last spurt
002
しばらくの沈黙の後、重苦しい空気を破ったのは同じくらい重苦しいトキの声だった。
「玲二」
トキは怒った時や真剣な話をするとき、たまに愛称ではなく名前を呼ぶ。それが相手を黙らせる効果を持つことを知っているからだ。
「ナオだってやめたくてやめる訳じゃない。そういう言い方はどうかと思うけど」
「………」
香澄も言いたいことはたくさんあっただろう。でも奴はトキを睨んだまま口を開くことなくソファーに腰をおろした。香澄はトキの言うことは大人しくきくけれど、やはり本意ではないらしく側にいた俺には香澄が小さく舌打ちする音が聞こえた。
「俺っ、絶対やだ…!」
今まで黙って俺達の話を聞いていたヒチが突然立ち上がり叫んだ。あっけにとられた俺はそのまま強く抱きしめられる。
「ナオちゃんと離れるなんて、ぜったい嫌だ! 俺は許さない、ぜったいぜったい認めないからな!」
「…ヒチ」
納得出来ないのは当然だ。でも俺は涙声になるヒチの肩をなでることしか出来ない。
「……なにも一生会えなくなる訳じゃない。男が泣くなんてみっともないぞ」
「似たようなもんだろ。学校は別々だし、俺とナオちゃんの接点なんて“ここ”だけじゃないか」
「………」
それは、ちゃんと俺にもわかっていた。このチームを抜ければみんなと会うことが難しくなるのは明らかで、逆を言えばそのために抜けると言ってもおかしくない。これから真面目に働こうって奴が族なんかと関わってていいはずがないんだ。
「ナオ」
穏やかで落ち着いた声。これは、ヒチの声だけどヒチじゃない。トキだ。
「ナオの事情はわかるよ。俺もお兄さんとそんなことがあった以上、ナオが今まで通りに暮らしていくのは難しいと思う。でもさ──」
トキにぐっと間隔を詰められ心拍数が跳ね上がる。俺は必死に平静を装った。
「何年も一緒にやってきた仲間なんだ。それなのに俺達に何の相談もなく急にやめるなんて、薄情すぎると思わない?」
「………」
ぜんぶ、トキの言うとおりだ。それもちゃんとわかってる。黙ってたのはわざとだ。優哉にだって昨日初めて伝えた。みんなに相談すれば、決意がにぶりそうだったから。
「…俺はナオがいなくなるのは嫌だ。自分勝手だけど、ナオと会えなくなることがすごく寂しい」
「トキ……」
ほら、やっぱり。俺の決意なんて簡単に揺らいでしまう。こんなんじゃダメだ。自分で決めたことなのに。
「ナオちゃん…やめるなんて言わないで…」
俺を腕でつかまえたままだったヒチが、その力をさらに強くする。ぜったい離さない、と言わんばかりに。
「俺、諦めないから…っ。俺にはナオちゃんが必要なんだよ。やめるってなら、毎日ナオちゃんの学校押し掛けてやる!」
とんでもない事のように聞こえるが、ヒチなら本当にやりかねない。前に俺が生徒指導の柴田に3日間つかまってたとき、人目も気にせず俺の学校に乗り込んできた。前科持ちだ。
「……わかったよ」
俺が折れるしかない。そうでもしなきゃヒチは俺を離してはくれないだろう。
「確かに俺の都合でハイさよならって訳にもいかねえもんな。…明日も来るから、今日と明日で話し合おう」
「ナオちゃん!」
窒息するんじゃないかと不安になるぐらいキツく抱きしめられる。ヒチは元々力が強いくせに手加減というものを知らない。それともこれでも手加減しているのだろうか。
「優哉」
なんとかヒチから逃れた俺は、心配そうに事の成り行きを見守っていた親友を呼ぶ。人差し指でちょいちょいとこっちへ来るように指示した。
「話がある。ちょっと外出よう」
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