健多くんシリーズ。(短編) 離れられない。 知らなかった。 いつも傍らにいた人がいないと、こんなにも苦しいだなんて。 ――――――――離れられない。 鳴人と会わなくなって2週間以上が過ぎた。 あの日、家に着くとそこには兄さんが待っていて、僕の顔を見た途端、ホッとした顔で玄関にしゃがみこんだ。 『・・・よかった』 兄さんに心配をかけてしまったことに胸が痛んだ。 どれだけ僕のことを想っていてくれてるのかわかっていたはずなのに、あらためて申し訳ない気持ちになる。 兄さんが家にいたのは、あの工場を出る前に鳴人が電話をかけて、家で僕の帰りを待つように言ってくれていからだ。 あの夜は母さんがいなくて、家には僕ひとりになってしまうから。 家に向かう車の中、鳴人は一言も喋らなかった。 いや、僕も話しかけられなかったからお互い様なのかもしれない。 『しばらくお前には会わない』。 鳴人と離れてからしばらくは、言われた言葉がぐるぐるぐるぐる頭の中を回って、ただ恐ろしかった。 もしかしたら鳴人は、面倒なことになったと思ってるのかもしれない。やっぱり世間からなんて思われるか気になるのかもしれない。 そう考え始めると止まらなくて、ベッドの中でひとり泣いたりもした。 でもそんなのは最初だけだった。 来ないメール、鳴らないケータイ。 そもそも僕は自分の性格を忘れていたのだ。 あんなヤツに好きなようにされて、やっと好きになった人ともこんな気持ちのまま離れさせられて。 そう思ったとき、ハッと気がついた。 そもそも、その鳴人も鳴人じゃないか? 信じろなんて言っておきながら連絡のひとつも寄越さない。 だいたいどうやってあの男を黙らせるっていうんだろう。なにか考えがあるのか。っていうかなんで連絡くれないんだ。そうだソレだ。絶対にこのイライラはソレだ。学校にいる間だって休み時間のたびにケータイチェックしてるのに、なにも着信してない気持ちがわかるか!?アレか。声が聞きたいなら自分で連絡しろってか。自分から『会わない』なんて言っておきながら僕に連絡しろって!?なんて自分勝手な・・・!! 「あぁぁーーーーーーもうッ!!!」 ガチャンッ! 「えッ!?なに!なにがあったの!?」 夕食中、突然テーブルを叩いた僕に兄さんが驚いて顔を上げた。 そりゃそうだ。 弟がさっきまでじっとり落ち込んだまま黙々と箸を動かしていたのに、次の瞬間にはヒステリックに叫び出したんだから。 「健多・・・?」 なにが起こったのかわからないまま焦る兄さんを睨みつけ、僕は箸を置いた。 「兄さん」 「は、はい!」 目の前の兄さんが鯱鉾ばって姿勢を正す。 ちなみに今日は母さんはパート。 あの日から兄さんはこの家にずっと泊まり込みで僕の様子を見守ってくれていた。 母さんには「たまの里帰り」なんて言いながら。 そんな兄さんには悪いけど。 「もう限界。僕ちょっと鳴人のトコ行ってくるから」 どうしてもいま会わなきゃいけない。 じゃなきゃ、頭がおかしくなってしまいそうだった。もちろん、いろんな意味で。 でもそんなことを心配性の兄さんが許してくれるはずもなく。 「え、えぇ!?ダメだよ!まだアイツが外にいるかもしれないし!」 そう。あの日『警告』されたとおり、僕を監禁して辱めたあの男は、夜になると家の周りをうろついているようだった。 兄さんが深夜コンビニに行くと、たまにあの赤い軽自動車が停まっているという。 おそらく僕にプレッシャーを与えて、鳴人を困らせようという考えなのだろう。もしかしたら僕の弱みになりそうな写真をまた撮ろうとしているのかもしれない。 だからこそ鳴人は僕と距離を置いてるんだと、そう兄さんは話してくれた。 それは僕だってわかっているけど。 「また連れていかれるようなことがあったら、」 「車には乗らないし、あのときみたいにアイツの話も聞かない」 ここは静かな住宅街だ。アイツだって無理矢理なにかをしてくる可能性は低いはず。 それに。 「幸ちゃん・・・僕、不安なんだ」 ただ黙って鳴人に助けてもらうのを待ってること。 こうしてアイツの目を気にして生きていくこと。 こんなことしていたら、いつか僕と鳴人の関係に終わりがくるような気がして。 「じっとしてられない。絶対、僕にだってなにかできることがあるはずなんだ」 例えアイツはどうにもできなくても、なにか鳴人の支えになることができるはず。 鳴人を想って、そしてたぶん想われて。 いままで積み重ねてきた時間は、絶対に無駄じゃないと思うから。 まっすぐ兄さんを見る。僕の心が伝わることを願いながら。 「・・・・わかった。ま、そろそろ大人しくしてるのも限界だよね」 兄さんは深くため息をつき、そして笑った。 「いいよ。鳴人のところへ行っておいで。表の車は俺が見張っとくから」 兄さんの笑顔を見たとき、いままでどんよりと澱んでいた空気に一筋の光が射したような気がした。 「幸ちゃん・・・ありがと」 「裏から出て。近くにタクシー呼ぼう」 「うん」 こうして僕は2週間ぶりに鳴人の家に向かうことになった。 追い出されるかもしれない。本当はもう僕と付き合う気はないかもしれない。 それでも、いま会いに行かなきゃ絶対後悔する。 そんな確信が僕にはあった。 「うわ・・・なんか緊張してきた」 この2週間、鳴人の顔も見てないどころか声も聞いてない。 マンションの玄関前、僕はインターホンを鳴らすことができなかった。 部屋の電気は点いてたから、中にいるのは間違いないはず。 この扉の向こうには鳴人が。 こんなときにのこのこやってきた僕を見てどんな顔をするだろう。怒るとか。呆れるとか。そんなネガティブなイメージしか湧いてこない。 目を閉じて深呼吸をする。 思い出せ。なんでここに来たのか。 鳴人を怒ってやるためだ。なんで連絡よこさないのかって思いっきり罵ってやるため。 「・・・よし」 小さく震える指をなんとか宥め、インターホンのボタンを押す。 遠く、部屋の奥でチャイムが鳴る音がした。 ドク、ドク、と心臓が深く鼓動する。カラダの中の空気がそれに合わせて揺れた。 顔見たら最初の言葉はなんて言おう。 『バカ』とか『ふざけるな』とかそういう、 カチャ。 「健多」 そういうことを・・・・・ 「な・・・」 目の前の顔が滲んだ。 考えるよりも先に、飛びついていた。 頭が真っ白になって、なにもかもぐちゃぐちゃになった。 「なる、ひと・・・鳴人・・・会いた、かっ・・・寂しかったよ・・・」 怒ることも忘れるほど、自分でも気付かないくらい鳴人が恋しかった。 慣れた匂いのする胸に顔を埋め、涙を流しながら深呼吸をする。 泉のように胸の奥から湧き出る安心感で胸がいっぱいになった。 鳴人は子供のように泣きじゃくる僕の背中をそっと抱きしめると、家の中に入れてくれた。 そしてそのまま2人でゆっくりと玄関に倒れこんで。 「ぁ・・・ん、ふッ・・・」 靴を脱ぐのも忘れたまま、僕たちは深い深い口づけをした。 たくさん名前を呼んで、しっかりとしがみついたまま。 ついこの間まで当たり前だったことが夢だったように幸せだった。 それはきっと、鳴人も同じ。 そう思うのは、ときどき絡み合う視線が嬉しそうに笑うから。 「・・・・はぁ」 やっと唇が離れたときにはもうお互い酸欠状態で。 荒い息を整えながら鳴人の顔を見ると、僕と同じくらい苦しそうで笑えた。 「お前・・・激しすぎ・・・」 僕の腰を抱いたままぐったりと床に伸びる。 「ほっといたバツ」 「だからって・・・」 そんな他愛のない会話が嬉しくて、さっきまでの寂しい気持ちなんか吹っ飛んでしまう。 鳴人の声ってこんな感じだったっけ。 なんか変な感じ。思ってたよりずっと・・・イイ声。 「なに笑ってんだ」 「・・・なんでもない。部屋上がろうよ」 「ああ。散らかってるけど」 いまさら他人行儀な言い方がおかしい。 でも、久しぶりに入ったリビングは確かに散らかっていた。 けっこう綺麗好きな鳴人にしては不思議なくらい。 「座れよ。飲み物もってくる」 「うん」 床に散らばってる資料や本を拾いながらソファに向かう。 革張りのソファが沈む音と感触が少しだけ懐かしかった。 おかしい。たった2週間なのに、こんなに久しぶりに感じるなんて。 たぶんそれは会えない間、鳴人の声も、鳴人が何をしてるかもわからなかったから。 いままでこんなに長い間離れたことなんてなかったから。 「ほら」 キッチンから戻ってきた鳴人が温かいカップを差し出す。 「ありがと」 受け取ると、指先からじんわりと熱が伝わってきた。 いつの間にか夜が寒くなったみたいだ。 離れたときはまだ夏真っ盛りだったのに、今はもう秋に近づいてきている。 ギシ、と僕の右側が沈んで、鳴人がソファに腰掛ける。 その距離は少し遠い。 なんだか、やっぱり緊張する。 「・・・鳴人、怒らないの」 「・・・・・怒るつもりだった」 「つもりって、今は?」 「・・・お前の顔見たらどうでもよくなった」 「なにそれ」 ・・・なんだ。一緒なんだ。 言いたいことも全部、そばにいられればもうどうでもいい。 そんなもんなんだ、きっと。 「僕も怒るつもりでここに来たんだけど」 「お前が?」 鳴人がカップを置いてこっちに顔を向ける。 その視線を感じて、僕もテーブルにカップを置いた。 まっすぐ、鳴人の方を向いて。 言い聞かせるような気持ちで、はっきりと言ってやった。 「なんでも自分が正しいと思うな」 離れている間に思ったこと。考えて考えて、やっといきついた想いを伝える。 「鳴人が僕を守ろうとしてくれたのはわかってる。それは嬉しい。でも」 誰かを好きになるのは簡単だ。 でも、重要なのはその先。 「僕は・・・鳴人とずっと一緒にいたい。一緒にいるってことはお互いが助け合うことだよ。どっちか一方じゃなくて、もっとたくさん話し合って、言いたいこと言って、そうやって生きていくってことだと思う」 もっと頼ってほしかった。 もっと話してほしかった。 鳴人がいままでどんな考え方で生きてきたのかとか、これからどんなことがしたいとか。 そんな小さなことでいい。もっと知りたい。 いろんな鳴人を見たい。 たくさんの想いが募って胸が熱くなる。 「・・・強くなりたい。守られるだけじゃなくて、鳴人を守れるような人間になりたい」 最後の方はもう涙交じりだった。 わかってほしくて。僕がどんなに鳴人を好きか。 どんなに想ってるか。 「言いたいことは、それだけ」 ずっと思っていたことを言えてスッキリした途端に、また涙腺が緩んだ。 「あーもう・・・泣かないって決めたのにっ!鳴人のバカ!」 照れくさくて、笑いながら袖で涙を拭う。 その手に、ふと温かい指先が触れた。 顔を上げると、すぐ目の前に鳴人がいた。 「・・・なに、」 「俺は、怖かった」 真剣な眼差しが僕を射抜く。 鳴人の声は低くて、僕は思わず息を詰めた。 「本当はあの男を黙らせる方法もすぐ見つかった。すぐにお前を迎えに行く準備はできた。でも、覚悟ができなかった」 僕の手を握る指先に力が入る。 「・・・僕と付き合っていく覚悟?」 そんなの、できなくてもおかしくない。 鳴人はちゃんと自分の力で生活してて、せっかく好きなことをやって生きているのに。 それを手放さなければならないなら誰だって迷う。このままの生活を続けたいと思う。 でも鳴人は僕の質問にはっきりと違うと答えた。 「お前と付き合う覚悟はとっくにできてる。俺が言う覚悟は」 鳴人の腕が僕の背中を抱きよせる。 「お前に、俺以外の全部を捨てさせる覚悟だ」 「え・・・?」 一瞬、言われた意味がわからずに瞬きをする。 鳴人以外のすべてを捨てる。 それは僕の今の生活を、ということだろうか。 「俺があの男を黙らせるために今からしようとしてることは、結果的にアイツに弱みを握られることになる。そうなったら今度こそお前の今の生活を滅茶苦茶にするかもしれない。それでも、」 鳴人の声が細く、祈るように。 「・・・お前は俺を選ぶか?お前を見る周囲の目が変わっても」 息をのんだ。 僕を見る目が変わる。 母さんも、友達も、近所の人も。 確かに今までどおり自然な関係ではいられなくなるかもしれない。悲しい事もあるかもしれない。 ・・・・でも。 「鳴人はずっと一緒にいてくれるんでしょ?」 たとえ僕が周囲から孤立しても。うしろ指をさされても。 鳴人が一緒にいてくれる限り、僕は絶対にひとりにはならない。 「一人でも味方がいれば、充分だよ」 広い背中を抱きしめ返す。 強張っていた大きなカラダが、ふわりと柔らかくなるのを感じた。 「・・・わかった」 優しい声が降ってきて、そっとカラダを離される。 「明日、お前の学校が終るのを待って、あの男と話をつける。一緒にくるか」 「うん」 もう終わりにしよう。 楽しく、馬鹿みたいなことで笑い合えたあの日々を取り戻すために。 僕たちの新しい日々を迎えるために。 [*前へ][次へ#] [戻る] |