健多くんシリーズ。(短編)
治らない。
家に帰り着くと、キッチンに置いてある二人分の夕食が目に入った。
「そうだ・・・コレも片付けなきゃ」
鍋の中の肉じゃが。鳴人が一昨日リクエストした献立だ。
自分の分だけでも食べようかとも思ったが、食欲がなかったのでやめた。
結局二人分の肉じゃがをタッパーにしまって、冷蔵庫に入れた。
食器を片づけて部屋に入ると、鞄を放り出してベッドに突っ伏す。
「・・・・はぁ」
一人になると嫌でもいろいろ考えてしまう。
鳴人がどうして僕に具合が悪いことを教えてくれなかったのか、とか。
どうして夏帆さんのこと今まで黙ってたんだろう、とか。
いや、黙ってたってのはおかしいかも。
僕たちは別に『付き合おう』なんて言ったわけじゃないし。
「でも、好きになってやるって言ったのにな・・・」
ポロ、と涙がシーツにひとつこぼれた。
鳴人にとっては、『好き』=『付き合う』ってことじゃなかったってことなのか。
そもそも、今までが楽しすぎて彼女の存在を忘れていた僕が悪いのか。
・・・・・・・・楽しすぎて。
今までの人生で一度もなかった、痛くて甘いこの時間が楽しすぎて。
「アタマ痛い・・・」
頭も、胸も何もかもが痛い。
一人になるのは嫌だ。こんなにぐるぐる考えるのも嫌だ。
溢れてくる涙を拭いながら、鞄の中から手探りでケータイを探す。
アドレス帳を呼びだして、兄さんの欄を開いた。
発信ボタンを押してしばらくすると、いつもの優しい声が聞こえてくる。
『もしも〜し、どした?』
「あっ・・・幸ちゃん。あの、いま大丈夫?」
『うん、全然大丈夫だよ〜・・・で?なにがあったの?』
その言葉に一瞬カラダが強張った。
なんでわかるんだろう。
「え、ううん、なんでもないけど」
声が暗かったかな、と慌てて明るい声を出す。
『嘘だよ。健多が昔みたいに俺のこと幸ちゃんって呼ぶし、それにちょっと鼻声だよ?』
・・・恐るべし、わが兄。
『お兄様をナメてはいけませ〜ん』
電話の向こうで兄さんが笑う。
その声を聞いていると、ちょっとどんよりしたものが軽くなる気がした。
やっぱり、電話して良かった。
「あのさ、幸ちゃん。ちょっとお願いがあって」
『お願い?可愛い弟のお願いなら大歓迎』
「・・・ありがと。それでさ、えっと・・・しばらくそっちに泊めてもらってもいい?」
この家にいたらずっと鳴人のことを考えてしまう。
ちょっとの間忘れることができれば、僕の気持ちも何か変わるかもしれない。
それに兄さんの家から僕の通う高校までは、確かバスで一本だったはずだ。
『ウチに?それは別にかまわないけど・・・鳴人は?二日にいっぺんは勉強みてもらってるでしょ』
ズキ、と小さな針が刺さったように胸が痛んだ。
「そのことなんだけど・・・僕がそっちにいるってこと、鳴人には黙っててほしいんだ・・・その、ちょっとの間でいいから」
『鳴人のことも、しばらく無視するつもり?』
無視。
今まで誰かを無視してきたことなんてなかった。
それはとっても卑怯なことのような気がしていた。
でも今僕がしようとしていることは、立派に卑怯なことなのかもしれない。
それでも。
「鳴人には、ちょっと連絡するのを待ってほしいって伝えてくれればいいから・・・ダメ?」
恐る恐る訊ねてみると、電話の向こうは沈黙した。
怒られるのかもしれない。そんな卑怯なことするなって。
でも、こんなこと初めてでどうしたらいいかわからないから。
自分でも、何が一番いいのかわからないから。
『健多』
「え、うん」
でも、兄さんはどこまでも僕の味方だった。
それが本当に正しいかは別として。
『オッケー、まかせて。母さんにもこっちから連絡しとくし。安心して泊まりにおいで』
「・・・・・うん」
『どした?嬉しくないの?』
「ううん、でも・・・怒られると思ったから」
『怒る〜?』
兄さんは心底意外そうな、そして心外だとでもいうような声を上げた。
『なんで怒るのさ。どうせ馬鹿鳴人がなんかやらかしたんでしょ!・・・あの野郎、健多を泣かせたら承知しねえって言ったのに・・・』
「・・・幸ちゃん?」
『ん?あ、うんうん。こっちの話。とにかく、ここはお兄ちゃんに任せなさ〜い』
「・・・うん。ありがと」
『じゃあ、またあとでね。気をつけておいで』
「うん」
電話を切ると、すっと心が軽くなるのを感じた。
兄さんにすべてを話すことはできないけど、きっと何も聞かずに僕を受け入れてくれるんだろう。
自分でも、甘えてるとわかっている。でも、今は心を落ち着かせる時間が欲しい。
ケータイを置くと、ふと不在着信とメールが入っていることに気づいた。
・・・・鳴人。
メールには『気づいたらかけなおしてこい』と一言だけ書いてあった。
かけなおそうか迷って、結局できなかった。
とりあえず学校に必要なものと何日か分の着替えを持って、僕は兄さんの家に向かった。
電車に揺られてる間、鳴人からは何度も電話がかかってきていた。
「散らかってるけど入って〜」
兄さんの家に着くと、兄さんは笑顔で迎えてくれた。
キッチンには使われた二人分の食器があり、テーブルの上には見慣れない高そうなライターが転がっていた。
「幸ちゃん、タバコなんて吸う?」
冷蔵庫から麦茶を出している兄さんに訊くと、ぱっとこっちを向いた。
「えっ・・・あ、ああ、それね。友達の。さっきまで一緒だったからさ〜。忘れてったのかも」
「友達?・・・じゃあ、迷惑かけちゃったんじゃ・・・」
「なーに言ってんの。大事な弟より優先させるものがあるわけないでしょ!ほら突っ立ってないで座りなって」
兄さんはテーブルの上にコップを置くと、僕の手から荷物をひったくった。
「明日も学校でしょ?落ち着いたら風呂に入って寝ること。母さんにはちゃんと学校に行かせるって約束で泊めることオッケーしてもらったんだからね」
「うん・・・ありがと幸ちゃん」
その日は思っていたより穏やかな気持ちで眠ることができた。
兄さんは鳴人の話は一切しなかった。
翌日、僕は兄さんより早く起きて学校に向かった。
学校に着けばいつもの日常が待ってる。
鳴人からの電話は、ない。
きっと伝言を伝えてくれたのだろう。
放課後、秋月と教室で話していると、廊下から声をかけられた。
「松森ぃ、なんか正門にお前を探してる人が来てるってよ」
・・・イヤな予感。
慌てて教室から正門の方を見てみると、案の定目立ちまくりの鳴人がこっちを見て立っていた。
「なにしてんのアイツ・・・」
「ん?お、アレこないだの家庭教師の兄さんじゃね?お迎えかよ健多」
「・・・秋月。今日は裏門から出よう」
「へ?いいけど・・・いや、いいのか?」
「・・・いい。行こ」
鳴人は下校途中の生徒の好奇の視線を浴びながら、それでも動かない。
ちゃんと、熱は下がったんだろうか。
胸がチクリと痛んだ。
兄さんの家に帰って夕飯の準備をしていると、しばらくして玄関が開く音がした。
「あ、おかえり」
「ただいま〜!ん〜いい匂い。いいねぇ、玄関を開けたら最愛の弟が夕飯の準備をしている・・・ああ、幸せだな〜」
「大げさだよ」
二人で笑いながらテーブルに皿を並べていく。
夕食が終って、兄さんがふと思いついたように口を開いた。
「そういえばね。鳴人、まだ熱がひどいらしいよ」
鳴人、という言葉にドキッとした僕は、思わず箸で摘まんでいた人参を落としてしまった。
動揺しているのはバレバレだが、一応なんでもない顔をする。
「ふうん。そうなんだ」
「・・・今日、健多の学校に鳴人来たでしょ」
「・・・・・・・・・・なんで知ってんの」
今度こそ完全に手が止まってしまう。
心臓がバクバクと煩いくらいに脈打ち始めた。
顔を上げることができない。
それでも兄さんは続けた。
「夏帆ちゃんが僕に電話してきてね。マンションから鳴人が消えたって。あんな体で外に出るなんて自殺行為もいいところだ、行き先を知ってるなら教えてくれってね。その時にはもうどこに行ったかわかってたけど、言わなかったよ」
夏帆さん。
いま一番聞きたくない名前を聞いてしまって、ますます息苦しくなる。
「ついでに言うとね。昨日健多が鳴人の家に行って、夏帆ちゃんに会ったのも聞いたんだ。それで、そのあと健多がすぐに帰っちゃって、鳴人の機嫌が悪くなって、夏帆ちゃんもさっさと追い出されちゃった、って話」
「・・・追い出された?」
僕が帰るなと言われてたのに帰ってしまったから、鳴人が機嫌が悪くなったのは不思議じゃない。
でも、それで夏帆さんが追い出されたなんて。
「夏帆ちゃんはああいう性格だから、そんなの全然気にしないよ。慣れてるしね。だから健多も気にすることない」
「慣れてるって・・・」
それはやっぱり、二人が付き合ってるってことじゃないのか。
お互いをよく知ってて、それで信頼しているから許せることなんじゃないのか。
「・・・あの二人は、付き合ってるんでしょ?」
背中を冷たい汗が流れた。
きっと兄さんなら何かを知ってる。
あの二人がどういう関係で、鳴人がどういう人間なのかを。
僕より、ずっと知ってる。
でも、兄さんの口から出た言葉は意外なものだった。
「正確には付き合ってた、かな。あの二人は幼馴染でずっと一緒だったらしいよ。それで高校時代に一回付き合って、それで別れたんだ」
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