健多くんシリーズ。(短編)
離れられない。
学校が終わったあと、僕たちは男の家に向かった。
車の中で僕は鳴人にいろいろな話を聞いた。
事の始まりは2ヶ月前。フリーのカメラマンとして雑誌に情報を売っていた男、木村が、鳴人が本を出している出版社とある記事に関しての専属契約を交わした。
でもその後、出版社が木村に対して契約の破棄を言い渡したのだという。
木村は怒った。未発表の情報を他社に渡さないという出版社側と交わしていた契約を盾に、多額の賠償金を要求した。
しかし出版社側はその要求をのまず、木村が提示した賠償額の半分で済まそうとした。
その木村がこの出版社の弱みを握ろうとしていたとき、偶然出会ってしまったのが僕たちだった。
木村は鳴人の顔を見たことがあって、鳴人がこの出版社から近々本を出すという情報を掴んだ。
でもそれくらいで出版社が賠償金の額を上げるとは思わず、直接鳴人を揺すったのだ。
まさか自分たちの知らないところでそんなことが起こってるとは知らずに、僕たちはその騒動に巻き込まれたのだ。
鳴人は僕と離れている間、木村のことについて調べていた。
そしてこの情報を知ると、出版社の社長に直接掛け合った。
この出版社の社長は実は、鳴人の幼馴染、夏帆さんのお父さんだった。
「驚いたよ。アンタたちのほうから連絡してくるなんて」
部屋の中に木村の下卑た笑い声が響く。気味の悪さに胸が焼けた。
木村には今日僕たちが話をしにいくことを鳴人が知らせていたらしく、すぐ部屋の中に通された。
自宅では作業はしないのか、目につく場所にはカメラが数台とファイルが立てかけてあるだけで、あとは最低限の家具しかない殺風景な部屋だ。
木村はイスに座り僕たちには座布団をすすめたが、僕と鳴人は断って立ったままだった。
こんな部屋に長居するつもりもなかった。
「で?今日はお金を持ってきてくれたのかな。それともそこの彼を撮ってもいいって許可をくれるために?」
ニヤニヤと笑いながらの言葉に、隣の鳴人があからさまに渋面を作る。
「どっちかといえば金だ。お前の最初の目的の」
そう言ってA4サイズの封筒を木村の前に放り出す。
バサリと重たそうな音がして、封筒が足元に滑っていった。
「これは?」
鳴人の態度にも気にした様子はなく、封筒を拾う。
丁寧にハサミで封を切ると、中の書類を取り出した。一枚一枚じっくりと時間をかけて丁寧に目を通していく。
最後の一枚になると、その薄い唇が笑みに歪んだ。
「・・・へぇ。キミ、そんなに発言力があったの。それは誤算だったなぁ」
「だろうな」
事も無げに応える鳴人。
その答えに満足そうな笑い声が返ってくる。
「でもねぇ。これは俺に有利じゃない?俺は予定してた金額をもらえて、しかもキミたちのことをいつでもバラせるんだから」
鳴人が用意した木村との取引の材料は、最初に木村が提示した賠償金の額を、出版社がそっくりそのまま払うという誓約書だった。
これで今回の僕たちのことは無かったことにしようと持ちかけるために。
でもこの書類には僕たちのことは書かれていない。
鳴人は僕の知らないところで、この約束のためにたくさんの代償を払ったんだと思う。
これはあくまで書面の裏に隠された、いわば暗黙の了解を期待しての取引だった。
「俺がこの先キミたちのことをつかって会社から金をむしり取る、なんてことも考えられない?」
「わかってる」
鳴人があまりにあっさりと答えたからか、さすがの木村も眉を跳ね上げた。
「わかってるならどうして」
「・・・今度俺たちにちょっかいを出すようなら、次こそ法的手段をとる。お前を牢にぶち込んでやるよ」
「被害届を出すってこと?そんなことしたらわかってるだろ。周りの人にはキミたちの関係がバレて、結局キミたちだって困ることになる」
これが、昨日鳴人が言っていた意味。
もし法的手段に訴えると、親しい人にすべてを知られる。その覚悟。
自分たちの気持ちを守るための、大きすぎる代償。
でも、僕はもう決心した。
いや、とっくに決心できていたのかもしれない。
鳴人に『責任をとれ』と言って、心を渡したときから。
「バレてもいい。俺たちの覚悟はできてるし、あとはお前次第だ。今まで築き上げてきた地位と名声を全部捨てて世間からただの変態と呼ばれる覚悟ができてるなら、いくらでも俺たちを脅せばいい」
今度は鳴人が笑う番だった。
木村の眉間に皺が寄る。一瞬忌々しげに口元が動いたが、それもすぐに歪んだ微笑みへと変わった。
「・・・あっそう。案外あっさり覚悟ができたもんだ。これも誤算だったか・・・まぁいい。今回は約束するよ。キミたちにはもう手を出さない。俺はこの金でせいぜい楽させてもらうさ」
バサバサと書類を振りながら、立ち上がる。
「惜しかったなぁ・・・」
す、と猛禽類のような瞳が細められた。
その視線の冷たさに、僕は不本意ながら小さく身震いした。
「全部終わった?」
「ああ。アイツもそこまで馬鹿じゃないだろ。もう大丈夫だ」
僕の家の前の空き地。そこに車を停めた鳴人が僕の問いかけに優しく答える。
そんな顔を見て、やっと僕の肩から力が抜けた。
それはきっと鳴人も同じだったんだろう。
深くシートに腰かけたまま、天井を仰いでいた。
「鳴人も緊張するんだね」
いつもはなにが起こってもちょっとやそっとじゃ取り乱さない鳴人が、こんなに緊張するところを見るのはあまりない。
鳴人がいつも余裕がなくなるのは・・・自惚れかもしれないけど、僕のことだけだったから。
でも鳴人は、シートに預けたままの上半身をおもむろに起こし、僕を見てかすかに笑った。
「俺が緊張してるのはアイツのせいじゃない」
「どういう意味?」
全部終わったはずなのに鳴人がこんなにナーバスになってる理由?
いったいなんなんだろうと考えを巡らせて、フッとひとつだけ答えが浮かんだ。
木村との話が終わってまっすぐ僕の家に来たワケ。
いつまでも車から降りないで、こうして2人で話してるワケ。
「・・・・・・まさか」
1パーセントの嫌な予感と、99パーセントの喜びのようなモノと。
なんだかわからない感情で次の言葉が喉を通り過ぎていかない。
ジリジリと心臓が焦げるように痛む。
膝の上でぎゅっと手を握って、俯いた。
隣で鳴人がひとつ息を吐く。それはまるで自分を奮い立たせているようで。
「お前、覚悟できてるって言ったよな」
「・・・・ん」
「俺はとっくにできてる・・・・・たぶん、お前を最初に抱いたときから」
「・・・うん」
「止めなくていいのか」
「止めない」
もう決めたから。
いままで逃げてきたけど、もう逃げたくない。
鳴人は全部をかけてくれた。
今度は、僕が。
「母さんに話す。話して、これからはちゃんと付き合いたい」
僕の大事な家族に。一番大切な人を知ってもらいたいから。
「認めてもらえなかったら、俺はお前をこの家から連れ出すぞ」
「・・・・・よろしくお願いします」
冗談交じりで鳴人に頭を下げる。
張りつめた空気がふわりと解けて、鳴人が肩の力を抜いた。
「あーあ・・・そんなこと言われたらもう逃げらんねえな」
「最初から逃げる気ないくせに」
拗ねたフリをして言ってやると、鳴人が声を出して笑った。
「よし。行くか」
「うん」
大切な人に、これから僕が大切にしたい人を知ってもらいに行こう。
絶対に、自分の気持ちに後悔がないように。
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