リボーンの部屋に来てみれば、机の上に積まれた書類、そして乱雑に脱ぎ捨てられているネクタイ。置きっぱなしの珈琲カップが私を出迎えた。 リボーンの姿は見えない。やっぱり、いないようだ。以前きたときよりも荒れている部屋。それはリボーンは忙しいことを表しているようだった。 ここで待っていて怒られないだろうか。 それより、待っていたら会えるだろうか。 そんな考えがよぎる。でも、弱気になっちゃいけない。大丈夫。きっと大丈夫。理由を聞くだけにすればいい。避けられる理由を聞いて、何を言われても何も言わずに帰ってくればいいんだ。 嫌われても、お母さんがいる。大丈夫。まだ、独りじゃ無い。 一人には、なってない。 ひと、り…。 私は、ソファーの上に座りリボーンが来るのを待つ。もしかしたら今日は任務で帰ってこないかもしれない。もしかしたら、この部屋は全然使っていないのかもしれない。もしかしたら…。 弱気な考えが私の頭を支配していく。 リボーンとの出会いは、ソファーの上だった。どこかもわからなくて、状況も何も理解できてない私。そして、なぜかリボーンの指を掴んでいた。離しちゃいけないと思った。 そのあとも、ずっと傍にいてくれた。安心できて、頼りに出来て、でもちょっと気恥ずかしくて…。 まだ、あれから1ヶ月ぐらいしかたっていない。毎日色濃い日々を送っている気がする。その毎日は、前の生活に比べたら随分と違っていて、楽しくて楽しくて…。だから、欲張りになっているのかもしれない。 傍にいてだなんて。 住むところを与えてくれるだけでよかったはずだ。生きていく最低限の生活ができればよかった。知らない土地。知らない場所。でも、ここに私を知っている人はいないから、平穏だった。 それに、この能力を知っても気味悪がったり軽蔑したりしないでいてくれた。 欲張りになっているんだ。 いつからだろう?ママのことを思い出さなくなったのは。 いつからだろう?こんなにも望むようになってしまったのは。 いつからだろう?こんなにも、一人が怖い、だなんて…。 誰でもいい、私の名前を呼んで。あいして。抱きしめて。ここにいてもいいんだといって。帰らなくてもいいんだと言って。 ねえ、ママ?あなたは今私を覚えていますか?私が突然帰ってきたら、貴女はどうしますか?また、私を殴りますか?それとも、再び殺しますか? 視界がゆがむ。鼻を奥がツンとして、私は泣いているのだとそのときはじめて理解した。 ああ、なんて弱いんだろう。嫌になってしまう。こんな弱い自分、嫌いだ。 弱いから誘拐されて、弱いからお母さんが傷つけられ、弱いからお父さんは私を振りかえらない。弱いから、リボーンは離れていった。 私がちゃんとしていないからママは狂っていって、私が注意していなかったからパパは家を出ていったんだ。 きっと、全部私のせいだ。何もかも私が関わっていることだから。全て私のせいで家族も、何もかも壊れていくんだ。 嗚咽が漏れることもなく、肩がふるえる。ゆがんだ視界でリボーンの部屋を見たくなくて膝に顔を埋めた。 そうすれば、すぐに眠気が襲ってきて、私はゆっくりと瞼を閉じた。 *** なぜ、こいつがこんなところにいるのかとか、なぜここで寝ているんだとかそんなことはどうでもいいような気がした。 久しぶりにはっきりとみた姿は酷く小さいく、弱々しいような気がした。それは、頬にある涙の跡のせいかもしれない。 「紫杏…」 久しぶりに声に出して呼んだ名前は酷く儚いものだった。 涙の跡をぬぐおうと差し出した手を、寸でのところでひっこめる。そんな自分自身に思わず苦笑した。 「らしくねえ、な…」 肩の上でレオンが心配そうに見上げてきた。そのレオンの頭を撫でてやる。 紫杏が白だと思い知らされるたび、この赤に染まった手が酷く汚く見えた。 だからといって、どうしようという訳でもない。 俺の存在は闇が似合う。逆にいえば、闇の中でしか生きれねえ。 それが、この前のパーティーのときにはっきりと感じ取れた。それと同時に紫杏に触れるのが怖くなった。闇は白をも飲み込む。黒なら、灰色に変えてくれるかもしれないが、闇は全ての色を飲み込むのだ。だから、一定の距離を保って接してきた。全ての人間。愛人でさえ一定の距離を保ち、踏み入ろうとしてきたものは切り捨ててきた。 でも紫杏は違う。踏み入ろうとしたんじゃない。溶け込んできたかのようだった。いつの間にかぬるま湯の中に使っているかのような感覚。 パーティーの日。久しぶりに本気で銃を撃った。その瞬間の衝動、血管をめぐる血。それらすべてが興奮していた。俺の存在はこの場所なのだと全身が叫んでいるようだった。俺は、この世界でしか生きられないんだと。 怖くなった。 ぬるま湯につかれば、少なからず闇の世界ではなくなる。それが怖かった。そして、白を飲み込んでしまう闇を同時に嫌悪した。 せめぎ合う心。真っ赤に染まる手。 離れなければ、と思った。 “…紫杏、笑ったのな” 山本の言葉が思い出される。苦笑した顔から、紫杏の表情が素直に出された笑顔じゃないことくらい容易に分かった。 泣かせたいわけじゃない。 傍にいたい。でも、傍にはいられない。いてはいけない。 「わりいな…」 布団からシーツをひきはがし、紫杏の体に巻くと抱き上げる。 紫杏の長い髪が、サラサラと俺の腕をすべりおちていく。その感触に湧き上がる感情があったものの、全て押し込めた。 「…もう、ここにはくんじゃねえ…」 眠っている紫杏に言ってもなんの意味もないことぐらい百も承知だ。それでも、言わずには居られなかった。 闇に呑まれて壊れていく様など見たくない。純粋で、けがれなど知らないこいつが俺の手によって赤く、黒く染まっていくのは耐えられそうもなかった。 「…紫杏」 呟く声はどこか震えているようだった。思わず自嘲の笑みがこぼれる。 「ざまあ、ねえな…」 振動を与えないように立ち上がり、紫杏の部屋へと向かった。 紫杏の部屋のベッドに紫杏をゆっくりと降ろす。シーツもきちんと被せてやる。 「Buona notte.Un buon sogno.(おやすみ。いい夢を」 *** 意識が浮上していく。まだ眠たく、開けるのが億劫な瞼をそのままに耳だけ澄ましてみる。物音は聞こえない。でも、珈琲の匂いが鼻をかすめた。 その匂いに、酷く安堵した。 リボーンの匂いだ。珈琲の香りに混じってほのかに香水の匂いもする。リボーンが近くに…。 ゆっくりと目を開ける。そこは見慣れた、自分の部屋だった。私の勘違いだったのかな?でも、確かに、珈琲の香りがする。 リボーン…。 くるまっていたシーツを抱き寄せて体を丸まらせる。リボーンの部屋で寝てしまっていたはずだから、きっと彼が運んでくれたんだ。 そう思ったら、口元が緩むのを感じた。それを隠すように、顔までシーツを引き上げる。 嫌われてはいないみたいだ。よかった。 本当に、よかった…。 私は、再びまどろんでいく意識のなか、リボーンのことを思い出していた。 |