リコリス
二説
谷木(ヤギ)と呼ばれている男がいる。
戦争から十数年、浪士取締役を務め続けた幕臣だ。
浪士取締役。
これは天人の侵略戦争が終わったものの、その後激化した幕府と攘夷浪士との攘夷戦争に明け暮れる中に幕府によって設けられた役職である。
設置当時の主な役目は、粛清を免れた攘夷浪士の保護と名簿付けなどであった。
その当時、天人戦争で舞台を与えられずにいたため不満の溜まっていた柳生一族は紛争で攘夷浪士を狩る事で名を上げようとしていた。
彼らの中でも過激派に分類される者の多くは、捕縛した攘夷浪士はすべて首をはねてしまうべきだと主張する者がほとんどであったという。
攘夷浪士は東西関係なく集まった武士や農民ばかりで構成された集団である。
つまり彼らの家族は国のいたるところに散っており、さすがに捕縛されたものすべてとなっては民の不信を煽る。
幕臣たちがそう危惧し、柳生過激派の意見に賛同していた当時の将軍を止めるために幕臣たちが作ったのである。
そうして設置された浪士取締役。
浪士の選別を行うため、柳生一族との対立どころか攘夷浪士との対立も引き受ける事になるような、内容は軽くとも恨みを買い危険の多い立場に立たされるような役だ。
発足されたは良いものの誰も付きたがらず、最終的には当時まだ幕臣になって日の浅かった谷木がほとんど強制的にそこに就かされた訳である。
就任後の生活は過酷を極めた。
捕えられた攘夷浪士から名前を聞き出す作業から始まるが、安易に拷問を用いては後に遺恨を残す。
やりたがらないくせに命令内容だけはしっかり出してくる上司に悪態を吐くこともなく、黙々と浪士を会話を重ね、身元を確認して家族に連絡を取り、首切り役人たちと話をつけ、どうにか一人でも多く家に帰してやろうと尽力した。
始めは戦争途中で逃げた者を捕えてはそんな時間ばかりがかかる仕事を続けていた。
取り締まりが激化したのは、戦争が終盤になるにつれ、だんだんと身元のわからない浪士が増えてからだ。
数十年続いた戦争は、村々を潰し人々から帰る場所を奪っていった。
特に親を失った子供が生き延びる道は盗みやスリを繰り返して食い繋ぎ、戦場から離れる手段も持たないため戦争から逃げる方法も知らずに大人になる。
そんな行く当てもない浪士たちを待っているのは日々を牢屋の中で過ごすだけの時間だ。
谷木の頭を悩ませたのはそういった浪士たちの行く先だった。
彼らの家族が一人でも生きていればどうにかなったが、そもそも天涯孤独で食べる当てもないがゆえに攘夷志士になった者達である。
生まれた時から戦場以外の居場所を持たず作る方法も知らない彼らは、金の計算もできなかったり文字もかけない事も多かったのだ。
戦場以外で生きるすべを知らない。
天人軍に親兄弟を奪われ復讐に燃える者もいたので、このまま野に放すわけにはいかない。
そこで谷木が立てた対策が「浪士組」という組織の建設だった。
攘夷戦争で身寄りを失った人間は多い。
腕に覚えのある男は戦場に出たが、女子供や老人、村を焼かれて自分も傷を負っただとかの理由で戦えずに各地を放浪している者達を含めると、それこそ恐ろしい数になる。
谷木は天人軍の侵攻を経験していたため、そういった者達を救済する措置は無いのかと考えていたのだ。
当初考案していた「浪士組」は、身寄りのない子供や老人を保護し、仕事を覚えさせたり引き取り先を探したりする間の施設作りに浪士を使うというものだった。
実費で大工や土地を借り、出所した浪士たちにものをつくる技術を覚えさせて世に送り出す。
作った建物は安い借宿にして家や身寄りのない者達の共同住宅として設置し、そこで助け合って生活させる。
入った金は戦時中にはぐれた親や子供、子供たちの引き取り先を探すための出費にあてる。
他にも怪我や病気で動けない者たちの代わりに、浪士に金をやって足で探させる。
江戸近隣の村で行われていた、疎開先からの帰郷を助けるための活動を真似た組織である。
力には自信のある者ばかりだ。
国の宝は人。使える者は使わなければ宝の持ち腐れ。
もちろん浪士の選別は自分が行い、責任を持つ。
一度は国のために刀を持った者達だ。
もう一度機会を与えてやってほしい。
もちろん自分たちを裏切った幕府のために働きたくはないと強情な者もいる。
そういった者たちは自分が一人一人時間をかけて説得し、幕府のためにではなくともこの国のために闘ってくれと頼み込む。
たとえ裏切った自分たちが厚かましくとも、だからこそ歩み寄って助けて行こうという意思を見せなければ、攘夷浪士との亀裂は後の世まで残る。
ここで何か彼らに報いなければ幕府は永遠に恩知らずの烙印を掲げなければならない。
そんな事を書き連ねた嘆願書を、谷木は将軍が代替わりした機会を狙って直接提出したのだ。
谷木は頭の回る強かな男だった。
自分の案件が、先代将軍徳川定々の治制では実現される可能性は無いと悟っていたのである。
そして将軍の代替わりの時を待ち続け、新しく将軍に就任したのが徳川茂々だ。
お飾りの将軍と呼ばれ、実権は天人軍にほとんど吸収されているとはいえ、それでも民に対する政策を決めるぐらいの発言力は持っていた。
嬉しい事に傀儡扱いを受けるには不相応な人徳者であると老中からの言葉もあったことで、とうとう実行に移したのだ。
それですべてが軌道に乗った。
すでに土台は作ってあった。
自分の懐や寄付で細々と繋いでいた「浪士組」の基盤は将軍公認という看板を与えられ、一気に活力を持つことになる。
「浪士組」では響きが悪いと「真情組」に名を改めた彼らは、非公式ではあるが谷木の直属組織として江戸の町に貢献している。
浪士取締役、谷木紀一郎。
幕臣の娘に婿入りした農民の男が成功した、数少ない例である。
婿入りする前の彼の名を、竹河紀一郎という。
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募集させてもらっていました夢主の弟の名前決定!
谷木紀一郎。
荒くれ者でしたが一家の主になって落ち着きました。
息子が2人、娘が1人。
嫁夫婦と一緒に江戸城付近に住んでます。
夢主(長男)が突然死んだもんだから実家は俺が守らなければ!と思いつめて、丁度戦争が激化した時、浪士取締役なんて誰もやりたがらない物騒な役職に就いて結果的には成功しちゃった人。
例によって髪の色は金髪です。
だけど幕臣が金髪はまずいかーと黒染めにしてる設定。
娘が生まれた当時は戦争終盤でドタバタしてたので家族を村に預けていました。
その影響で子供たちも微妙に髪の色が茶色い。
娘が一番可愛い時期。良いお父さんやってる。
ほかにも昭次(あきつぐ)・善輝(よしてる)・茂吉(もきち)弥七(やしち)・愛之助・吉助(きすけ)などたくさんの案を出していただきました。しあわせです
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