出来たら。
 ガン細胞には、テロメラーゼというテロメアを再生させる物質がある。これが、異常な増殖をするガン細胞の秘密だ。
 そして、その力を制御し、人間に作用するテロメラーゼに酷似したナノマシン、それが”ネオテロメラーゼ”。
 ソウジ・マクレーンは遺伝子を組み替えるナノマシン”ネオテロメラーゼ”を投与し、不老不死、つまり”フェニックス・フォーチュン”を作ろうとした。
 その生贄に、自分の子供を使って。
 もがき苦しむ子供を見て、父は歓喜した。

「不老不死は存在した、学会のバカ共め、私が正しかったのだ!」

 ソウジは息子レイジの傍らに立つ。
 著しく反応を見せる彼のデータはもはや人間とは言えないレベルに達していた。
 一方、カナコはレイジと同じ症状を見せるものの、表立った変化はなかった。

「助けて……父さん、姉さん!!」

 寝台に縛り付けられ苦しんでいる弟は体中の皮膚が焼け爛れている。
 過剰な遺伝子操作で身体が燃えるように熱い。
 少しでもエネルギーを作ろうと肉が磨り減り、二人は日に日にやつれた。

「パパ!! レイジが死んじゃう!!」

 叫んで届いたことは無い。
 それでもカナコは叫び続けた。

「レイジ!!」

 同じように寝台に縛り付けられ、同じように痛みを感じる。
 しかし、カナコは自分のことよりも弟の命がこのまま燃え尽きてしまうのではないかと悲しくなった。

「黙れ、何の効果も示さない失敗作!」

 父は、忘れてしまったのだ。
 あまりに母の死が突然すぎて。
 遺伝子異常を持っていた母の死が。
 遺伝子そのものが憎くて忘れてしまったのだ。

「誰か、この失敗作を隔離しろ。うるさくて敵わない」

「姉さんッ!! 姉さん、一人にしないで!!」

 どす黒いものを吐き出しながらレイジが叫んでいる。
 答えるまもなくカナコは身体に走った電流に意識を奪われた。
 次に目覚めたのが白い部屋だった。

「んん……。う?」

 全てが白い。

「天国……?」

 簡素な場所だな、そう思ったところに部屋いっぱいにノイズが走り回った。
 そして、女性の声。

「起きて、ミズ・カナコ」

「…………?」

 頭を押さえて起き上がれば、ガラス越しに黒髪の女性がにっこり笑っていた。

「あ、あー……」

 よく研究所で見る女性だ。
 ソウジから自分と弟を守ってくれたこともある。その後、彼女はプロジェクトから遠ざけられ、研究は酷くなったが。

「アシュレイよ。これでも一応、ミセスなの」

 そういって左手の薬指に光るリングを見せた。
 ハキハキとした、しかし、物腰柔らかな女性だ。
 その表情が険しくなって彼女はあの後、何をしていたか説明を受けた。
 アシュレイはプロジェクトからおろされても夫と共に独自に研究をしていた。
 いや、元々はソウジではなく、彼女たちが研究をしていたが、壁にぶち当たってソウジに譲ったらしい。
 名誉にも金にも興味の無い夫妻はその研究の全てをソウジに譲った。しかし、その路線はもはや大幅に脱線している。

「私たちが研究を始めたのは、単なる偶然だったの……でも、あなたのお父様に譲ったのはあなたたちのためにならなかった。ごめんなさい」

「いいんです…………」

 何がいいものか。
 アシュレイは怒鳴りそうになったが、それを飲み込む。
 彼女だって辛くて、それでも耐えているのだろう。

「私たちは、独自に開発をしているわ。ううん、”ネオテロメラーゼ”ではなくて、あなたの身体の激化を抑えるためのワクチン」

「そんなものがあるんですか……?」

「これも、偶然……ううん、神様の贈り物ね」

「神様……」

「ははははは、うちの息子」

「息子さん? 激化を抑える、ワクチン?」

「あなたの過剰な細胞分裂を殺すわ。あなたの力が、”生への衝動”だとしたら、息子は”死への衝動”」

「それって…………」

「あなたとは逆よ。もう5年も年老いてないあなた、そして、1年で4歳児程度にまで成長したうちの息子……。
 形状は一般的よ、どこも変わりは無いわ……髪の毛の色以外は」

「…………」

「大丈夫、今は安定しているから。成長は急激だけど、ヘイフリック限界は、人の半分の年月で来るでしょうね。
 だから、会って欲しいの」

「はい」

「ありがとう」

「あの……」

 カナコから話をもし出すのは珍しかった。

「どうして、息子さんはそんな身体なんですか……?」

「…………。ああ、そうか」

 アシュレイは頭に手を当ててペシン、と音を鳴らした。
 父親に実験台にされた彼女なら、自分の子供が同じような状態にあるアシュレイを信じないだろう。

「私とジェイは――ああ、夫ね――、相性悪かったのか、なかなか子供が出来なかったの。やっと出来たと思ったら、流産が二回……。
 ジェイはもういいって言ったけど、私はどうしても欲しかったの……。次は死んでも生むって決めた……。
 やっと、赤ちゃんが形になってきたときにね、私、また流しそうになったの……でも、助けてもらった。
 黒い服の、男の人と女の子だったわ。その女の子が、私のお腹に手を当ててもう片方を男の人とつないだの。
 ”おばさん、この子はちゃんと生まれるけど、すぐ死んじゃうかもしれないよ、それでもいいならこいつの力をくっつけてあげる”、
 そういってたかな。生みたいって答えたら、ピアノを弾くみたいに私のお腹を突っついてそれで、お終い」

「その子が?」

「うん。”今まで、見てきたけど、助けられなくてごめんね。女の子は助けられないけど、でも、今回は男の子だから大丈夫。
 目印をつけるけど、害は無いから”って。その後、女の子の方だけが度々私たちの前に現れてたくさんのことを教えてくれたわ。
 それが”フェニックス・フォーチュン”と”ネオテロメラーゼ”だった……。
 本当は、息子のような子のために研究していた。それが…………」

「…………。アシュレイさんは悪くありません」

「…………」

「悪いのは……」

「その女の子はね、チロルって言うの」

 急に話題を戻すアシュレイ。
 カナコは黙って相槌を打つ。

「でも、チロルって呼ぶと怒るのよ。可愛いのに。……どうして助けてくれたのって聞いたら、”その子からご指名を受けた”って。
 ”「俺を助けて!」とうるさかった、だから見つけた”ってね。それから…………」

 アシュレイの表情が曇る。

「多分、息子の寿命はあのときにチロルが書き換えたんだと思うの。非科学的だけど、私にはそう思える。
 それに、チロルは”女の子は助けられない”って散々言ってたの……。おそらく、チロルの遺伝情報に乗ってるテロメアを利用した、
 ”ネオテロメラーゼ”は…………」

「女性の私には、効果を示さないってことですか……?」

「違うわ……。男性の染色体XYには、あの男の遺伝情報の一部と同じ書き換えをすればいいらしいの。
 でも、女性の染色体XXは用意されていなかった……」

「女性のチロルの染色体は不完全だったんですか……?」

「カナコ、気を確かにね……」

「…………?」

 アシュレイはカナコも目を覗き込んだ。
 これ以上何を絶望しろと言うのか、アシュレイはもったいぶる。
 沈黙にカナコは耐えた。
 アシュレイがやっと口にする。

「チロルの染色体情報はあなたに効果を示した……」

「え? ”女の子は助けられない”んじゃなかったんですか? それが、どうして私に効果を見せるんです? 現に、私は何も……」

「表向きには見えないだけで、本当は完全に取り込んでいるわ。あなたは、無意識に制御までしているの。
 レイジ君はには、情報が収まりきらなくて拒絶反応が出ている。でも、あなたはチロルの情報を飲み込んだ……」

「…………?」

「Xペンタソミー、それがあなたを安全に”フェニックス・フォーチュン”にした防御壁。
 あなたは性染色体異常で生まれてきている」

「…………なんですか、それは……?」

 アシュレイが意を決して前のめった。

「本来、性染色体は女性がXX、男性がXY。でも、あなたは他人と違う。通常がXXに対してあなたはXXXXX。
 Xペンタソミーといわれる障害よ。外見的にはそれぞれだけど、あなたは表には出なかったのね。
 研究をしていたときに気がついたの……そして、チロルはあなたよりXが一つ少ないXXXX……。Xテトラソミー……。
 異常な数のXの上に乗ってる情報は男の子、つまり正常なXYのレイジ君では受けきれなかった」

「…………。でも、そういうのって……」

 カナコの声がわずかに震えた。

「そう、あなたは子供が産めない体。ソウジさんは気がついていたでしょうけど……」

 ソウジにとっては関係の無いことだったのだろう。

「…………」

 カナコは両手を組む。
 神に祈ったのか悔しさから力を込めたのかアシュレイにはわからないが、気持ちは十分過ぎるほどにわかった。
 不老長寿の命、子供の産めない身体。世界の営みから切り離されたその少女は静かに泣いた。
 ギスギスに痩せた体、それ以上に貧しい希望。

「…………。また、明後日、息子を連れてくるわ」

 そういってアシュレイは去っていった。

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