[携帯モード] [URL送信]

神様とその子供たち
003


僕にとってあれは失態だったのだが、その日から僕は毎晩イチ様のベッドに連行されるようになった。いつも仕事で遅いはずなのに、僕が眠る時間には戻ってきて自分のベッドで寝ていた僕をいとも簡単に抱き上げ、抱きしめたままベッドに入る。ゼロも一緒に3人団子になって眠っている。一体これはどういう状況なのか。

おそらくイチ様は僕が眠った後再び仕事に戻っているのだろうが、ぐっすり眠ってしまうのでわからない。イチ様に抱きしめられると泣かずに熟睡できる。
きっとそのためにイチ様がしてくれていることだとわかっている。いくらなんでも雇用主にここまでしてもらうわけにはいかない。けれど心地がよいので駄目だと思っていても拒絶できない。イチ様が僕を家族扱いしてくれたことで、絶望の中にいたはずの僕は救われていた。

真崎の時のように、僕はイチ様を父親がわりにしようとしているのだろうか。しかしイチ様は父にしては見た目が若すぎて、そんな風には見られるはずもない。兄とするには年が離れているし、何より見た目が高貴すぎて簡単に家族だと思えるはずもなかった。



数日後、イチ様からコンサートに招待された。僕がそんなところに行ってもいいのかと躊躇ったが、センリからコンサート会場はここの地下で、プライベートなものだから気兼ねせず参加するように言われた。僕だけでなく、従業員全員が誘われているらしい。ここにそんな大それたものがあるのも驚きだが、色んな方法で僕たちを労ってくれるイチ様にはもはや感謝しかない。

地下にあるホールを見た時、まずその広さに驚いた。とても個人の家にあるものだとは思えない。いくつもある席の後ろのすみっこの方で楽しもうと思っていたが、一番前のど真ん中、イチ様の隣という特等席を用意してもらった。理由は彼の膝にいるゼロを大人しくさせる必要があるからなのだが、今のゼロは静かにというだけで大人しくなってくれるので、必要ないといえば必要ない気もする。

「今日ここで歌ってくれる歌手は、宮木未来。人間の女性です」

僕の隣に座ったセンリがこそっと耳打ちしてくる。そして笑顔のまま僕のネクタイを締め直してくれた。

「彼女はイチ様のお気に入りの歌手なんですが、ここにお招きしたのは初めてです。これまでここは人間の立ち入りが禁止でしたから」

つまり僕がここに出入りするようになったからということなのだろうか。宮木未来、当然ながら知らない名前だ。

「宮木さんは有名な方なんですか」

「一群ではかなり。人間には人気がありますね。カナタさんは知らなかったみたいですが」

「失礼ながら……すみません」

「いーんですよ。カナタさんの記憶が曖昧なのは今に始まった事ではないんですから」

そうこうしているうちにどんどん人が集まってくる。ここの従業員なので見知った顔ばかりだ。イチ様の近くには僕とセンリを除けばここの警備員ばかりが座っている。

「座っている警備は今日がオフの人ばかりです。さすがに今ここの警備を任せている彼らには、仕事を中断させるわけにはいかないので。厨房係や清掃員などは皆集まってもらっていますが」

センリがそう説明しているうちに何人も警備員がこの舞台を取り囲み始めた。直立不動の彼らは着席している人狼達とは違い、仕事でここにいるらしい。まるで今から現れる人間が危険人物のような扱いだ。

「歌手とはいえ人間ですので、警戒は当然のことです。イチ様に何かあれば取り返しがつきませんので」

先程から何も言っていないのにセンリがどんどん説明してくれる。読心術はできないと言っていたが、どこまで僕の思考が読めるのだろう。反対にイチ様は殆ど口を開くことなく開演を待っていた。

しばらくして照明が消え、舞台だけが明るく照らされた。そしてそこに美しく着飾った女性が現れた。彼女が人間の歌手、宮木未来だろう。

顔の造形は美人といえる部類なのだろうが、普段美しさでは断トツの人狼にばかり囲まれて美しさのハードルが上がっているせいで、やや地味に見えてしまう。しかし人狼を前にして堂々と舞台に立ち、自信に溢れた笑顔を振り撒く姿は素晴らしかった。

「本日はこの素晴らしき場所にお呼びいただき、まことにありがとうございます。少しでも楽しんでいただければ幸いです」

深々とお辞儀すると、胸に手をあて前を見据える。その後ろにはグランドピアノがあり、演奏者は女性の人狼だった。

ピアノの伴奏が始まるとほぼ同時に彼女の透き通るような歌声がホールに響き渡った。物静かな曲調のはずなのに、その迫力に圧倒されて言葉もなかった。本物の歌手の歌を実際に生で聴くのはこれが初めてだが、今まで聴いたどんな歌よりも心に響くような気がした。もちろん初めて耳にする曲だが、どこか懐かしいような切ないメロディーだ。マイクもないのに、なぜここまでの大音量が出せるのだろう。


一曲目を歌い終わった彼女がお辞儀をすると同時に、僕は溢れんばかりの拍手を送った。拍手をしなければならないという礼儀からではなく、心からの賛辞だった。隣のイチ様も僕と同じくらいの拍手を送っていたので、彼も同じ気持ちなのだろう。

二曲目、三曲目とすべてバラードでピアノの伴奏がよくマッチしている。とてもわかりやすい発音なので歌詞もよく聞き取れた。大きな耳を持つ人狼達は僕よりもよく聴こえるのだろうか。
イチ様の耳は他の人狼とは違い耳がないように見えるほど小さい。つい間奏の合間に隣にいるイチ様の頭を見上げると、こちらの視線に気づいたイチ様と目があった。歌に集中していないと思われるといえないのですぐに視線をそらしたが、彼の優しげな瞳が頭から離れなかった。
人狼とは好戦的な生き物だと科学的に証明されているらしい。しかしイチ様にはその片鱗も見られない。彼が誰かにキレる姿など想像できないし、人を詰ることなどできなさそうにも思える。
人狼だからといって狂暴だなどと思っているわけではない。けれど僕が見たイチ様は今まで会ったどんな人間よりもまっとうで、虫も殺せないほど優しく穏やかな方だった。


[*前へ][次へ#]

あきゅろす。
無料HPエムペ!