リコリス
三説
剣をとるのは国のためだったはずだ。
それなのに時代はいつの間にか倒幕一色。
戦国時代から数百年存続しているとはいえ、江戸徳川幕府も「国=幕府」という構図には当てはまることは無かったのだな、と特に感動も無く思う。
戦時中、幕臣の一人娘と将来を誓った時点で戦争に関わることは受け入れていたが、こうも敵味方が裏返る事態になるとは予想していなかった。
戦争が一度終わったものの、またすぐに次の戦争が幕を開いた。
地球人の敵だったはずの天人が幕府に組み込まれた。
幕府は天人から国を守ろうと戦った攘夷志士たちに天人大量殺害という罪を押しつけ罪人扱い。
幕府に反抗する攘夷「浪士」たち。
言ってしまえば紛争なのだが皆が攘夷戦争と呼ぶこれ。
幕府が紛争ばかりに気を取られている訳にもいかない。
天人とは銀河に散らばる星々からの来訪者たちの総称であるだけで、それぞれに星名国名がありそこから地球に使者がやってくる。
幕府は忙殺されていた。
外からやってくる数百に昇る使者のその対応、内では紛争の収束に追われている訳なのだ。
「ったく、貯め込むなら金だけにしておけよ・・・・・・いや、滞らせられても困るだけだがよ」
城の片隅の一室。
男は山積みになった書類を前に愚痴をこぼしていた。
彼も数年しか幕府に勤務していないはずだが、何分幕臣の数が足りないという理由であちらこちらへ引っ張りまわされている。
彼の名前は谷木紀一郎。
最近婚約していた幕臣の娘と結婚し、本格的に幕臣としての仕事を与えられた男である。
今の彼を表す名前は、新しく設置された「浪士取締役」という役職の指揮責任者。
幕臣の縁者である人間ならその程度の役職を与えても一応前例がない訳ではない。
まあなんにせよ新人にやりたくない仕事を押し付けたのははっきりしている。
文句を言ってもどうにもならない事は分かっているので黙々と仕事をするだけであるのだが、終わりの見えない書類の山は気が重くなる。
「補佐でも手伝いでもなんでもいいから部下をよこせってーの、一応の役職名は指揮責任者なんだよ指揮する相手がいねーよなんでぼっちでやってんの俺」
愚痴を言いながらも書類を捌く手は休めない。
書類といっても単純なものだ。
実はこの部屋のすぐ横には牢へ続く階段がある。
書類の内容は投獄された罪人たちの罪状やお裁きの結果をすべてまとめて書きつける、つまり記録書だ。
将軍が寝起きする部屋からは一番遠い位置にある故にこんな人のいない部屋で仕事をしているのだが、とにかくやる事はたくさんある。
というか今までやる人間がいなかったので、一日一日の仕事量のめやすはそこまで多くは無いはずなのに、今まで貯め込んだだけのツケを払わされていた。
初めてこの部屋の扉を開けた時の衝撃は忘れない。
広いはずの部屋には、文字通り溢れかえる書類やら罪人から押収した刀や服やらが所狭しと乱雑に並べられ、それこそ足の踏み場もなかった。
天人の技術を使い地下に増築された倉庫に押収品を運び入れるのに最初の一週間を費やし、その期間にも増え続ける書類にめまいがした。
一番の問題は釈放された罪人が投獄される際に押収された刀を返してほしいと詰め寄ってくる事だ。
まだ全国に通達は回り切っていないが、少なくとも江戸の町は廃刀令が敷かれている。
それでも押収品はずっと持っていた父親の形見の品だとか家で受け継ぎ続けた名刀だとか、そういう品が多かったために廃棄されずにそのまま残っていたのだ。
刀を含む武器やはものについては細かな取り決めがある。
おおざっぱにいえば、家と仕事を持ち責任能力を提示できる証明があるなどいくつかの条件がそろえば、帯刀・抜刀しないという約束の元所有が一応認められる。
だがそれが罪人となれば話は別だ。
そもそも罪が軽かったとしても攘夷浪士に刀を渡すわけにはいかない。
彼らにとっては歴戦の戦友であろうと武器は武器、法は法なのだ。
だが廃棄してしまえば恨みを買う。
荒くれ者を束ねていたやんちゃな時期を経験している谷木はそういった時のしっぺ返しがどんなに痛いか知っている。
だからそういう時は口約束するのだ。
お前が立派な仕事を持って刀を飾っておく家を手に入れるまで俺がこの刀を預かっておく。
今は浪士と呼ばれても、武士の誇りを捨てるのは忍びない。
期限は今から10年。
預かっておけるのはそれまでだ。
それを過ぎたら鍛冶屋に持って行って打ち直させて俺のものにする。
だからさっさと仕事を見つけて人生を作れ。
そんな事を連ねる。
押収品は大抵が引っ立て役人の私物になることが殆どだが、刀は違う。
私物にしたところでこの時代では使い道は無いし売ろうにもどこも買い取ってはくれまい。
だから牢屋の横の倉庫に押し込められる羽目になる。
湿気の多い土地、ほったらかしにされた刀はひどいものだ。
錆や浸食は当たり前、ものを斬るどころか叩いたらぼっきり真っ二つ、なんてことも珍しくない。
それを預かっておくとなれば維持費が結構必要になってくる。
だから10年という期限を作ったのだ。
「あーあ、今となっちゃ安請け合いだったな・・・・・・まあなるようになるだろ。兄さ・・・兄上が帰ってきたら手伝わせよう」
刀の管理は今の所休日を使って自力でやっている。
ほぼ慈善事業だがそのうち出世して予算をいじくったり引っ張れるぐらいになったら鍛冶屋の一人ぐらい雇って使ってやるつもりだ。
旅に出ている兄が帰ってくる日はいつだったか、と谷木は機械的な作業なら勝手に動くようになった腕をほったらかしながら天井を見上げた。
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