BELL THE CAT@
※兄弟モノ続編です!苦手な方は避けることをおススメします。
「じゃあ行ってくるね。ちゃんと冷蔵庫に入れといたご飯食べてよ?生ゴミはちゃんと毎日処理機で乾燥させること!それに寝るときは絶対に戸締り確認を3回はしてね。あと朝家を出るときは、」
「うるさい」
ある朝の風景。
部活カバンを肩からかけてジャージに身を包み、同じことを何度も何度も昨夜から説明しつづける弟。
そしてそれを遮り、うんざりと溜息をつく兄がいた。
「いいから行け。さっきからバスのクラクション迷惑」
「え、あ、うん」
ビー、とまた長く扉の向こうでクラクションが鳴らされた。
たしかにあと1回でも慣らされれば立派な近所迷惑だ。
「毎日電話する。ケータイ手元に置いといてよ。夜お腹が空いてもひとりでコンビニ行っちゃダメだからね。それと、」
「わかったから」
シッシッと犬を動物を追い払うように兄、零は白い手をひらひらと振った。
それを見た弟、希一がシュンと肩を落とす。
その仕草に傷ついたからではない。寂しいからだ。
4日間この兄と離れ離れになるのが。
ビー!!
感傷に浸る間もなく、またけたたましいクラクションが家の中まで響く。
「あーもう!じゃ、行ってくるね兄貴!」
鬱陶しげにそっぽを向いている愛しい人を最後にしっかりと目に焼きつけ、希一は玄関から飛び出した。
家の前には一台のマイクロバスが横付けされて、その窓からずらっとチームメイト、そして監督が顔を出している。
「こら伊澤ぁ!!お前何分待たせる気だ!もう少しで置いてくところだったぞ!?」
チーム全員、いや学校中の生徒からも鬼として恐れられる監督兼顧問が顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
希一は慌ててバスに乗り込む、と当時にバスが鈍い音をたてて出発した。
「はよっす希一。最愛のオニイサマとの別れは済んだかー?」
最後まで空いていた監督の後ろの席に座ると、窓際に座っていた友人が話しかけてくる。
「うぃっす。まだ全然足んない。あー兄貴大丈夫かなぁ・・・」
友人の一言で兄の顔が鮮明に思い出され希一は深い溜息をついた。
「あー、まぁあれだけ箱入りな兄貴なら心配だよなー。なんせ4日間電話もできないんだからな」
「・・・・・え?なんで?」
友人の爆弾発言に目を見張ると、それまで前を向いていた監督がくるりと希一に方に振り返った。
「そうだ伊澤、お前もケータイ寄こせ。合宿が終わるまで俺がしっかり責任もって預かってやるからな」
「は!?」
希一は驚いて心臓が口から飛び出る思いだった。そんなこと初耳だとばかりにケータイの入っているカバンを抱え込む。
「イヤっすよそんなの!絶対ムリ!」
ケータイがなければ兄と連絡をとる手段がなくなる。
そしたら兄は4日間本当にひとりになってしまう。それはイコール兄の生命に関わるかもしれないのだ。
「絶対ダメ!それだけはダメ!」
子供のようにブンブンと首を振る希一に、監督は呆れたような声を出した。
「お前なぁ・・・ちゃんと配ったプリントに書いてあっただろうが。ケータイは合宿が終わるまで俺が預かる。家族への連絡は一切禁止。練習試合に集中!ってな」
「そんなの見てな、あッ・・・!」
ひょい、と力強い腕にカバンを取り上げられ、希一は慌てて腰を浮かせた。
その途端ガクンとバスが急停車し、思わず前につんのめる。
それを見た友人が慌てて希一の手を掴んだ。
「おっと。大丈夫か希一」
「え、うん。サンキュ・・・って、あーッ!!」
態勢を立て直しているうちに監督がカバンの中を漁り、希一のケータイを引っ張り出した。
そして素早く自分の胸ポケットにしまってしまう。
「ほらカバン。ケータイ確かに預かったからな。ちゃんと真面目に練習しろよ!」
「うう・・・ひどい・・・横暴だ・・・」
ションボリと大きな身体を丸めてシートに座った希一を、合宿所に到着するまで友人が必死に慰めていた。
それから4日間、希一は不安で心臓が潰れて死んでしまうのではないかと思った。
連れて行かれたのは県を2つ越した山奥の合宿所。
かろうじて電気と水道は通っているが、普段は誰も使わないこの廃墟のような建物の近くには公衆電話さえなかった。
希一たちのサッカー部は合宿中に近くの高校との練習試合を組んでいたが、その試合にも集中できるはずなどなく。
「希一のヤツ・・・また誰もいないところにパス回しやがった・・・!」
ベンチで補欠全員と監督が頭を抱えて項垂れるほどの調子の悪さを発揮した。
しかしいくら敵のチームに薄ら笑いを浮かべられても、いくら監督に説教を食らっても、希一の頭の中にあるのは零のことだけだった。
終いには合宿所を夜中に抜け出し、バスで2時間かかって登ってきた山道を徒歩で帰ろうとしたところを同室の友人に必死に止められたほどだ。
「落ち着けって。なんかあったら監督も教えてくれるだろうからさ」
ポンポンとなだめるように肩を叩かれ、その場はなんとかおさまった。
そして、希一にとって40年ほどの時間が経ったように感じられた4日間の合宿もやっと終わりを迎えた。
希一を含むサッカー部を乗せたバスは合宿所から学校に戻り、そこからは各自で家に帰ることになっていた。
学校に着いたころにはもう夜の7時だ。
そこでやっと監督からケータイを受け取った希一は、反省会が終わると誰よりも早く学校を出る。
その途中、何度も零のケータイに電話をかけてみるが呼び出し音が鳴るだけ。
まさか、本当になにかあったんじゃないか。
合宿の間、溜まりに溜まった不安が希一の背筋を凍らせ、電車に揺られている間も祈るようにケータイを握りしめていた。
合宿中に行われたダッシュ練習の2倍のスピードで家まで走る。
家の前に着いたとき、希一はリビングの灯りが点いていることに安堵したが、もしかしたら昨夜からつけっぱなしかもしれないと嫌なことばかり頭に思い浮かんだ。
郵便受けに溢れる3日分の新聞。
普段は家に希一たちしかいないが、兄が新聞を読むために購読は続けている。
希一がいない間も兄は新聞を読むはず。なのに、新聞がまだ郵便受けにある。
なぜ。一体なにが起こってる。
ドアノブに手をかけるとあっさり回った。
途端にヒヤリと背筋に冷たいモノが走る。
「零ッ!」
シューズを蹴るように脱いで希一は家の中に入った。
リビングには電気も点いておらず、廊下は真っ暗だ。
「零・・・どこにいるッ!?」
電気を点け、希一が目にしたものは。
「・・・・・・・・・な、んだコレ」
脱ぎ散らかされた服。テーブルの上に乗ったままの皿。そしてぐちゃぐちゃのキッチン。
普段はきちんと整理整頓されているリビングが、まるで泥棒にでも荒らされたような見るも無惨な姿に変わり果てていた。
そして部屋の中央にある無駄にでかいソファの上に。
「・・・・・・・・零」
洗濯物を胸に握りしめ、小さく丸まって眠る兄の姿があった。
その胸がゆっくりと上下していることを確認して、希一は安堵の溜息をつく。
ここにこうして兄がいるということは、この部屋の惨劇は兄によって引き起こされたに違いない。
希一はそっと兄に近寄り、横に膝をついた。
よく見れば、雪のように白いまぶたがかすかに腫れていた。
足元には畳もうとしたのかそれとも丸めようとしたのか、とにかくしわしわの洗濯物の山。
そしてソファの後ろには何故か掃除機が倒れていた。
「もしかして・・・掃除しようとしてたの?」
そんなことしなくても4日間分の片づけくらい俺がしたのに、と苦笑する。
いつまでもソファの上に放っておくと風邪をひきそうなので、仕方なく細い身体を揺すってみた。
その手に触れた感触で、零が少し痩せたことがわかる。
「兄貴。あにきー。帰ってきたよ」
よほど疲れていたのかなかなか目を覚まさない兄を辛抱強く起すと、やっと腫れたまぶたが開いた。
「・・・き、いち」
ぼーっとしたまま零は希一の顔を見つめる。
「うん。ずっと連絡できなくてごめんね。監督がケータイ取り上げちゃってて・・・その、いろいろ連絡しようとして努力はしたんだけど、無理で」
しどろもどろになりながら言い訳する弟。
しかしそんな弟の言葉は、兄にまったく届いていなかった。
「希一」
「え、ちょ、兄貴ッ?」
ぐしゃり、と零の綺麗な顔が歪む。
兄を覗き込んでいた希一の頬が白い手に包まれ、希一は言いようのない焦燥感に駆られた。
自分を見つめる幼い子供のような目。
それは希一が一度も見たことのない表情で、見とれていたら思わず反応が遅れた。
あくまで自然に近づいてきた唇。
柔らかそうな、それでいて乾いているような夢にまで見たソレが自分の唇に触れる瞬間。
「ッ、あ、にき!」
希一はぐ、とその小さな頭を掴み、引き剥がした。
途端、ハッと零が目を見張る。そして目の前の希一を確認し、手を離した。
その目は明らかに動揺していて、左右に泳いでいる。まるで自分自身がなにをしていたのかわからないように。
しかししばらくするとその表情も落ち着きを取り戻し、零の瞳にいつもの冷静さが戻ってきた。
希一はホッとして掴んでいた兄の頭をそっと離す。
「兄貴、夕飯まだでしょ?俺すぐに作るから風呂でも入ってきなよ」
優しく諭すように言うと、零は少し迷った顔をして、それから無言で頷いた。
長い間ソファで眠っていたのだろうか、立ち上がって廊下へ歩いていくその足取りは心なしかフラフラしている。
その兄の細い背中を見送った後、希一はまだ零の温もりが残るソファに顔を埋めた。
「・・・なんだよ、アレ」
心臓がバクバクと痛いくらいに暴れていた。
いつもは毅然とした態度で自分に接する兄。そしてたまの行為中には素直に甘えてくる兄。
そのどちらでもない兄に弟は戸惑いを隠せなかった。
まるで捨てられた子供のような、何か縋るものを必死に探し求めているような目だった。
そして兄のおかしな状態はその後も続いていた。
深夜、希一がぐちゃぐちゃになったリビングを掃除している間、いつもは自室に籠りきりの零が傍に座っていた。
正直掃除の邪魔にはなる。しかし、希一はこの状況を素直に喜んでいた。
相変わらず話しかけてはこないが、その目はチラチラと希一を追いかけ、そして目をやれば顔を背ける。
話しかければぶっきらぼうではあるが返事もしてくれる。
兄が退屈しないようにと温かい飲み物を出したり気にかけているうちに、やがてその場に眠ってしまったようだった。
「こんなところで寝たら風邪ひくよ」
カーペットの上に寝転がった零の肩を揺さぶり、希一はふと思う。
・・・寂しかったのかもしれない。
普段あれだけ弟に構われ、それに慣れているのに突然構われなくなったら。
いつもは人がいるこの家に自分一人きりになったら。
・・・・可愛い。
無意識に希一の唇に笑みが浮かぶ。
自分の長年の想いは無駄ではなかったのかもしれない。
少なくともこの人は自分を必要としていてくれるのだから。
「兄貴、部屋まで運ぶから俺の肩に掴まって」
「・・・ん」
かすかに返事をした零の腕が希一の首に回される。
その細い腰を抱き甘い香りを楽しみながら、希一は幸せを噛みしめていた。
次の日、珍しく家で課題でもしようかと思いついた希一は化学のノートを広げ、そして教科書を学校に置いたままだということに気がついた。
「まったく・・・たまに真面目なことしようとしたらコレだもんなぁ」
ふっと溜息をつき、席を立つ。
希一のクラスの化学を担当している朝越という教師は確か去年兄の化学も担当していたはずだ。
モノ持ちのいい兄のこと、もしかして教科書を持っているかもしれないと希一は部屋を出て兄の部屋へ向かう。
思わず兄に会う口実ができた希一はうきうきと心を弾ませながら扉をノックした。
「兄貴ー。ちょっといい?」
控え目なノックに対する返事はない、そう思っていたら。
「入れ」
・・・びっくりした。
あまりにびっくりして一瞬固まってしまったが、ハッと我に返ってドアノブを回す。
「え、と兄貴。ちょっと聞きたいことがあって」
「どうした?」
「・・・」
くるりとイスを回転させてこちらを向いた零。その反応に希一はまた固まった。
いったい、なにが起きたんだろう。
いままでは話しかけても絶対に振り向いてくれなかったのに。
「希一?」
兄の自分に対する態度の変化に戸惑いつつ、怪しまれないように希一は必死になって平静を保とうとした。
「あのさぁ、兄貴もしかして去年の化学の教科書持ってない?」
「化学?持ってるけど」
零の細い眉が跳ね上がる。その目は『自分の教科書はどうした』と無言で語っていた。
その目にギクリとした希一は慌てて首を振る。
「いやいや、なくしたとかじゃなくてさ!今日はたまたま学校に忘れちゃって、」
「お前はいつも学校に教科書置いてきてるだろ」
咎めるような口調にまたシュンと肩を落とす。
「・・・ハイ。すみません」
そんな情けない弟の姿に深い溜息をつきながら、零は席を立った。
「あ、いいよ兄貴。言ってくれたら自分でとるから!」
昔の教科書をしまってある押入れに向かおうとする兄に声をかけるが、零は黙って押入れを開ける。
それすら希一にとっては驚くべき行動だった。今まで零が自分から希一になにかをしてくれたことなど皆無だったのだから。
「ほら。もう使わないから返さなくてもいい」
「・・・・ありがと」
投げるように渡されたソレを受け止め、希一は心の底から感動を覚えていた。
部屋を出るとき。
「じゃあ、おやすみ。あんまり夜更かししないようにね」
と一言残していくと。
「ああ。お前も」
という言葉が返ってきたときにはもう天にも昇る気持ちだった。
その日はニヤニヤしながら上機嫌で課題を済ませて眠った。
机の両脇に雑然と積み上げられたノートの中で、兄にもらった教科書だけはきちんと本棚に並べられていた。
それから少しずつ、零の希一に対する態度は変わっていった。
例えばそれは些細なこと。
朝、部屋まで起こしに行けばすでに零が起きていたり。
夕飯の支度をすれば出来上がる前に降りてきて皿を並べたり。
最初はそれでよかった。
兄との会話も増えて、共同のスペースで一緒にいられる時間も増えて。
それは楽しくて、まるであの日・・・希一が零を最初に抱く前に戻ったような、仲の良い兄弟の図だった。
しかしそんな兄の態度も、日を追うごとに希一には疑問となっていった。
なにかが、以前とは違ってきている。
確かにコミュニケーションも増えた。希一の言葉にかすかにだが、笑ってくれるようにもなった。
毎日が新しい喜びに彩られる。
・・・それなのに希一の心は夜を待つ薄闇のように、日を追うごとに急速に虚しくなっていった。
このとき、合宿から帰って1ヶ月が経とうとしていた。
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