健多くんシリーズ。(短編) 治らない。 「別れた・・・」 茫然と呟く僕に、兄さんは苦笑した。 「あんまり人の噂って喋りたくないけど、これは夏帆ちゃん本人に聞いたことだからね。それに、健多にとっても大事なことでしょ?」 俺は弟のためならどんな汚いこともするんだよ、と笑う。 「だから健多、怖がらなくていいんだ。鳴人はいま誰とも付き合ってないけど、好きな人が一人いる・・・・・それが誰かわからないほど、俺の可愛い弟は鈍感じゃないよね?」 「・・・・っ!」 胸が、苦しい。 心臓が痛くて息ができない。 なんでこんなに、心が熱くなるんだろう。 「幸ちゃ・・・」 兄さんがそっと、僕の手を包み込んだ。 暖かくて、優しい手。 いつも父さんの代わりに僕を守ってくれたこの手に、また救われた。 ・・・ん?っていうか・・・・・・アレ? 感動で打ち震えていた全身が急激に冷えていく。 ・・・・なんかおかしくないか? いや、おかしいというより、なんかマズい気がする。 今まで自分の気持ちに精一杯で気づかなかった。 最も秘密にしていなくちゃいけない人の一人、それが兄さんだったはずなのに。 冷えてきた肌からどんどん冷汗が溢れてきて、僕は箸をテーブルに落とした。 この人は・・・・このオニイサマは! 「こ、ここここ幸ちゃ・・・・っど、どこまで知っ・・・!?」 「え?・・・・最初から全部?」 「ノォォォォォォ!!!」 ガチャンッ。 「あ、もう健多。おかずこぼれた〜」 う、嘘だ!嘘だ嘘だ嘘だ誰か嘘だと言って!! こんなのヤバい!ヤバすぎるだろ!? 親友と自分の弟がデキてる!?いっ、いや、デキては・・・ない?いや、でもむしろデキてるようなもの!?・・・あーもーどーでもいー!! 「ちがうっ!ちがうからコレは幸ちゃん!お願いだから違うといってぇえええッ・・・!!」 「いや、おちついてよ。ソレおかしいから」 「おかしくなんかないよ!おかしいのは僕だよ!!」 「うん、だからおかしいよ」 泣きたい。いやもう死にたい! こんなのって恥ずかしすぎる・・・! よりによって実の兄にバレてるなんてっ!! 「うぅっ・・・ちがうんだってば・・・!」 「わかったってば健多〜大丈夫だって。怒らないし、誰にも言わないから!」 「・・・・・・・・・・・・・・・ホント?」 「ホントホント〜」 幸ちゃんは涙目になった僕の頭をポンポンと叩いた。 それならいい・・・・のか? いや、よくないけど・・・でもなんかもうどうでもいい・・・・・。 「パトラッシュ・・・僕もう疲れたよ」 「健多、高校生のネタじゃないよソレ。でも、ちゃんと天使さまが迎えにきてくれるからね〜。アイツもそこまで馬鹿じゃないから、もうすぐ嗅ぎつけるんじゃないかな〜」 「・・・・・・え?」 ドンドンドンドンッ! 「ぅわっ!?」 「・・・・・・ほらね?」 近所迷惑だからやめてほしいよね〜と眉をひそめながら兄さんが玄関に向かった。 兄さんの部屋は鳴人の部屋と違って普通のワンルームだ。玄関から部屋の中が見渡せるようになっている。 僕は慌てて玄関の死角に四つん這いで移動した。 動悸が激しい。 鳴人を無視しているという罪悪感で胸がいっぱいだった。 兄さんがドアチェーンを開ける音がする。 一人分の足音。 そして耳慣れた、でも少し掠れたあの声が聞こえてきた。 「健多」 「・・・・!」 その声があまりに近く聞こえて、僕は慌てて顔を上げた。 そこには。 「・・・なる、ひと」 夜もだんだんと暑さで寝苦しくなってきたこの季節に、首にマフラーを巻いて長袖のジャケットを着た鳴人が僕を見下ろしていた。 顔をしかめて苦しそうに細められた目は、その体調の悪さを伝えてくる。 大丈夫かと声をかけようと思ったが、今こうやって鳴人に無理をさせているのが自分だと思うと、何も言葉にならなかった。 鳴人は無言で手を差し出してくる。 この手をとったら、すべて許してくれるんだろうか。 勝手に勘違いをして、迷惑をかけた僕を。 「ちょっとちょっと〜お兄さんの存在を忘れてるんじゃないの〜」 ひょこ、と兄さんが顔を出した。 鳴人は首だけをそっちにむけて、ごほ、とひとつ咳をする。 まるで無駄な言葉一つ出したくない、と無言で訴えているようだ。 「・・・わかったよ。風邪が治ったらこってりお説教だからね鳴人。タクシー停めるからそれに乗って帰って。健多も荷物まとめて」 「え、あ、うん」 僕も一緒に乗っていけということなんだろう。兄さんはため息をつきながら部屋から出ていった。 残されたのは僕と、相変わらず何も言わない鳴人だけ。 そして、その手はまだ僕に差しのべられたまま。 「荷物用意するからっ」 鳴人のまっすぐな視線が痛くて、僕は慌てて立ち上がった。 自分の分の洗濯物をカバンに詰めようとベランダに向かうと、腕を掴まれた。 突然のことにバランスを崩して倒れこむところを鳴人の両腕に抱きかかえられる。 背後からぎゅっと抱きしめられて心臓が跳ねた。 いつもよりその力は弱い。 抱きしめられた体よりも、その熱い体温に胸が締めつけられて痛い。 耳元にかかる苦しそうな吐息。 風邪がうつってしまったんじゃないかと思うくらい、僕の体も熱くなっていく。 「具合が悪いこと黙ってて悪かった・・・・・熱があるなんて言ったらお前、絶対ウチに来るだろ」 「・・・そりゃ、少しは心配だし」 「・・・うつしたくなかったんだよ」 ・・・風邪なんて、いくらでもうつしてくれてかまわなかったのに。 心配できないほうが、もっとずっと苦しいのに。 回された腕に、そっと手を重ねてみる。 熱で敏感になっているのだろう。その手はぴくっと震えた。 「鳴人、」 「だーかーらー。お兄さんを忘れてるんじゃないですかキミたち」 「ギャアッ!!?」 ドンッ! 思わず鳴人の腕を解き、振り返って突き飛ばす。 鳴人はとんでもない音をたてて思いっきり床に倒れた。 「えっ!?あ、嘘、ごめんっ!大丈夫っ!?」 「うわー・・・・それは、さすがに・・・」 慌てて抱き起こすと、鳴人は肘から床に落下したのか、腕をかかえて悶絶していた。 「ど、どうしようコレ・・・幸ちゃん!」 「ん〜じゃあもう荷物は俺がまとめるから。健多は表のタクシーに鳴人運んで」 兄さんはやれやれといった表情で荷物を片付け始める。 僕は顔色の悪い鳴人に肩を貸し、なんとか外階段を降りてタクシーまで向かった。 しばらくして降りてきた兄さんから荷物を受け取ると、兄さんは僕にお札を握らせた。 「コレなに?」 「え?もちろん鳴人の家からのタクシー代だよ。健多は明日学校があるんだから、ちゃんと家に帰りなさいね。そのままコトに傾れ込んで学校休むなんてことがないように」 「そんなことあるわけないだろっ!?」 なんてことを言うんだこの人は!! そもそも鳴人は病人で・・・いや、そんな問題ではなく!! 真っ赤になって怒る僕に、兄さんはパチッとウインクをして笑った。 いい大人がウインク・・・でもそれが不思議と似合う恐ろしい人間だ。 「まぁそれは冗談だとしても、深夜は割高だから受け取っておいて。その体じゃ鳴人は運転できないし」 「・・・・・・・・・・・・ありがと」 そこまで言われれば素直に受け取るしかなく、とりあえずお金をカバンにしまう。 車が動き出すと、兄さんは僕たちが見えなくなるまでずっと手を振ってくれた。 マンションまでの短い時間、僕はなんとなく鳴人の熱い手を握り締めていた。 鳴人はやっぱり何も言わなかったけれど、その横顔がすこし照れくさそうに見えたのは気のせいじゃなかったと思う。 鳴人の部屋に着くと、僕は鳴人をまっすぐ寝室へ向かわせた。 「ほら、もう寝なよ。僕も明日学校だから帰らなきゃいけないし」 上着を脱ぐのを手伝ってやると、素直に着替え始める。 なんか、子供みたいで可愛い・・・。 たまにはこんな素直な鳴人もいいな、なんて思うあたりが重症なんだろう。 鳴人はベッドに横になると深いため息をついた。 見た目以上に体がしんどいのだろう。 冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを持ってきて手渡すと、すぐに喉を潤した。 「あとなにかしてほしいことある?」 そういえば前にもこんなことがあったな、なんて思いだす。 あの時は僕が欲しいモノを言う立場で、何を血迷ったかキスなんてねだってしまった。 (キ、キスとか言われたらどうしよう・・・いやでもまさか・・・) 僕のときとは違って鳴人はいま本当に具合が悪いのだ。 変に動揺してしまって、まともに鳴人の顔が見れない。 「な、ないならいいんだけど。じゃ、僕帰るから!」 真っ赤になっている顔を見られないように、急いで立ち上がろうとすると。 「待て」 手を、掴まれた。 その目はとても真剣で、思わずその場に座りなおしてしまう。 「・・・なに?」 鳴人は咳をひとつして、上から覗き込んでいた僕の耳元に唇を寄せる。 「・・・俺が寝るまでここにいろ」 「へ?」 ・・・・・小学生か。 具合が悪くなると鳴人は甘えたがりになるんだろうか。 それとも、僕だからこんな顔を見せてくれるんだろうか。 そうだったらいいな、なんて心の中で笑いながら、僕は鳴人に向かって頷いた。 「わかった。寝るまでだからな」 顔だけはしぶしぶといった感じで、でも、内心はすごく嬉しくて照れくさい。 そしてふとあることに気がついた。 「あれ・・・でも出るとき鍵かけれない」 鳴人が寝た後にマンションを出るなら、誰も中から鍵をかけることができない。 すると、鳴人がベッドの中からサイドボードの引き出しを指差した。 「封筒があるだろ」 引き出しを開けると、確かに一番上に細い白い封筒が入っていた。 持ってみるとそれほど重みはないが、何か下の方に固形物が入っている。 「なに?」 きちんと糊づけされたそれを慎重にはがして、中身を手のひらに落とした。 音もなく中から滑り落ちてきたソレ。 コツ、と硬い何かが当たる感触。 「・・・・・・これ」 普段目にするような形とは違って、複雑な凹凸の刻まれた金属。 タグが紐で結んである、真新しい銀色。 「・・・ソレ、ひとつしか作ってねえから絶対になくすなよ」 このマンションのは高いんだ、と掠れた声で呟く鳴人。 「これ・・・合鍵・・・?」 信じられない思いで胸がいっぱいになり、鳴人の苦しそうな顔が涙で滲んだ。 こんなことで泣くなんて恥ずかしいけど、 それでも溢れだす気持ちを抑えることができない。 「だって、これ・・・なんか・・・」 これじゃ、まるで。 ぎゅっと鍵を握りしめる。冷たい金属がみるみるうちに温まっていく。 そんな僕を見て、鳴人は小さく意地悪に笑った。 「だからなんで泣くんだよ・・・彼氏の家の鍵もってるくらい、別に大したことじゃねえだろ」 「・・・かっ、彼氏っ!?」 声が裏返ってしまった。 鳴人が彼氏ってことは、あれ?僕はいったいどういう立場に・・・いや、そんなことはこの際置いといて。 「僕たち、付き合ってんの・・・?」 「・・・お前は俺のこと好きじゃないのか」 「す・・・!」 好き。 この場合の好きは、恋愛対象として好きかということで。 悔しいけど、ここまできたらもう認めるしかない。 僕はこの最低な、最悪の変態男を。 「・・・・・・・・すき、だけど」 それでも恥ずかしくてぼそぼそと言葉を濁すと鳴人はまた小さく笑って、そしてまっすぐ僕の目を見て言った。 「好きだ、健多」 「・・・・っ!」 心臓も頭も、巨大なハンマーでめちゃくちゃに殴られてるみたいだ。 どうしたらいいのかわからなくて、とっさに目を反らしてしまった。 膝の上で握りしめた自分の拳を見つめて、思い切って言う。 「あのっ・・・無視とか、してゴメン・・・もうしないからっ」 「・・・・・」 鳴人は、何も言わない。 その沈黙があまりに長いので不思議に思ってそっと顔を覗き込んでみると。 「・・・寝てる」 そこには穏やかな寝顔があった。 「・・・信じらんない。言いたいこと言ってさっさと夢の世界へ逃亡ですか」 この行き場のない恥ずかしさと・・・どうしようもない愛しさをどうすればいいんだろう。 鳴人は寝てしまったけれど、もうちょっとだけ一緒にいたくて、僕はそっとその手を握った。 深夜、鳴人のマンションを出るとき。 重い扉を閉めて、真新しい鍵を鍵穴に差し込んだ瞬間、心地よい居場所を手に入れた喜びが溢れてきた。 明日学校が終わったら一番に鳴人に会いに行こう。 きっと明日には熱も下がって、もしかしたら仕事をしているかもしれない。 それを見て僕は言う。 病み上がりのくせになにしてんだ、早く寝ろって。 でも今の僕にはそう言う権利があると思う。 鳴人が心配だから。 鳴人が好きだから。 鳴人の、恋人だから。 そしてもうひとつ。いや、もしかしたら一番大事なこと。 なぜ兄さんがすべてを知ってるのかを絶対に問い詰めてやろう。 それもまた、僕の当然の権利だろうから? 治らない熱。 治らない胸の痛み。 治らない、恋の病。 Fin. 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