神様とその子供たち
005
「僕は無理なんかしてません。だってイチ様は僕が何を言ったって、個人的な理由でやめさせたり罰を与えたりするような方じゃないでしょう。嫌なら嫌って僕は言えますし、僕の方から離れます」
イチ様は噂通り、優しくて慈悲深い人だった。それでももし僕が彼を父親や兄のように慕っていたとしたら、あんなことをされれば嫌悪感もあっただろう。けれどそうではなかった。つまりそれは、僕はイチ様を家族ではない特別な存在として見ていたということだ。
「ずっと謝らなければと、やめなければと思っていた。だが隣で眠る君を見ると我慢もできず、知られれば嫌われてしまうと思い……」
「嫌いじゃないです。あなたを嫌いになんてなれるわけがない」
イチ様の懺悔にひたすら首を振る。僕の言葉に彼の目には生気が少しずつ戻っていったが、真面目な性格のせいか頑なだった。
「カナタがそう言ってくれるのは嬉しい。だがこうして謝ってもなお、寝所を共にすればまた触れてしまうかもしれない。やはり別々に……」
「イチ様!」
僕の気持ちをまったくわかってくれないので彼の頬に手で触れキスをする。大きな瞳をまんまるにして呆然とするイチ様に向かって叫んだ。
「どうしてわかってくれないんですか…! い、嫌じゃないってことは…つまり、そうしてほしいって事じゃないですか」
「……?」
「今のは僕からしたので、絶対イチ様は悪くないですから」
「……」
「……あの、聞いてます?」
イチ様らしくない間抜けな顔をして微動だにしないので心配になって身体に触れてみる。途端に腕をひかれ、彼の胸にすっぽりおさまってしまった。
「うれしい」
「……!」
イチ様の言葉に僕は真っ赤になってしまう。ここまでくると鈍感な僕でもわかっていた。僕はイチ様が好きだ。男同士でも人間じゃなくても気にならない。恋なんかしたことないけど、間違いなくこれが恋と呼ぶものなのだとわかってしまう。
「カナタ」
名前を呼ばれて顔をあげればキスをされる。先ほど自分からしたことなのに、イチ様からされると頭が沸騰しそうになった。寝ているときにキスされていたのかもしれないが、おぼろげな記憶しかない。だから僕にとってはこれが初めての経験だ。唇が離れるとイチ様の赤く染まった顔が見られて嬉しさのあまり胸がいっぱいになったが、大切なことを思い出し慌てて身体を離した。
「ごめんなさい。やっぱ駄目です、こんなのは…」
「カナタ?」
「だって、イチ様には婚約者がいるのに」
すっかり忘れかけていたが、イチ様にはハレの妹との婚約の話があった。あれ以来姿は見かけていないが、イチ様の彼女に向けた笑顔は忘れられない。しかし当の本人は首をかしげながらきょとんとしていた。
「婚約者?」
「いるじゃないですか。…ほら、ハレの妹さんが」
「……ああ、確かそんな話が来ていたな」
「えっ」
「それはとっくに断っている」
当事者なのに他人事すぎて驚く。そして断ったという言葉にさらに驚いた。
「そうなんですか? とても仲が良さそうに見えたので、イチ様もその気だったのかと」
何より彼女にはどんな男に好かれるという特技があったのだ。イチ様でも駄目かもしれないとセンリが絶望していた。
「私が? ああ、確かに彼女は可愛かったな。孫みたいにしか思わなかったが」
「ま、孫」
確かにイチ様の年齢を考えるとそうかもしれない。しかしそれなら、僕だって孫みたいなものなんじゃないだろうか。そのことを訊ねようとしたが、それを知って自分はどうするのかと思うと何も言えなくなる。
僕とイチ様が恋人になれるとは到底思えない。これまで恋人関係になった人間と人狼はいない。そもそも彼と僕では身分差がありすぎて誰も祝福してくれないだろう。僕が付き合ってほしいなどと言っても彼を困らせるだけなのはわかっている。
「センリが丁重に断ってくれたから、彼女がここに来ることはもうない。だからカナタが気にする必要は……」
僕がイチ様の言葉を遮るように抱き締めると、そっと抱き締め返してくれる。もうこれだけで僕には十分だ。いつか彼の邪魔になったりしないよう、これ以上何も求めないようにしよう。そう決めてからは少し幸せな気持ちがしぼんでしまったが、イチ様の温もりを感じる今だけは幸せだった。
その日の夜は抱き締めあって眠っただけで、少なくとも僕の記憶では何もされなかった。がっかりして少し安堵して、明日はもしかしたらと期待してしまう自分がなんとも悲しかった。
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